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   本当にあった話 
                       
    高山 恵子                   
                                                                                   平成20年9月24日付け 島根日日新聞掲載

 満五十歳になるが、若い時から、致命的な大病は一度しかしていない。
 総ての運がすこぶる良かったのか、持って生まれた強靱な生命力のお陰か、三途の川は渡らずに済んだ。
 そんな経験があるにも関わらず、どうしても自分から死にたくなる病に取り憑かれ、おおよそ十年間の時間を費やし、この疾病をKO寸前まで追い込んだ。だから、両手で数え切れない入院回数の実績を持っている。入退院を十数回繰り返していると、同室になった患者さんの言動が「十人十色」であることが、生きた学習になる。
 特徴の目立つ患者さんの、仕草、不思議さなどがそうだ。歯を食いしばり笑いをこらえて見た人達を、鮮やかに記憶している。
 入院三回目の時だったと思うが、まだ二十代の若さが残っていたA子さんには驚いた。
 朝から病室に付いている洗面台で、やたらめったら手を洗いうがいをする。ジャージャー・ガラガラ、その音、仕草にイライラが積もり積もる。
 明日の朝はA子さんより早く起き、十二時間で何回洗面台に向かうか、正の字を書いてやろうと思ったら気持が落ち着き、イライラはどこかへ飛んでいってしまった。
 六時に病室の明りが点く。
 カウントゴー。昼ご飯が終わった十二時半までに、何と正の字は七十回に到達していた。その後不覚にも昼寝をしてしまい、正式な記録は残せなかった。
 A子さんは常々トイレに行っても、十分間は帰ってこない。いつもいつも大きい方ではなかろうと、不審に思っていた。
 遂に、トイレで彼女は何をしているか、その解明を、この目で確認する事に決めた。何気ない素振りで、五秒の時間差でトイレに行った。
 A子さんは和式の方に入った。隣の洋式に入り何事が始まるか、耳をウサギのようにそばだて、想像力を逞しく、便座の上に陣どった。A子さんは、すでにトイレットペーパーをクルクル巻き取っている。空気が読めるわけではないが、私の鋭い勘である。
 三十秒後――。水を流す音がした。出すものを出さないより早く、紙だけ流す空白の三十秒間が、どうしても疑問として残った。用が終わったらしく紙を巻き取り、そして流す。この動作は、A子さんばかりではない。誰でも通常だ。いよいよ、紙を巻き取り、手に持ったまま出るらしい気配だ。慌ててドアを微かに開き、息を潜め、じっと見つめていた。
 何とも判断し難い奥ゆかしさと、潔癖症が同居していた。鍵を紙で拭き、ドアノブも紙で拭いている。手洗い場でまず紙を捨て、取り付けてある消毒用のポンプで入念に三度、四度と手洗いをしている。私は、その様子を確認し、病室に帰り手を洗った。
 三十秒の空白の時間を必死で思い廻らせた。その結果一番妥当な解答が得られた。きっと、紙で便器を清めていたに違いない。訊く訳にもいかないので、私の想像に納得しておいた。水道代も紙代も心配するに及ばない。
 家族はA子さんが起きている間中、きっと神経が悲鳴を上げたに違いない。お気の毒に、とお見舞いを伝えたくなった。
 私は状態が良くなったので、その日から六日後に退院した。
 半年後、また死にたくなったので入院した。二、三週間で苦しくて辛い症状は波が静かに引いていくように治まる。
 こうなれば、同室のメンツ≠ェ観察できる。正常に近くなった三日後、八十歳は越していそうなお婆ちゃんが、私の真向かいのベッドに入院して来た。二、三日様子を見ていたが、いくらか認知症がありそうな気配が窺がわれた。夏だったのにクーラーを少し強くすると、すぐさま毛糸の袖無しを着込む。ご飯は無くなるまで食べ続ける。次に味噌汁も空になるまで飲み続ける。やっぱりおかしい。
 その日の午後だった。
 婆ちゃんは、頭が重くて痛い、神経痛も痛いとブツブツ言いつつ、持ってきた張り裂けそうなカバンの中から、薬袋を無理やり取り出した。私には背中しか見えないが、引っ張り出した瞬間、薬袋には「座薬」と印されているのが見えた。婆ちゃんは長い時間、考え込んでいる様子だ。おもむろに、ベッドの上でいくらか曲がった背筋を伸ばしかげんにし、きちんと正座をしてハサミで何かを切っている。そうこうする間に、薬を口に入れてしまった。立て続けにコップに満タンの水を、ゴクゴクと首を上下に動かし飲んでいる。やっと飲み込んだらしく、正座を崩した。「何と飲み込むのが困難な薬だ」と、独り言を呟いていた。
 私は不審に思い、薬の入っていた残骸を見た。尻から入れる鎮痛剤であった。
「婆ちゃん、これは飲む薬ではないよ。お尻から入れる薬だよ」
「上から入れようが、下から入れようが、薬の効き目はそうそう変わる事は無い」
「いつも飲んでいるの?」
「家では爺さんが尻から入れてくれるが、自分では出来ないので上から飲んだ」
 当たり前の顔でシロッとしている。
 くたびれたのか、薬が効いてきたと思ったのか、うとうとと寝入ってしまった。
 婆ちゃんがスヤスヤ本格的に眠った頃、枕元に置いてあった座薬の袋を調査してみた。袋の中は空だった。目撃者は私だけだった。人様のことだが、とてつもなく安心した。込み上げてくる笑いを、一人でおおいにこらえた。
 きちんと姿勢を正し、座って飲むことができると、長い時間を費やして判断した婆ちゃんの真面目顔は、今も鮮明に脳裏にインプットされている。
 座薬にはイラストが必要不可欠だと、強く思った。婆ちゃんの頭は、正常な人間以上に想像力が発達している。薬剤師さんの奮闘を願った。
 A子さんにも婆ちゃんにも、それ以来会うことはなかった。
 二人とも、まだ不思議なことをしているのだろうか。

◇作品を読んで

 作品は、かなりデフォルメしてある。つまり、創作に近いということになる。作者は何年か前に入院したことがあり、その間、いろいろな人と出会った。そして、あれこれ想像を巡らしたのである。
 得てして、内容によっては人権的な意味からは問題になることがあり、そのあたりへの配慮を必要とする場合が起こる。小説などを書く人の悩みの一つである。同じ内容でも、どういう視点で扱うか、背景や舞台設定を変えるなどということになるのだろう。
 前回のこの欄にも書いたが、平成十四年六月二十六日に第一回の青藍作品を掲載して以来、この十一月には、切り番というわけではないが三百回に達するはずである。知らぬ間に長い年月を重ねてきた。