TOPページにもどる   ウエブ青藍トップにもどる

童 話    まぼろしの赤い靴   
              原  陽 子
 
                                                                            
                                           島根日日新聞 平成15年1月15日掲載

 小高い山の崖の上です。きつねの親子が、眼の下に広がる夜の街を、うっとりと眺めておりました。幼い女の子とお母さんぎつねです。
 このあたりは、ほんの少し前まで、山また山が続き、深い森の奥は、暗く淋しいところでした。でも、空に月さえあれば立ち並ぶ木々の間から、白い光がこぼれ落ち、明るい影を作るのでした。梢をわたる風の音もかすかで、時にはふくろうの「そろっとこうか!」と、低い声が聞こえ、きつね親子の「こん、こん!」という咳払いさえ、はばかられるほどの静かな森でした。
 ところがある日、山に分け入った人間たちによって、開発が始まりました。山を切り裂く道路ができ、丘は削られて住宅が建ち、見上げるような高いビルが増え続け、あっ、という間に大きな街になってしまったのです。
 道路は街の真ん中を、まっすぐに伸びています。目も開けられないほどのまぶしいライトを点けた自動車が、後から後からと走り去って行きます。(あの光の帯が消えて行く先には、いったい何があるのだろう。たくさんの人が急いで行くんだもの、きっと楽しくおもしろいことがあるに違いない。いつか、あの自動車の屋根の上に、こっそりと乗っかって行ってみたい)と、親子は思うのでした。
 街には、赤、青、黄色などの灯が、星の数よりも多く輝いています。その中に、ひときわ目を引くネオンがありました。(あなたにぴったりの靴 かならず見つかります)という文字が、チカチカと点めつし、ぐるぐる回っています。女の子のきつねは、人間が履いている靴が欲しくて欲しくてたまらなくなりました。
 ある夜のことです。
「いいかい、母さんのようにするんだよ」
 母さんぎつねは、くるりと宙返りをしました。鼻筋が通り、切れ長の目をした女の人が、すっくとそこに立ったのを見て、子ぎつねも、小さく、くるりと回りました。母さんによく似た可愛い女の子ができあがりました。
 葉っぱのお金をポケットに、二人はいそいそと山を降りて行きました。その店には、(さぬきや靴店)と看板がかかっています。中年のおじさんが、人なつっこい笑顔で迎えてくれました。
「おじょうちゃんの靴ですか? ぴったりのがありますよ」
 なんとまあ小さく、スマートな靴でしょう。女の子の、か細い足にぴったりでした。
「履いてくれる人がなかなか見つからなかったんですよ。二足も仕入れちゃいましてね、いっしょに買っていただけるなら安くしときますよ」
 母と子は、顔を見合わせて、にっこりと頷きあいました。山に帰った子ぎつねは、もうルンルンでした。
「母さん、二足あってラッキーだったね」
 きつねの足は四本あるんですものね。
 その夜、赤いブーツは山の中を、おもいっきり跳ね廻りました。人間が捨てたガラスの破片や空き缶に、その細い足をもう傷つけられることはなかったからです。
 夜明け近くなって、遊び疲れた子ぎつねは、赤い靴を抱きしめて心地よい眠りにつきました。
 朝になりました。高く昇った太陽に、眠い目をこすりこすり開けた子ぎつねは、はっとしました。ない! ないのです。しっかりと抱きしめていたはずの、大切な大切な宝もの。
「母さん! 私の靴、どこにやったのよぉ」
 母さんは、きょとんとしています。
 その時、崖の下ががやがやと騒がしくなりました。人の声です。
「自動車に、ひかれているよ」
「この辺の山にゃ、まだこんな動物が住んでいるんだね」
 のぞいてみると道路の脇に、一匹のたぬきが横たわっていました。ぴくりとも動きません。親子は、思わず顔を見合わせました。昨夜のおじさんの丸い目、大きなお腹、やけに膨らんでいたズボンのうしろ。(ああ! もしかして、もしかして……)
 親子は分かったのです。赤いブーツが煙のように消えてしまったわけが。
 たぬきのおじさんは、人間に靴を売って生活していたのでしょうか。その靴は同じように、みんな消えてしまったのでしょうか。
 その夜も崖の上では、月明かりの中で、影絵のようにたたずみ、ぼんやりと街を眺めている、きつねの親子の姿がありました。
 心をときめかせたあのネオンは、もう二度と点くことはないというのに……。


講師評

 大人である書き手が大人でなく、なぜ子どもを対象にして物語を書くのだろうか。一つは、自分の表現方法として最も適しているからであるという理由。さらには、対象とする読者が子どもでありたいという意識によるのではないか。自分の子ども、近所の子どもたちに何かを告げたいということである。もちろん、両方の場合もあるが、いずれにしても方法としては、このことを考えながら不特定多数の子どもたちを頭において書くということになるだろう。そうすれば、自ずからテーマ、内容、文体や言葉の使い方も見えてくるはずである。
 この作品は、豊かな自然を破壊する行為に対して許せないという憤りが、きつね親子の行動を通してうまく描かれている。
 題名はアンデルセンの童話、野口雨情の童謡を連想させ、また、狐や狸が人を化かすという素材は、やや一般的でもある。子ども達の感想は、どうなのだろうか。