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     ヴェネチアンモザイク
                       
    平里 葉月                   
                                                                                   平成21年1月15日付け島根日日新聞掲載


 デパートで買い物を済ませ、出口へ向かって歩いていると、シーズンギャラリーの前を通りかかった。クリスマス前だからなのだろう、アクセサリーを展示していた。特別サービス品≠ニいう張り紙に吸い寄せられ、立ち止まって見てしまった。
 鉛筆の芯ほどの小さな塊を寄せ集めて模様を作り、天使やクリスマスツリー、楽器などの形にしたペンダントヘッドやブローチだった。店員さんが寄ってきて説明を始めた。
「きれいでしょう。ヴェネチアンモザイクというイタリア直輸入の品ですよ」
 ヴェネチアンモザイクというのか。同じような細工のブローチを持っている。
「職人がひとつひとつ手作りしているんですよ。今、円高だから、かなりお安いですよ」
 四十年前に千五百円で買っているが、これは確かに安い。二千円台からあり、素敵だと思うものさえ一万円もしない。

 三重県の中学校に通っていた私の修学旅行は、初めての東京だった。二泊三日位だったと思う。小遣いの規定は千五百円で、親は一円も多くはくれず、足りない場合は先生から借りることになっていた。小遣いの使い方も勉強だから、範囲内で、精一杯、自分のために使うことが課題だった。
 箱根芦ノ湖や、鎌倉、横浜、後楽園遊園地を巡り、東京タワーへ行ったのは、行程の殆ど最後である。ベトナム戦争の時代で、米兵が何人も休暇で遊びに来ていた。外国人を見るのも、私には珍しいことだった。学校で習った英語を使って、実際に会話ができた感激は、今も覚えている。東京というところは海外の片鱗に触れることができる、と喜んだ。
 まだ小遣いをまったく使っていなかった私は、東京タワーの中で、ぜひとも何か記念になる品を買いたかった。東京の夜景を見るのもいい加減にして、いろいろな店を物色して歩き、ヴェネチアンモザイクのブローチと出会った。
 色の付いたタイルのようなかけらが寄せ集められて花の形をした、楕円形のアクセサリーだ。花びらは上下が水色、左右が黒の縁取りで、中には鳴門巻きのような白と黒の渦巻きが十個くらいはめ込まれている。中心は臙脂の縁取りで、その中も水色や黄色のガーベラのような花形が埋まっている。手の込んだ細工であることは、物知らずな私にもわかった。イタリア製≠ニ英語で書いてある舶来品など、これまで手にしたことは無かった。
 親指の先ほどのアクセサリーに、持ち金の全てをはたいてよいものだろうか。これを買ったら、他には何も買えない。もしものときは、先生からお金を借りることができるとはいうものの、不安になった。買っても使うことがあるのだろうか。でも、この細工物が欲しかった。
 水色はあまり好きな色ではない。他の色のものもあったが、高かった。小遣いで買えるのは、水色が多く使われたものしかなかった。先生から借りてまで価格の高い品を買おうとは考えない。自分のできる範囲内というプライドがある。色はちょっと気に入らないが、この細工物を買うか買わないか、二者択一だった。
 友人たちが、あれやこれやと買い物をする中で、まだひとつも買ったものを持っていなかった私は、一大決心で買うことに決めた。
 小学校の修学旅行のときは、温度計付鉛筆立てとハンカチを買った。小遣いが三百円で、その価格の鉛筆立てが欲しかったが、買い物が一つだけというのが嫌で、質を落した。今でも、あの時、上等のほうを買っておけばよかったと後悔している。
 小学校の修学旅行から三年しか経っていない時期なら、一品でも構わないから欲しいものを手に入れようとするのは当然だろう。
 どうも私はかなり優柔不断で、買おうか買うまいか悩む。悩んだ末、時間切れで買い損なう。だが、せっかく与えられた小遣いはめいっぱい使いたい。周遊の終わり頃になって、思い切って全額使い果たしてしまう。
 学校に提出する小遣いノートは気楽だった。友人達のように、規定以上に持って行き、いろいろ買って、辻褄を合わせるなどという苦労はしたことがない。
 鉛筆立てもブローチも今でも持っているが、ハンカチだけは数年前にどこかを拭いて捨てた。無駄な買い物はしていないと、自負してよいだろう。
 一ドル三百六十円の時代の話である。四十年という年月と、円の価値が四倍ほどになったことを考えると、輸入品は高いのか安いのか、どうなのだろう。

 店員さんの話を聴いていると、衝動買いはしないと決めているものの、心が揺らいでくる。買おうかどうしようかと迷っているうちに、電車の時間が迫ってきた。
「また来るわ」
 急いで出口へ向かった。
 帰宅して、ジュエリーボックスの中から、ヴェネチアンモザイクのブローチを取り出してみた。デパートで見たものは、表面が滑らかで、モザイクとモザイクの間に隙間は無かった。完成度が高い。私のはいかにもタイルが埋めてあるという感じで、粗雑な造りである。雲泥の差だ。おのぼりさん向けのお土産だったのか。
 デパートにあった商品は、やはり、お買い得だったのかもしれない。四十年ぶりのリベンジで、好きな色のを買えばよかった。惜しいことをしたものだ。
 天皇陛下が七十五歳を迎えられた日、東京タワーが五十歳になったと報じられていた。



◇作品を読んで

 修学旅行では、学校で決められた金額以上に隠し持っていったり、それでも少ない金額だがどう使うかと頭を悩ましたりしたことなどは誰しも経験がある。子ども時代ならずとも、欲しいものがあって逡巡したりする。その気持ちがうまく書かれている。
 作者は、数字、つまり金額が幾つか出てくることについて懸念があったようだが、時代の流れとでもいうべきものがよく分かってよいのではないか。
最後の一行は、さりげなく置かれているが、作者はむろんのこと、読み手も再び冒頭に戻り、時の流れを感じる。光る一行だろう。