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     安・近・短
                       
    前田 芳子                   
                                                                                   平成21年1月22日付け島根日日新聞掲載

 十年間近くウツ病という精神疾患に取り憑かれ、長期間の格闘をしたが、ここ三年ばかり症状が出現しなくなった。
 顔が遠のいた知人、友人達に今年の夏、「ウツは退散しました。誰もが羨むくらい元気溌剌に暮らしています」と随分大げさに、暑中見舞いの葉書に書き足して送った。
 以前は、師走の暦に移るかどうかという時期と同時に、多方面の知り合いから忘年会のお声が掛っていたのだが、最近、途絶えていたからである。
 葉書が届いたかな? と思ったあたりから、お花を一緒に稽古していた節子さん、十月生まれの仲間で作った神在りメイト≠フ友達である弘君などなどから二千五百円で、飲み放題食べ放題のビアガーデンへのお誘いがあった。葉書の効果は、予想以上の力を発揮した。
 ひどく嬉しかった。しかもビールは大好物だ。どなた様にも不公平があってはならぬという理念から、全部出席した。そのせいで、思っていたより出費がかさみ、次の年金が待ち遠しかった。
 振り返ってみれば十数年前にはカラオケクイーン≠ニ呼ばれる程、演歌が得意だった。長引く病のため、惜しげ無く使っていた本来の声帯の調子は、再来しなくなっていた。我が愛して止まなかった演歌は、すこぶる衰退気味だ。娘夫婦、孫達が見聞する音楽は、いつから歌い出し、どこでお終いか、何と歌っているのかさっぱり分からない。
 奇抜な衣装に、色とりどりの頭髪、ライオンかマントヒヒかと見間違えるアクション、テレビ画面の下に映される歌詞の文字は、日本語と外来語が入り混じっている。
 十一歳になる孫が、「シューウチシン、シュウーチシン」とテレビを見ながら歌っている。テレビを見た途端、「何だこりゃ」と思わず唸った。
「婆ちゃん、羞恥心と名付けた三人グループが、羞恥心という題の歌を歌っているだけだ」と、孫は教えてくれた。
 今風な楽曲には、さっぱり興味が湧かない。自室のベッド脇に置いてあるラジカセで、デビュー当時から虜になった氷川きよし≠フ魅力的な高音、独特の節回しについつい聞き入ってしまう。茶髪にピアス、王子様のような舞台衣装。そんなスタイルで「廻し合羽も三年がらす……やだねったらやだね 箱根八里の半次郎」と歌っている。団塊世代の我々はどうしたわけか、すんなり受け入れている。
 忘年会に向け、十八番の歌をカラオケボックスまで出向いて練習を試みたが、自己採点では追試≠フ結果だった。潔く諦めた。
 何気なく孫の前で鼻歌まじりに「潮来のいーたろー」と歌い出したら、「潮来って何のことか? いたろーって江戸時代の人か?」と聞くので唖然とした。
 北島三郎の「男船」を軽く歌っていたら、「ヤン衆かもめー」と孫に聞こえた瞬間、「ヤン衆という名前のかもめを見たことがあるか?」と即座に聞いてきたのにはたまげた。生きた時間が五十年間長いということは、垂直な氷壁に挑むようなものだと察知した。
 平成二十年のカレンダーも一枚になった頃、夏場の友達から次々と、忘年会のお誘いがメールで来た。
 返信のメールで「昨今の不況に付き会費は三千円前後、チャリで行けるかタクシーで千円未満の近場、年齢を考慮して宴会だけにし、二次会は無し。これでどうでしょうか」と問い掛けてみた。
「安・近・短・了解しました」と、再度のメールがパソコン画面に現れた。

◇作品を読んで

 この作品でまず目につくのは、題名だろう。作者のどの作品をみても、なるほどと思わせられる題名で、この「安・近・短」というのは去年の流行語大賞「アラフォー」と同じ発想である。語呂のよさもある。年配の方なら「万金丹」を連想されたのではないだろうか。
 作者の作品が共感を呼ぶのは、自分をさらけ出しているからである。自分の病気のこと、家族との喜びや悲しみ、毎日の仕事や見聞きする世の中や自然のありようなどが素直に書かれている。この作品も含めて、まさに作者の真骨頂はそこにある。
 最後の一行は、すぱりと切り、余計なことを書かなかったことが功を奏している。