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     粋な計らい 
                       
       前田芳子                      
                                                                                   平成21年2月26日付け島根日日新聞掲載

 立春の前後になると、冬至に比べ随分と夜明けが早まり、お日様が西に引っ込むのも遅くなる。日本の季節廻りは、いくら年を重ねても感動ものだ。
 如月の気候は本格的な寒さだとよく耳にするが、気の早い草木は、春の準備に多忙である。
 夜長、家族揃って、鍋をつつきながらの幸せ感は格別だ。アルコールが元来嫌いではない私は、まずビールで軽く喉を潤し、好みの芋焼酎のお湯割と、いつものパターンで「お酒がお酒が進む君」である。
 時には酒好きのアラカン仲間、二、三人でスッキリとまとまった小粋な店に行き、思い思いの心うちをさらけ出しおしゃべりを楽しみ、ほろ酔い加減にお酒を頂く。そうすると、アラカン達の身体機能は、非情に働き者になるのだ。五十歳前後は、アラフィーと言うらしいが、私は還暦前後のことをいうアラカンという言葉が好きだ。
 つい最近、杉花粉症で毎年難儀するカルチャースクールの友達、笑子さんの音頭取りで、しだれ桜の会§Z人で新年会をすることになった。六人御一同様「アラカン」世代だ。
 笑子さんが、馴染の居酒屋に連れて行ってくれた。
 四千五百円の会費で、ビール、清酒、焼酎、サワーの飲み放題、肴は大社漁港で獲れたてのお造りで、具材たっぷりの寄せ鍋、さらに、旬の野菜が彩りよくてんこ盛りのサラダであった。
 今年も努力を惜しむことなく、さらなる目標に向かい精進しましょうと、景気良くビールでカンパーイ。
 ぷりぷりのお造りは、本当に味わっていたのかと疑いたくなるスピードで、あっという間に目の前から消え、一気に空っぽとなった。グツグツ煮上がった鍋のたまらない匂い。六人が勢いよく箸を出す。
 どう欲目に眺めても「メタボ」な礼子さんが、ジョッキをグイグイ傾けながら、「野菜は、オフカロリーね」と言いつつ箸を休ませない。空になったジョッキの次は、左手で麦ロックのアルコールを美味そうに流し込んでいる。
 ビール二杯、お湯割り芋酎一杯飲んだあたりから、せっかく入れたのに、出すのがもったいないと思いつつ、お手洗いに赴いた。
 そういえば、笑子さんから紹介された店主は、青年の香りが残る相当なイケメンだった。
 お手洗いは、輝きを放っているように手入れがなされている。
 用を足しながら中を見回した。前面の生成り色のクロス貼りに楚々とした絵手紙が二枚、配分よく透明なピンで貼ってある。
 床には淡い桃色ががった椿が、高級感が漂う備前焼の一輪挿しに品よく収まっている。
 満開に近い花を楽しみ、ふと横を見た。小さな竹ひごで編んである小篭を発見した。何が入れてあるだろうかと、おもむろに興味津々で覗いて見た。アラカンにはご用済みのはずである生理用品だった。五個が相手を待っているかのように、何も言わずに整列していた。
 私と入れ違いに、若い女性が入った。
しだれ桜の会≠フ、程よく揃ったメンバーで、宴会は最高潮の盛り上がりであった。
 メンバー御一行様は、おそらくこの先お世話になることは無いだろうと思うものの、さっき手に取ってしげしげと眺めたあの品物が、妙に気に掛かる。
 メンバーは次々とお手洗いに通うが、誰からも発見したという話は出ない。
 四十分余りビールを盛んに飲んだ私は、惜しいなーと胸の中で呟きながら、新陳代謝が活発だと言い聞かせ、再度お手洗いに行った。
「アッ、四個になっている」
 イケメン店主の粋な計らいに、席に戻った私は大いなる祝杯を捧げた。

◇作品を読んで

 この作品は女性でなくては書けない。
 作者に「その品」は必要ではないらしいが、文中の言葉を借りれば、「興味津々」で見たのである。大田静間さんの前週作品『巨木の生涯』もそうだが、いわば好奇心を持ち合わせ、文章化しようとする目をいつも持っているということだろう。
 別の言い方をすれば、常に五感を働かせるということであり、自然、社会、歴史、芸術、人間関係など何でも素材になる。
 見たり、聞いたり、感じたり、考えたりすることから作品が生まれる。ただ、そこに書き手の目が生き生きとしているかどうかである。
 この作品は、そういうことを教えてくれる。理屈はともかく、最後にある「アッ、四個に……」という呟きはおもしろい。