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     一年の慶は元旦にあり 
                       
       和泉さとこ                      
                                                                                   平成21年3月5日付け島根日日新聞掲載

一月一日朝、五時半。年越しの雪は、長靴の高さぐらいまで積もっている。
 懐中電灯を握りしめ、玄関を一歩踏み出す。六時からの熊野大社歳旦祭に参列するためだ。先の尖った冷気で息が止まりそうになる。近くの熊野大社は、出雲大社に続いて初詣が多い。大晦日から続いていた初詣の車の列も、やっと一息ついたらしい。ほんの少しばかり朝の気配を含んだ薄い闇が佇んでいる。土手の下を流れる意宇川の音に合わせるように、雪を踏みしめながら新しい年の幸せを祈る。
 昼近く、川をはさんで向いの県道を車が連なり始めた。
「車の流れが止まったよ……。後ろはどのぐらいまで続いていると思う!」
 母は、去年の正月もそう言いながら外を眺めていた。今年もまた同じ事を、繰り返し、繰り返し、呟いている。
 この渋滞の中に、娘一家の車も入っているはずである。様子を見に、犬走りに立ってみた。雪の反射は眩しいが、外気は気持ち良い。雪かきがてら家の前を通る通学路まで出て県道を眺めると、目の届く限り車の屋根が続いている。
 例年、道に詳しい人は渋滞を恐れ山裾をぬうような通学路に車を乗り入れてくる。この時だけは堂々と自動車道に変わる。が、今年は雪のためか轍がない。娘の携帯を呼んでみたが反応なし。時計はとうとう一時を回った。様子を見にまた外に出る。これで何回目だろうか。
 ひよっこりと娘の夫が玄関の戸を開けて入ってきた。
「すぐそこまで来ていますけど、たわんだ竹の中に車がいて進めません」
 髪がずぶずぶに濡れている。やっぱり通学路を選んだようだ。雪の重みで倒れ込んだ竹は、重なり合って道をふさいでいると言う。脇道を承知していたのが、あだになったようだ。ようすを見に行くと、かき分けた跡を残した竹藪の隧道が出来ている。車の中の方は五十代のご夫婦と見えた。
「ジャフを呼んでいて……かれこれ一時間待っています」
 気の毒だけれど、スコップ一本ではなんの力にもなれない。孫と娘を連れてひとまず家に向う。大人の騒動が理解出来ない孫は、藪笹と雪に顔や首筋をくすぐられ笑い声をたてる。それが可笑しくてこちらも笑ってしまう。車の中にもおかしさの端が届いたらしく、ほんの少し笑顔が見える。程なくジャフの車が来て竹を伐採して車は脱出した。娘達の車もやっと到着した。と、思ったらまたジャフがバックしてきた。今度は同じような場所で脱輪の救助要請がきたと話す。傾いた車の後に、困り顔の車が続いている。雪で運転を誤ったらしい。人ごとながら、ジャフが近くにいて良かったとホッとした。
「雪道の恐ろしさは経験した者でないと分からないね」
 先ほどの話で祝い膳が盛り上がっていると、見たことのない若者が玄関を開けた。何事かと聞いてみたら、車が脱輪したのでスコップを貸して欲しいと言う。出てみると先ほどとは場所を変えて車が傾いている。スコップと道板を取り出し、手伝いに行く。
 県道の方も見える先まで車が連なっているが、こちらの通学路も脱輪した車の後に車が繋がっている。自転車を想定して整備された道は、普通車とほぼ同じ幅だ。ほんの少し、雪が悪戯すれば脱輪になるようだ。後続車からは、路肩斜面をズボズボと雪にはまりながら手伝いが向かっている。人力で車を持ち上げようとするが、不如意な足場が邪魔をする。騒ぎが聞こえたのか、近所からもスコップやロープ、道板、四輪駆動車を持った若者、力自慢と見える正月客も加わり一気加勢で助けることが出来た。
 運転手は身を乗り出すようにハンドルを握り、用心深く前だけを見て私達の前を通り過ぎて行く。助けに集まった者にお礼を言う余裕は無いらしい。雪と汗で額に張り付いた前髪を掻き上げ、近所同士労いの言葉をかけ合って見送った。雪が夕暮れを呼んだのか、いつもの時間よりも空が重たげに見える。この後も、時間を置いて近所一同で二台の車の救出に手を貸した。
 とっぷり暮れたのに、県道の車の流れはゆっくりとまだ続いている。もう家の前を通る車はなさそうだ。夕食も終わり、皆でコタツを囲めば布団が持ち上がる。親戚が集まるこんな賑わいは年二回。お正月と盆だけになった。県道を流れる光の帯が窓に映る。
「すてきね――」
 やっと二歳になった孫が、縁側のガラスにおでこをひっつけながら言う。回らない口元で大人と同じようにお喋りするのが、可愛いくて可愛くてたまらない。
「今年は良い一年になるよ。元旦から人に感謝されることが出来たからね! 良かった。良かった……」
 娘婿の言葉が添えられ、穏やかな時間が過ぎて行く。
 我が家の今年一年はきっと良い事が続く。一年の慶は元旦にあり。賑やかな声を聞きながら確信した。

◇作品を読んで

 熊野大社は火の発祥の神社として日本火出初之社≠ニも呼ばれる出雲國一之宮であり参拝者が多い。例年のように作者も初詣をした。午後になると、年末からの雪が大渋滞を引き起こし、穏やかなはずの元日はハプニングの数々に巻き込まれた。その様子がうまく書かれている。
 それを印象深くしているのは、幾つかの光る語句であり、「おかしさの端が届く」、「困り顔の車」、「雪が夕暮れを呼ぶ」などが作者の感性の鋭さを表している。
 最近の風潮なのか、雪の中で援助してもらった若者は礼も言わずに去って行った。助け合った近所同士が、労いの言葉をかけ合って見送る。
 人情味豊かな山村の水墨画にも似た風景が、文章から立ち上がっている。「一年の計」を「一年の慶び」にしたタイトルもおもしろい。