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    まるで映画のように 
                       
       大田 静間                                                                                                          平成21年4月9日付け島根日日新聞掲載

「まるで映画のように」
 どのような場面を指して言ったものか、誰の台詞だったのか思い出せないが、平成二十一年三月二十四日のWBC決勝戦、日本対韓国との試合を観ていたら、ふと、このフレーズが頭を掠めた。
 それにしても、よく出来た筋書きであった。
 主演のイチローが、侍ジャパン≠フかせとなった。残る八人の侍が窮状を切り抜け、決勝戦まで漕ぎつける。
 そして、延長戦までもつれ込み、何度目かのイチローへのお膳立てが整った。追い込まれながらも、土壇場で快音を響かせて勝利へと導く。
 ラストシーンは、日本の記者が敵将にコメントを求める。
「イチローと勝負をしたのが、敗因だった」
 この大会でも、いくつかのイチロー語録が聞けた。
「私は、相手のユニホームを着て野球をしている心境だった。最後に日本のユニホームを着て、侍になれた」
 頭のよさが透けて見えるイチロー語録が、私は好きではない。
 しかし、今回は、それまでの戦跡のなかで悲惨な姿を見続けていただけに、妙に気持ちのフィルターを素通りして行った。
 試合後の総合記者会見で、追い込まれた時の心境を尋ねられ、何度か巡るチャンスの場面で、「ここで打てたら格好いいのに……」そう思ったと言う。
 ありきたりな優等生の返答と違い、普通、人には明かしたくない心のひだを正直に口にする主役は、やはり一流だと思った。
 黒沢映画に、『七人の侍』というのがある。
 舞台は戦国時代。野武士に襲われ困窮する農村を救うために集った七人の侍が、農民との軋轢を乗り越えて協力しながら野武士と戦う物語だ。侍たちは、一つの目的に情熱を燃やして立ち向かい、やり遂げた後は本来の生活に散ってゆく。
 時は春。侍ジャパン≠フ優勝は、巣立つ人、新しい生活に飛び込もうとする人たち、それぞれに大きな勇気を与えたのではないだろうか。

◇作品を読んで

作者は、第一回山陰文学賞小説部門の大賞受賞者である。締め切りは一月末であったが、それが終わった後、しばらくは腑抜け状態であったと述懐する。さもありなんと思う。
 去年の夏から精魂を傾け、百枚の原稿に取り組んだ。小説のプロならば、その数字はさほどのものではないが、長くても二十枚程度を書いてきた作者にとっては、まさに長編だったのである。虚脱状態は、やり遂げたという達成感の中で生まれた言葉だろう。

 この作品の短さを作者は気にした。四百字詰原稿用紙で二枚半にも満たないものだが、そのぶんだけ文章は凝縮されている。長ければよいというものではない。
 WBCに、日本の野球好きは興奮しただろう。その思いがよく伝わる作品だ。(