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    石に魅せられた父 
                       
       鶴見 優                                                                                                          平成21年6月4日付け島根日日新聞掲載

 私は、〈シマネスクくにびき学園〉の受講生である。
 今年の四月、『来待石の歴史』というテーマで講演を聴く機会を得た。
来待石≠ヘ、地元の宍道町来待の特産である。灰白色の軟らかな感触の石灯籠をよく見かけるものの、詳しくは知らなかった。
 講師は、四十代そこそこに見える若くてパワフルな来待ストーンミュージアム♀ル長の永井泰先生である。
 いつものことながら、私は教室の最前列に座っていた。
 映像をもとに、二時間を休み無くぶっ通しで語り続けられた先生の来待石への熱き思いと、誇らしげに研究成果を発表される姿に引き込まれていった。
 永井先生は、来待石に魅せられた方といえるが、同じように石にのめり込んでいた亡き父のことを思い出す。
 建造物に石を利用したインカ帝国が大好きで、その話を幼い頃にはよく聞かされたものだ。父は、彼らの石細工の技術の高さに注目し、強い畏敬の念を持っていた。
 隠岐の島に住んでいた父は、仕事の合間に馬鹿でかい石を海から運んで石垣にしたり、石組みの庭を造ったりしていた。海辺に面した場所には垂直に石を立てたが、それはモニュメントのようにも見えた。墓地も同様に、コンクリートで固められたきれいな墓地の多い中、石組みの傍らには野の花と芝を植え、小さな花壇のある自然公園の趣になっていた。
 全て独力で、船と道具を駆使し、何年もの歳月を費やして完成させている。周囲の人は、そのような父の奇行とも言える行動に驚いてはいたが、誰も真似をする人はいなかった。というより人間技ではないと思われていた。海と山に囲まれた自然のなかで、どの石にしようかと物色して運び、創意工夫をしながら据え付ける。その過程は父にとって楽しく、趣味と実益を兼ねていた作業は、きっと苦にはならなかったに違いない。
 父の残したこれらの行跡は、今になってやっと私達兄弟に理解と評価を得た。
 それぞれ異なる味わいと素朴な美しさを持つこれらの石達は、今ではすっかり周囲の景色に溶け込み、威風堂々と静かに居座っている。
何かに魅せられ≠ト、その人自身がワクワク、ときめき、喜びに浸る。喜びは活力となり、体内にエネルギーを蓄える。気に入ったことをするというのは、好奇心と探求心の刺激が原動力である。永井先生のような研究者は、そのエネルギーを調査、研究へと発展させられる。父のように単に趣味程度で終わる人もあるが、それにしてもさまざまである。
 いずれにしろ、何かにとりつかれる、魅せられるということは、羨ましく素晴らしい生き方だと思う。

◇作品を読んで

 読み始められて、どこかで読んだことがあるような――と思われたのではないだろうか。タイトルが、前週掲載作品『魅せられて』に酷似し、内容も石にまつわるものだからである。
 前回の「作品を読んで」に書いたが、作品は原文を二つに分けたものの一つで、冒頭と終末部分を除き、これは後半にあたる。
 書かれた作品を推敲して、よりよいものにするという過程をご理解いただきたいために、あえて二つを続けて掲載した。
 大自然の中にある美しい島で、一人の人間が営々と築き上げた石の芸術を見たいような気にもなる。「多くの歳月をかけて完成」、「人間技ではないと思われていた」などの語句を見ると、もう少し「父」を掘り下げることができそうである。伝記の形で書いてみたらどうだろう。