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    ごめんね、ハッピー  
                       
       穂波 美央                                                                                                          平成21年7月2日付け島根日日新聞掲載

 ハッピーが我が家に来たのは、夫の葬式を終えてすぐである。これからの独り暮らしを考えて、心細さと物騒さからの危険を守るためにと、犬を飼うことにした。
 元来、動物は好きなほうではない。だが、そのようなことを言ってはおれない。背に腹は替えられぬと、親戚から成犬の雌を貰った。犬に触ることも出来なかった私は不安ながらも、夫の従兄弟と一緒に動物病院へ行き、避妊手術をさせた。獣医師から「性格のいい犬だね」と言われ、喜んで連れ帰り、名前は楽しい名がよかろうと、ハッピーにした。
 ハッピー、ハッピー――と呼ぶ毎日が始まり、餌をやり散歩に連れて歩く日が続いた。恐る恐る頭や背中を撫でる。だが、抱くことが出来ない。水の中が大好きで、浅い用水路の中へ入ってピシャピシャと音を立てて歩く。そのくせ、体を洗われるのは嫌がって動き回ったり、ブルブルと全身を震わして飛沫を上げるので一人では無理である。触るのが怖かったり気持ち悪いというのか、一度も洗う機会はなかった。
 毎年、夏になれば毛が抜け、辺り一面に散らばる。新しい毛が生えてくるが、冬になると増えるので太って見える。
 雷鳴が大の苦手である。怖いのだろうが異常に暴れ出し、小屋前の南天の群生を咬みちぎる。そのうち、一本残らず無くなってしまった。小屋の屋根にも駆け上がる。滑り落ちそうになるのを耐え、立ち上がったり、はあはあと息を荒げて落ち着かず、奇行を演ずるのだ。こうなると、どうすることも出来ない。別の小屋へ入れても、そこらじゅう咬み散らすし、かといって抱いて家の中にというわけにもいかない。
 繋いでいる鎖をそこら辺りのものにくるくると巻き付け、身動きが出来なくなることもしばしばで、雨の中、鎖を解くのに大変だったりもした。
 だが、子や孫が帰省し、喜んで連れ歩いたり可愛がっているさまを見ると嬉しくなり、飼っていることに満足を覚えた。おばあちゃんとこへ帰ると、犬と遊べるので楽しいと言う孫達とハッピーの写真も数多く撮った。
 旅行などに出かけて散歩が出来ない日は、従兄弟が「うちの犬だったけんね」と、快く面倒をみてくださった。家を空けるにも心配なく、安心して出かけられた。
 元気な犬で、病気もなく健康に過ごしていた。だが十年を過ぎた頃から、可愛い顔が年老いた容姿に変わってゆくのが不憫だった。相変わらず私は、ハッピーを抱くことさえ出来ない。そばに寄ると飛びついてくるので、外出着のときには棒を持っていた。それが禍いしてか、そのうちに私が触れると嫌がって避けるようになり、可愛い気が無くなってしまった。だが、咽の下を撫でるとじっとしている。随一のスキンシップであった。
 毎朝の行事だが、窓ガラス越しに「ハッピー」と呼んでやる。目を向けるのだが人間のような表情の変化は見せない。尻尾を振ってくれるのが、ただ一つの喜びの表現なのか。
 十五年目の頃から、時々、ペタンと倒れるようになった。更に、十六年目の秋頃から倒れるのが頻繁になった。散歩の途中でも見守っていると、それでも起き上がって歩いていたが、そのうちに駄目になった。ほんの十歩も行けば倒れてしまう。
 折から泊まりに来ていた友人は犬好きで、いつも買ってきたおやつを与えて可愛がっていた。倒れそうなときには予め毛布を持って歩き、抱いて帰ってくれるようになった。それを見て、私も勇気を出し、抱いてやった。
 その二日後の朝、いつものようにカーテンを開け、ハッピーの様子を見てびっくりした。
 霜の中で、倒れて死んでいた。平成二十年十一月十一日の、寒い朝の出来事だった。固くなった冷たいハッピーを、心から愛しいと思った。前の晩に折からの寒さを心配し、小屋の入り口に筵を垂らして風が入らぬようにしておいた。それが徒となったのでは……。小屋に入れないまま、寒さの中で倒れてそのままだったのでは……。どうしてもっと可愛がってやらなかったのか、抱きかかえてやれなかったのか。悔いられて、涙が溢れ出る。
 暫し茫然自失だったが、こうしてはおれないと従兄弟に伝え、箱の中に毛布を敷き入れてペットの丘に連れて行った。一夜預かってもらい、明くる朝の十時に火葬してもらう。
 遺体の周りに花を飾り、おやつや餌をいっぱい置いてやる。火が点けられ、ぼうーという音の中、暫く待つて遺骨を拾う。従兄弟と共に、白い骨を――。人間と同じに全ての骨の上へ喉仏を乗せて蓋をし、観音仏の元に埋葬してやった。
 ペットの丘から我が家を眺め、どう思って眠っているのだろうか。「ありがとう」と言っているだろうか。十七年の生涯をペットとして飼われたのではなく、同志として家を守ってくれた犬だった。私のような者に合わせてくれ、甘えることを諦めてしまっていたのだろう。
「ハッピー、ごめんね。淋しかったでしょうね」
 今度、生まれ変わって私の元に飼われるとき、座敷の上で毎日楽しく一緒に眠れるような暮らしをしようね。                      合掌

◇作品を読んで

 前回に続いて犬の話である。作者は犬が好きではなかったが、防犯上から飼うことにした。そんな気持ちが伝わるのか、十七年の間、一緒に暮らしたが、どうも折り合わないことが多かった。だが、犬が亡くなって、もう少しかわいがってやったらよかったと思う。
 犬のほうはどう思っていただろのだろうと作者は考えるが、漱石の『吾輩は猫である』ではないけれども、犬の立場で書いてみる、あるいは段落ごとに犬と飼い主の視点で綴ってみるというのはどうだろう。そうすれば、もっと気持ちが掘り下げられるかもしれない。
 詩人、丸山薫の『犬と老人』という詩に「かやうな無心なものがなにより慰めになり申す」という文がある。