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    夏至に聴く  
                       
       平里 葉月                                                                                                          平成21年7月9日付け島根日日新聞掲載

 結婚式でよく聴くクラシックの音楽に二つの“結婚行進曲”がある。ワーグナーとメンデルスゾーンの作品で、どちらも有名である。
 ワーグナーの作品は静かで落ち着いた雰囲気の厳粛な曲で、式を挙げる新郎新婦が、参列者の間をゆっくり歩むときに使われる。もうひとつ、メンデルスゾーンのそれは、冒頭にファンファーレが鳴り響く華やかな曲だ。披露宴で扉が開き、新郎新婦が登場するときに使われることが多い。
 メンデルスゾーン作曲の『結婚行進曲』は、劇付随音楽『真夏の夜の夢』の中の一曲である。イギリスの劇作家シェイクスピアの戯曲『真夏の夜の夢』に、メンデルスゾーンが音楽を付けたのだ。
 ちなみに、真夏≠ニは盛夏≠ナはなく夏至≠フことなので、これは夏至の夜のお話である。

 クラシック音楽ファンの私は、バッハやモーツァルト、ベートーベンと同じように、メンデルスゾーンの曲も好きである。
 作品の多くは優雅で華やかであり、メロディーラインも美しい。聴くと爽やかな気分になり、いつまでも心に残る。モーツァルトに近い雰囲気なのだが、もっとロマンティックなのだ。それなのに、こんな素敵な曲を作り出した人の生涯については、つい最近まで殆ど知らなかった。知りたいと思っても、モーツァルトやベートーベンのようには、多く語られていない。
 メンデルスゾーンは、裕福なユダヤ人銀行家の息子で英才教育を受け、個人のオーケストラを持つことができた。キリスト教に改宗し、忘れ去られていたバッハの存在を世の中に復活させた。知識はその程度だった。あまりにも苦労なく人生を過ごしたので、語ることもないのだろうか。それにしても、人間、一生を送ればエピソードはいくつもあるだろう。
 モーツァルトが十八世紀、ベートーベンが十八世紀から十九世紀、そしてメンデルスゾーンは十九世紀の人である。クラッシック音楽の世界では、古い時代ではない。資料が無いということもなかろう。同時代のシューマンやショパン、ワーグナーなどについては、素人なりに、かなり知っているつもりだ。音楽大学付属の図書館ならいざ知らず、一般の図書館にさえ、音楽コーナーには資料があるからだ。放送番組で、エピソードなど、断片的に語られたことを繋ぎ合わせて、人物像を思い描くこともできた。
 ところが、メンデルスゾーンは、私にとって謎の人物だった。研究者の間では、わかっているのかも知れないが、普通の音楽愛好家はメンデルスゾーンについて知る機会が少ないのだ。
 先日、図書館の新刊本コーナーで、メンデルスゾーンの伝記本を見つけた。迷わず手に取り、借りてすぐに読んだ。“ひのまどか”という人の作品である。子供向けなので、漢字にはルビが振ってあるが、充分な取材がなされていて、かなり読み応えがある。
 音楽用語や人名は後のページにわかりやすく解説してあり、消化不良を起こさなくてすむ。写真や絵が挿入してあるので、視覚からも楽しむことができた。
 サブタイトルは、「美しくも厳しき人生」で、確かに、喜びも悲しみもある、波乱万丈の生涯を送ったようだ。キーワードは“ユダヤ人”である。死後、なかなか評価されなかったのも“ユダヤ人”ゆえらしい。私たち日本人には、理解しにくい問題だ。大富豪で天才、しかも勤勉実直、性格は温厚と、良いことずくめのようであるが、それだからこその悩み、苦しみもあったらしい。
 今年、二〇〇九年はメンデルスゾーン生誕二百年である。その年に、長い間知りたかった彼の伝記を読むことができたのは、幸運なことこの上もない。これからは聴くたびに、彼の人生に思いを馳せるだろう。
 メンデルスゾーンの音楽の中でも、『真夏の夜の夢』は、好きな曲だ。初めてこの曲を意識したのは、三十年以上も前のことである。中のひとつ、『間奏曲』をバイオリンの演奏で聴いて、長閑で優美な音色に心を癒された。その後、『序曲』の明るく楽しげな、魔法の世界の開幕を告げる音楽に魅了された。今でも、それを聴くと、気分がわくわくする。
 しばらくたって、全曲を聴く機会があり、『結婚行進曲』も含まれていることを知った。管楽器を中心とした賑やかな冒頭はもちろん印象的だが、それに続く、ボリュームを少し下げた、リズミカルな弦の合奏音が、いつまでも心に残る。その後の、歌うようなメロディには、気持ちが和まされる。バックグラウンドミュージックとしてではなく、聴き入るからこそ、聞こえてくるのだろう。放送されたときには、カセットテープに録音して何度も聴いた。
 CDを手に入れたのは、かなり後年になってからだ。昔は、レコードが高価だったこともあるが、マニアックなものは、なかなか手に入らなかった。『真夏の夜の夢』は、かなりポピュラーな曲だと、私は思うのだが、今でも、店頭に並んではいない。

 夏至が近づくと、メンデルスゾーンを聴きたくなる。ありがたいことに、放送でも、この時期になると『真夏の夜の夢』を必ず流す。クラシック音楽の場合、同じ曲を違った演奏で聴く楽しみがあるのだが、放送では、さまざまな演奏を聴くことができる。
 六月は、私にとってメンデルスゾーン月間なのだ。

◇作品を読んで

 メンデルスゾーンは、記憶能力に優れ、代表作の一つ、『夏の夜の夢』序曲の楽譜を引越すときに紛失したが、記憶を頼りに全て新たに書き出して見せたというエピソードがあるようだ。天才とは、そういうものかもしれない。
 作者は、結婚式の二大定番クラシック曲の一つに魅せられた。そのことが、タイトルにも使われたように六月の季節と結びつき、うまくまとめられている。
 音楽にまつわる思い出というものは、誰しも大なり小なりあるだろう。



 戦後のことである。小学校五年生のときだった。神戸女学院を出られたばかりの若い女先生が担任になられた。音楽が好きな先生で、卒業までの間、何かというとクラシックのレコードを聴かされた。その後、残念ながらクラシックには縁がない。それに比べて、作者は音楽の造詣が深い。