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    心がなごむ時  
                       
       目次 慶子                                                                                                          平成21年7月23日付け島根日日新聞掲載

 取り込みを忘れた一枚のTシャツが昨夜からの雨に濡れ、庭の物干しに萎れた花のような姿でぶら下がっている。
 紫陽花は連日の暑い日差しから解放され、頬を染めたように生き生きとした色合いを見せていた。
 雨の一日になりそうだ。
 掃除機を手にし、まず二階に上がった。すみずみにも気を配りながら働き始めた。
 法事の日が近づいたからだ。母の七回忌である。
 父方、母方の親戚はもちろんだが、主人や私の兄妹、それに我が子の家族も集まることになっている。もしかして、たくさん集まるのも、これが最後かもしれない……。
 私には、娘が三人いる。みんな嫁にいき、苗字が異なる。相手はそれぞれ長男で両親と一緒に生活し、孫にも恵まれて幸せである。だが、私たちの老後を共に暮らしてくれる者は一人もいない。
 屋根を打つ雨の音が、掃除機の微かな響きにまじり、ショパンのピアノ曲『雨だれ』のように聞こえた。
 ふっと、母を思い出した。歌うことが大好きだった。三味線を弾きながらの長唄である。そればかりではなく、女声合唱団にも参加し、松江の西津田にある音楽堂プラバホール≠ナ行われる合唱祭にも出かけていた。
 母は子どもの頃、親の反対で自分が出来なかったピアノの練習を私に勧めた。
 私は雪の降る寒い日、小学校の体育館にあるピアノで、指先が冷たくなって動きが悪くなるまで数時間も練習したこともある。
 住宅街を歩いていると、時折、ピアノの音が流れてくるのを耳にする。幸せな時代だ。
 近所の方から、町内会が主催する、月二回の歌唱教室に誘われた。会場は公民館の二階にある広い部屋で、三十名近くが集まっていた。半数以上が女性で、最高齢は驚いたことに九十歳の女性だった。
 歌うことの好きな人たちの集まりで、発声練習や歌いやすい愛唱歌から始めて、途中、休憩をはさんで二時間近くを歌い続けるのである。耳が聞こえにくい方も、みなさんの援助を得ながら楽しそうに参加されていた。
 初めはバラバラな二部合唱もしだいにまとまった音程になり、響きを増していくのには感心する。共通しているのは、誰もが笑顔を絶やさないということだった。
 帰途に就く私の足どりは軽くなる。心がなごむ時……。
 そんなことを考えているうちに、二階の掃除が終わった。薄日が差してきた。どうやら雨も上がるようだ。

◇作品を読んで

 作者は文学教室に参加されるようになってから、まだ間がない。何か書いてみませんか? と誘った。
 送られてきた便箋に五百字ばかりの、この作品の原案が書かれていた。同じ書くならば、原稿用紙のほうがよい。白紙や便箋が悪いのではないが、マス目を一つずつ、心を込めた文字で埋めてゆくことは、無から何かを創り出すという気持ちになれるからである。それは書こうという熱意にもつながるだろう。
 原案は、書きたいことの柱であった。柱がどうして生まれたか、雨が降る日の情景はどうだろうか、そこから連想されるものは何だろうかというようなことを考えてみた結果、この作品になった。
 書くということは難しくはない。ちょっとしたコツを見つけることができれば、楽しい作業になる。