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    韓国土産   
                       
       平里 葉月                                                                                                          平成21年10月8日付け島根日日新聞掲載

 韓国へ出張した夫が、“BBクリーム”なるものを、土産として買ってきた。化粧品なのだが、初めて聞いた名前である。実物を目の前にしても、何なのかわからない。クリームというから、保湿のためのものだと思った。
「これ、なあに」
「クリームだよ」
 手の甲に少し出してみると、濃い肌色をしている。ファンデーションかも知れない。
「色が付いてるわ」
「だから、BBクリームなんだよ」
「BBクリームってなに」
「クリームさ」
 どうも要領を得ない。女性の化粧品について殆ど無知の夫である。これ以上訊いても、無駄だろう。にっこり笑って、お礼を言った。
「どうも、ありがとう」
 夫の気持ちに感謝したのだ。
 土産とは、いただければありがたいが、そうでなくても文句を言うものではない。
 出かける前、土産は何が良いかと訊かれて、思い当たるものを全て拒否していた。以前の韓国出張で買ってきてくれたものは、申しわけないけれど、つまらなかったのだ。
 本場のキムチは、私には辛すぎる。海苔は近所のスーパーで、石鹸もまた、近所のドラッグストアで手に入る。菓子は、西洋バージョンもしくは和菓子が好みである。
 欲しいものはある。韓国伝統の手工芸品に興味を持っていて、手に入れたいと思うのだが、しつこく説明しても、夫には理解できないらしい。だから、何も買ってこなくてかまわないと言った。
 心優しい夫は、それでは気が済まなかったらしい。免税店をうろついていて、私と同年代の同僚女性がビービークリームを買うのを見て、それに倣ったのだそうだ。
 容器のチューブや箱を眺める。中央に、製品名らしき漢字が縦に二つ。その下に韓方≠ニあるのは処方か。美容効果がありそうだが、着色されているから、夜に使うものではないだろう。裏へ返すと、細かな文字が並ぶ。それぞれの下部にローマ字が四つ並んでいる。社名と思われるが、読み方がわからない。“メイドインコリア”と書かれた英語はわかる。SPFだのPAという文字と、その後に数字や+記号があるから、やはり、昼間に使用するものに違いない。
 中の紙にも、漢字もしくはローマ字の説明文がない。ハングル文だけである。英語なら、辞書を引けば多少理解できる。意味がわからなくても、フランス語やイタリア語なら、適当に声を出して読む。ロシア語のローマ字がひっくり返ったような文字でも、でたらめに読む。ハングルだと、「うっ」とも「すっ」とも声が出せない。息が詰まりそうだ。隣国の文字なのに、まったくお手上げとは情けない。
 説明書には、韓方の原料の含有量なのか、漢字と数字が四種類並んでいる。薬効のあるファンデーションなのかもしれない。それにしても色が濃い。日本製より黒っぽくて、黄味が少ないのだ。香りもきつい。せっかくの土産なのに、使う気分にはなれない。と言って、捨てるのはもったいない。こんなもの買ってきてくれなくていいのに。海苔や石鹸のほうがまだ良かった。何にもいらない、などとは言わずに、何かを指定しておけばよかった。反省してもあとの祭りだ。夫の優しい気持ちをありがたくいただいて、少しずつ使おう。それにしても、BBクリームとはいったい何なのだろう。
 数日後、大手スーパーへ買い物に出かけたときのことである。化粧品売り場の横を歩いていると、大きな字で書かれたポップが目に入った。
『BBクリーム――純国産品』
 韓国のものではないのか。日本の有名メーカーのコーナーである。近寄って見ると、私の持っているのと似たような容器が並んでいる。『日本で作られた 日本のメーカーの 日本人のための……』と、ポップに小さい文字が躍っている。
 製品には“BBクリーム”という文字は見当たらず、“ダブルクリーム”とローマ字で書いてある。「BBクリームって何?」と店員さんに訊ねてみようとするが、近くには誰もいない。買う気もないのに、わざわざ探すのは図々しすぎる。
 以前ならば気にも留めなかったのに、頭の中にBBクリームという言葉がこびりついているようだ。家へ帰って、インターネットで検索してみた。使い方が下手で、知りたい内容に、なかなか行き着かない。思い当たる用語をできるだけたくさん入れても、何万件も出てくる。その中から適当に選んで、開けてみる。そこで得た知識や言葉をもとに、新たな検索をする。ネットサーフィンを繰り返し、夫の言葉も繋ぎあわせて、少しずつわかってきた。
“おネエ★MANS”の誰かさんが「いいわよ」と言ってヒットした、韓国発の新しいタイプの化粧品なのだ。これひとつで、ファンデーションとケアの両方をしてくれる。簡単便利、効果は絶大らしい。夫が買ってきた製品は、その中でも高級品で、宣伝文句には、“超補養”や“特許成分”“鎮静”などという言葉が並ぶ。
 しかも、まだ韓国外へ輸出していない新商品である。だから、箱にも説明書にも、ハングルしか書かれていないのだ。韓国に行かなければ、手に入らない品物である。もっとも、通販で入手できるかもしれないが。
 タイミングよく、今まで使っていたファンデーションが無くなった。日本未発売の、このBBクリームを使うことにした。
「綺麗になりますように」と、
 毎朝、呪文を唱えながら、顔に塗りたくる。首と色が違ってしまっても気にしない。

◇作品を読んで

BBクリームとは、昭和五十年代半ばに韓国で初めてデビューしたものらしく、現在では数十種類があるという。開発当初は、薬品であったようだ。正式な名前は、“プラミッシュバームBlemish Balm”といい、損傷皮膚のケアに関する製品である。
 作者はタイトルにあるとおり、韓国のお土産としてもらったが、どう使えばよいか分からない。調べてみると、いろいろな知識が手に入った。そうすると、これまで目につかなかったBBクリームをスーパーなどで発見したりする。そのあたりが興味深く書かれている。
 最後の段落にある「……塗りたくる」、「……気にしない。」が、面白い。