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    百二歳の元気−その1−    
                       
       平里葉月                                                                                                          平成21年12月3・7日付け島根日日新聞掲載

 九月末、祖母に会うために、出雲から茨城県石岡市へ行ってきた。明治四十年二月生まれの祖母は、現在百二歳である。
 老人ホームの看板お婆さん≠ニして、大切にしていただいているようだ。とても元気で頭もしっかりしている、とホーム近くに住む叔父から聞いていた。
 なかなか会うチャンスが無く、気がついたら、最後に会ってから三十年もたってしまっている。高齢なのだから、いつどうなるかわからない。
 友人に促された。
「写真よりナマの顔よ。生きているうちに会いなさい」
 思い立ったが吉日だ。旅行の計画を立て、宿や航空券の手配をした。
 事前にホームへ連絡をして、祖母の様子を訊いてみた。
 元気だけれど、転んで足を挫いたので、しばらくは歩かないようにしてもらっているという。
 高齢者はこんなことが原因で寝付いてしまい、認知症も始まると聞いたことがある。祖母は、超高齢なのだから、タイムリミットが来てしまうかもしれない。私が行くまでは、何事も起こらないでほしいと願った。
 前日に、また、ホームへ電話をした。車椅子で食堂まで連れていくが、食事は自分で、残さず食べるということだ。本当に元気なのだろう。サプライズとして、私が行くことは、黙っていてもらうことにした。
 祖母はベッドで横になっていた。昼食を終えて、部屋に連れ帰ってもらったところらしい。殆ど閉じたような細い目で、ちらりと私を見ても、表情に変化はない。それでも、施設の職員さんでないことは、わかったらしい。小さな声で、ぼそぼそと話す。
「あなたは誰ですか」
 やはり、わからないか。無理もない。前に祖母と会ったとき、二十代だった私も、今は五十代である。自分ではたいして変わってないつもりでも、時の流れを、顔や身体に刻んでいるのだ。
「葉月です」
「ああ、葉月ちゃんね」
 すぐに納得顔になった。ほんの少しのあいだ会わなかった、という雰囲気だ。三十年ぶり≠フ感激は私だけか。孫より娘が気になるのだろう、すぐに、母のことを訊いてくる。母も祖母とは三十年近く会っていない。
「お母さんは元気?」
 母と私が近くに住んでいるのは、わかっているのか。
「元気よ」
 二年前に父が亡くなったことを伝えてあるのかわからないので、用心して、こちらからは、切り出さないことにしていた。
「ひとりでなにしてるの」
 知っているのか。だが、父のことへ話を持って行かない。
「目医者や歯医者へ通うのに、忙しそうよ」
 医者通いと言っても、心配するほどのものではない。念のため、内科≠ヘ抜かしておいた。
「どうかしたの?」
 気がかりな顔をする。
「お母さんだって八十過ぎよ。老人性白内障や、入れ歯の調整とかあるわよ」
「そうね。私の十九のときの娘だからね」
 母を産み育てたことを思い出したのだろうか、穏やかな顔つきなった。
「ひとりになったのなら、なにか趣味を持たなくちゃいけないわねぇ」
 百二歳が八十三歳を案ずる。永遠に祖母は母の親なのだ。ひとり≠ニいう言葉を無視して話を続けた。
 お土産のひとつに、肌寒いときに肩に掛けるよう、青みがかった淡いピンクの綿糸でミニケープを編んで持って行った。今すぐに使ってもらえるものをと考えて、秋ではあるが、毛ではなく、綿の糸で編んだのだ。
 祖母はピンクが大好きなのである。年をとっても好きな色は変わらない。
 以前、私は、年齢に応じて相応しい色がある、と勝手に思っていた。老人は茶色や地味な色がよい、と決め付けていた。まったくの偏見である。身につけるものなら、肌の色がくすんでくるに従って、かえって鮮やかな色のほうが、顔色を綺麗に見せてくれる。祖母のように、若いときからピンクが好きで、百歳を超えても、やはりピンクが好きだったら、それを身にまとっても構わないではないか。
「綺麗な色ね」
 うっとりするような顔で、ケープを撫で擦り、眺める。
「優しい色ね。検診にこれを着て行ったら、きっと、お医者さまが若返ったねって言うわ」
 祖母の頬も、心なしかピンクに染まった。私が部屋を出るまで、ずっと手に持っていた。

 祖母の母親が斐川出西の出身だからか、生姜が好きだと聴いていた。島根を思い出してもらおうと、土産に粉末の生姜湯の素を持って行った。埃を被った電気ポットを見つけて湯を沸かし、薬用だという湯のみに生姜湯を作った。
「いい匂いね」
 顔の前まで湯のみを持っていくと、香りを楽しんでくれた。一口でも飲むかと思ったが、そうではなかった。
「お手洗いに行きたくなるから、いらないわ」
 用を足す煩わしさを考えると、余計な水分は取りたくないらしい。室内用の簡易トイレが、ベッドサイドにおいてある。それでも、排泄は面倒な行為なのだ。無理強いはしなかった。自力で自分のことができるからこそ、考えて行動するのだろう。
 松江の、好きだという店の和菓子も持っていった。一人では少ししか食べられなくても、お友達に上げたらよい、と思っていたのだが、もう、よその部屋の人との付き合いはないらしい。
 はるばる持参したものを、持ち帰りたくない。残りの生姜湯の素も、和菓子のほとんども、帰り際、職員さんに、無理やり受け取ってもらった。
 祖母が、ボソッと話す。
「この間、お母さんじゃない誰かから、カーネーションが送られてきたのよ。出雲からだったわ」
 母ではない誰か? 出雲から? 最近?
 祖母に贈り物をする