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小 説 ももたろう   
              宮 崎 真 然 
 
                                                                            
                             島根日日新聞 平成15年3月12日掲載

 北山の山並みは、久しく見なかったせいか新鮮な影を見せていた。川跡辺りの田園には、新しい住宅が建ちならんでいる。その変わりようには、目を見張るばかりだ。何年振りかの風景が嬉しい。
 惇は、三十年振りの小学校同窓会に出るために県外のH市から帰省した。車を走らせていると、『北山温泉』の標識が目に入った。西進すると、ほどなく、その建物が現れた。
 五百円の入湯券を自動販売機で買い、受付のおばさんに渡すと、ゴムの括り輪の付いた、電車の乗車券より少し大きい位の鍵を渡された。(何? これ)と不思議に思ったが、しげしげと眺めているうちに、脱衣場にあるロッカーの鍵だと気がついた。
 十畳と三畳位の二つの湯槽には、どぼ、どぼと湯が溢れいた。湯水の如く、というは、このことだと思った。屋外には露天風呂がある。五、六人も入ると満員といった感じだが、湯気のなかに山茶花の花びらが二、三枚、浮かんでいる。小学校三年くらいの男の子と、中年のお客、その二人だった。明らかに親子ではない感じの二人が何かぼそぼそと言っているのが耳に入った。 
「ぼく、桃太郎を知っているか?」
 惇が、風呂につかると、男は急に話を変えた感じで男の子に言った。
「?……」
 そんなことは誰でも知っている、何でそんなことを聞くのかと、不思議そうな目つきだ。
「ふーん、それなら、桃太郎をしてみろ」
 男は、微笑みながら言った
「えっー?」
 男の子は、更に不審そうに頭を傾けてぶるぶると振った。水滴が、周りに飛び散った。
 男は、露天風呂の縁石からタオルで前を隠しもせず飛び上がった。男の背中には左から右肩に向かって這い上がる昇り龍の刺青が、色鮮やかに彫られていた。インクを薄めたような彫り物の色は毒々しく、目を背けたくなるほどだった。男は向こうむきで中腰になり、尻を突き出して横にふらふら動かした。
「ももから うまれた ももたろう……。ももから うまれた ももたろう……。これが 桃太郎よォ」
 尻の二つ山の狭間は、どっしりとした白桃そのものに見えた。そこまで言って、男は湯の中に飛び込んだ。惇と男の子は思わず同時に、はっ、はっ、と笑った。男が近くまで湯を掻き分けて寄って来た。背中の刺青が大きく見えた。和やかだった湯気が、恐怖という幕に変わった。
「立派なものですねー」
 惇は焦りながら、独り言のように呟いた。
 刺青男は豪快に笑い、(まあ、こんなもんだよ)と言った。男の子は刺青が格好いいと思ったのか、じっと見ている。(立派なものですねー)と、惇が言ったのは、ももたろうのことだと、刺青男は思ったらしかった。惇は、並んで入っていたその男の背中を、反り気味に眺めた。
「いやあ、いれずみが」
「若気のいたりよ……」
 男は、吐き捨てるように笑って言うと、内湯の方へ背中を見せて歩いて行った。

 昔、浅草の裏小路で秘戯を見たことがある。白く透き通る磁器のような女の内腿に、蛇の這い上がる刺青があった。その内腿の記憶は、紀子を思い出させた。
 明日の同窓会に、紀子は出るだろうか。生まれて初めて抱いた女は、紀子だった。胸も腰もがっしりと厚いおばさんになっているだろうか。いや、そうでもないだろうと頭を振り、あの時の紀子の裸を思った……。
 惇は、紀子に二十何年振りに逢う機会が来ようとは、思ってもみなかった。紀子だけには、どうしても逢いたくて出席の返事を出したのだ。
(俺は、めめしい男だろうか……)
 めめしいという字は、女女しいと書く。女がそうだというのは分かる。ならば男がめめしいのは、男男しいと書けばいい。阿呆なことを思っているうちに、車は実家に着いていた。
 この時期、いつものことだが、山茶花が庭に咲く。惇は、その花は嫌いだ。咲くでもなく、咲かぬでもなく、そのうちに、ばらばらと一枚ずつ花びらを落としていく。そんなところから、どうしても好きになれないのである。
 落ちてきた山茶花の花びらが一枚、フロントガラスにへばり付いた。刺青のように見えた。

講師評

 小説の基本は人を描く、それも人間の心理を描き上げることだと思う。生身の人間を見せなければ、読む人は面白いと思わない。
 作者には、男と女の間に揺れ動く感情を描いたものが多い。この作品は、刺青男から、浅草の小屋で見た女の内腿にある蛇の刺青を思い出し、そこから、関わったことのある紀子への思いと期待が書かれている。この辺りは、もう少し書き込んだ方がいいのではないか。
 短い小説を書くとき、いろいろなエピソードを思いつくが、それをどうまとめるかということが技術の一つでもある。
 原作品の冒頭に、車でラジオを聞いている場面があった。面白い話だったが、削除した。後につながりがなかったからである。