TOPページにもどる   ウエブ青藍トップにもどる

随 筆 二人だけの修学旅行
              佐 藤 文 香 
 
                                                                            
                             島根日日新聞 平成15年5月28日掲載

 土曜日の授業が終わり、友達と帰り支度をしていた時だった。
「君達、明日、遠足に行かないか?」
 担任の須田先生が、私と昭子さんを誘って下さった。行き先はミステリーとのことだった。嬉しくなった。
「お願いします」
 もちろん、二つ返事である。飛ぶようにして家に帰り、母の帯を使って自分で縫った肩掛けカバンに、この前の日曜日に編んだ竹の皮の草履、そしてタオルと水筒を入れた。それを枕元に置いて床に就いた。
 翌朝、ご飯の炊ける匂いに目が覚めた。
 台所に行くと、大根や芋の入っていないお米だけのご飯だった。元日以来のことである。早速、母が作った梅干しを入れたおにぎりに味噌を付けて焼いた。それを竹の皮で包み、更に竹の皮を細く裂いたもので帯をして油紙でぐるぐると巻き、鞄に詰めた。
 出掛けようとすると昨夜準備したはずの草履がないので、母に聞いてみた。
「行き先が分からないのに、草履ですか。考えてみたら?」
 それでやっと気付いた。寒い時に履くために、配給の切符で買ったズックを出した。
 昭和十八年のことである。物資が不足して、お金だけでは何も買えなかった。配給の切符が配られ、それを三枚持って行くと、ズックが一足だけ手に入ったのである。切符はいつも不足していた。
 下着は、蒲団のカバーで家中の分を作った。母のコートでズボン、着物で上着を作った。粗末な制服が一応はあったが、学校に行く時だけ着た。
 主な物資は大阪の軍需工場に運ばれ、私達より二年上の上級生が工場に動員されて、戦地に居られる兵士の方が身に付けられるものを作っていた時代である。
 待ち合わせ場所は、学校だった。途中で、昭子さんを誘った。学校に着くと、先生が校門の所で待っていて下さった。
「おはようございます」
 お互いに挨拶を交わした。
 先生に付いて、山手の方に歩き出した。
 五キロばかり歩き、飯石郡の飯石神社に参拝して、兵隊さんの武運長久をお祈りした。水筒に入れてきたお茶を飲んで、休憩した。田圃のあぜ道で、カヤの穂を抜いて食べた。
「おーい。山に登るぞ」
 先生が声を掛けられた。
 一キロほど下った所から、民家の点在する山道に入った。崖っぷちを泥に足を取られながら登った。急斜面の獣道を腰まである熊笹をざわざわと両手で掻き分けながら、さらに登った。かなり上がった所で、やっと人ひとりが歩ける道になった。暫く行くと、木漏れ日が射す落葉樹林の間の道に出た。
「もう少しだ」
 先生に励まされ、首に掛けたタオルで汗を拭く。はあ、はあと喘ぎながら、やっと頂上に着いた。大倉山である。
 見渡すと、三方を低い山脈に囲まれている。下の方は杉林が鬱蒼と茂っている。「わあ、きれい――。海のようだわ」
 昭子さんが叫んだ。
 そこでお昼を食べることになった。弁当を食べ終わると、草の上に寝ころんだまま、先生が話して下さった。
「君達は、大切な学業時間を戦争のためだが学徒動員で取られている。春の田打ち、田植え、麦刈り、田の草取り、稲刈りと学校田や出征兵士のある家庭で手間のない家の野良仕事に追われている。修学旅行もないままに卒業して行くと思うと可哀相で、少しでも楽しませて上げようと、今日は誘い出したんだ」
 先生は、そうおっしゃって涙ぐまれた。
「なぜ、二人だけなのですか?」
 私は疑問に思っていたことを聞いた。
「山で何かあった時、先生が助けられるのは二人が精一杯だ」
 先生はそう答えられ、そして、戦争はいつか終わる。だから死なないで欲しい、いつか笑って学校に行ける日が必ず来るから、と励まして下さった。
 ひと時の語らいが終わると、先生は立ち上がられた。
「下りは早いぞ。今度は君達が先頭だ」
 温厚な先生に甘えて、あけびを採っていただいたり、虫に食われて葉脈だけになった木の葉を拾いながら里に下りた。
 家路につく頃、秋の日は暮れかけていた。
 先生に一日の楽しかったことへのお礼を言って別れ、小走りに家に急いだ。
「ただいまっ。ミステリーは山登りで、土産が沢山採れたよー」
 風呂を沸かしていた母に、声を掛けた。
「先生は、生徒一人ひとりのことを何でもご存知なのよね。だから、あなたがよく山行きをしていることを知ってらしたのよ」
 母はそう言い、夜になると早速、先生に礼状を書いてくれた。
 苦しい暮らしの中で、最も嬉しい出来事だった。今でも鮮明に記憶に残っている。夜、寝つかれない時に思い出すと、満ち足りた気持ちになる。
 苦しいときでも、いつか必ず良いことがあるのだからと、先生の教えをいまも信じているのである。