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随 筆 タバコと私
              柳 楽 文 子 
 
                                                                            
                             島根日日新聞 平成15年7月24日掲載

 脳ドッグは自費で受けると、六万五千円もかかる。高いと思っていたからでもないだろうが、五万円を補助するので受診してみませんか、と週報いずも≠ノ書かれた文字が目に飛び込んできた。
 五十四年近く使った頭である。ガタがあって当然だろうと、深く考えないで申し込みの葉書を出してみた。申し込みが多数なら抽選である。
 宝くじを何年も買い続けているが、最高三千円が二回しか当たらなかった。年末の福引も、ティッシュペーパーかタワシばかりである。どうせ抽選なんかに縁遠い私に当たりっこないと、葉書を出したことも忘れていた。
 ところが、市役所から通知がきた。脳ドッグの抽選に選ばれたので受診してくださいというのである。
 ドッキンと一つ、胸が波打った。選りによってこんなものにあたるとは。家族に相談した。受けてみたらいいと、みんなはやたらに勧める。
「もう三十年以上もタバコを吸い続けているのに、異常がないはずはない。ぽっくり死んでくれればいいけど、大きいじいちゃんみたいにぼけて税金を使わせることになっては困る。異常を見付けてもらうために抽選に当たったんだから必ず受診しなさい」
 娘にいたっては、いささか命令口調である。
 やや太り気味なこととタバコの吸い過ぎも気になっていたので、バンジージャンプに挑戦する気で受診することにした。
 暫くして、検査を受ける難病研究所から書類が送られてきた。検診前日の午後九時以降は何も口に入れてはいけないという注意書きもある。更に、タバコも駄目、と大きな文字で書いてある。三十四年間吸い続けたタバコが、夜の九時から検診の終わる明日の午後五時までの二十時間、果たして我慢できるか大いに悩んだ。だが、悩んだところで仕方がない。タバコを吸わなければ死ぬわけでもない。 施設にお世話になっている大きいじいちゃんは、まだ杵築中学の頃、おそらく十七才ぐらいからタバコを吸い出し、六十年間吸っていた。施設に入所してからは吸わなくなった。主人も娘のだんな様も、人間煙突かと思える程かなりの量を吸っている。三人とも胃カメラをのむ時や、重症の風邪の時には、タバコが不味いと言って手にしなかった。私は重症の肺炎になったことを想定し、自分を納得させることにした。
 いよいよ脳ドッグの日が来た。朝八時に難病研究所に行くと、八人が受診することになっていた。私は元来そそっかしい性格なので、注意書きをぱっと目で追っただけだった。脳ドッグだからMRIだけだと軽く思っていた。それにしてはやけに時間がかかると、実は不思議だったのだ。検査項目を見ると、全身ほとんどであるのにたまげた。早速、受け付けをして料金一万五千円を払った。
 検査服に着変え、検尿、採血、胸部X線を済ませた。軽い朝食をとり、次から次と検査があった。柔軟性のテスト、負荷を掛けた自転車を五分間こぎ続ける持久力テストがあった。身長を測る器具に立てば、たちまち身長、体重、体脂肪が出てくる。ヤレヤレと思っていたら知能検査のようなものをやらされた。前頭葉の働きを調べる検査だと説明された。幾つもの積み木を図形通り、どのくらいの時間で完成できるかというテストである。イライラが極限に達しそうだった。コンピューターを使った、色、形、数を認識するテストになると、ほっとした。慣れるとなかなか面白い。胸のドッキンドッキンは解消された。野菜の種類を一分間にどれだけ言えるかというテストは、完璧に二十個以上を答えることが出来た。視力、視野、聴力、まずまず問題なくクリアした。
 遅い昼食をとり、二時から自律神経のテスト。水平に寝た形で血圧、脈拍の測定である。水平に寝ていた台が、上半身からいきなり起き上がる。血圧、脈拍の差を見ることで、自律神経のある程度の異常が分かるらしい。
 目を開けた状態と閉じた状態での体のふらつきをコンピューターが画像で捉え、図面になって出てくる検査もあった。目を閉じた時には、かなり揺れることに自分で驚いた。
 いよいよ最後がMRIだが、一人四十分間以上を要する。私は最後だったので四時頃からだった。体を硬くし、耳には心地よいメロディーが流れるヘッドホンをし、やっと寝られるくらいの細い台に乗った。台は、スルスルとトンネルの中へ入った。やがて、ヘッドホンから頭が吹っ飛ぶほどの音が聞こえてきた。頭は絶対に動かしてはならないと注意されていた。
 ガンガン、ドンドン、ビービーと、なんとも言えぬ騒々しい音だ。これが四十分間も続くかと思ったら気が遠くなりそうだった。いっそのこと気絶したほうがよいとも思った。何とか四十分間耐えてやっと終わった。スルスルとトンネルから出た。
 看護師さんが「お疲れ様でした」と優しく起こしてくれた。この一言で疲れが取れた思いがした。
 暫く放心状態で待っていると、説明をしますのでどうぞと呼ばれた。
「今日結果が分かる項目を話します。身体をリラックスさせてください」
 まだ若い医師に穏やかに言われた。医師はデーターを見ながら、一気に説明をする。
「少々太り気味ですね。中性脂肪が高いですね。お酒は控えてください。頭脳のほうはまずまず及第点でしょう。運動をしたほうがいいでしょう。MRIの結果は異常はありませんよ。胸のX線に少し面白くない箇所がありますので、CTを撮ったほうがいいですね。何も問題はないと思いますが念のためです」
 私はCTを撮ったほうがいいという言葉に、脳みそがぐちゃぐちゃになるほどショックを受けた。
 ともかく、こうして全てのスケジュールが終わった。
 自販機のコーヒーを飲みながら、頭を冷やした。やがて開き直りの気持ちが生まれている自分に気がついた。好きなタバコを三十四年間吸い続けることが出来て幸せだ、と思ったほうがストレスにはならないだろう。癌と決まったわけではない。医師のX線の見方が間違っているかもしれない、などと自分の都合のよい方へよい方へ解釈した。
 帰りの車の中で吸ったマイルドセブンは格別の味だった。天にも昇るほどの気分で吸うことができた。なんと私は、意志が強いのだろうかと反逆的な幸福感を覚えた。
 四、五日考え、やはりCTを受けることにした。医大へ行くと三日後の予約が取れた。結果は、一週間後になるという。
 癌となればタバコは吸えないだろうと思い、一生懸命吸った。そうしながら、生命をなんと軽々しく思っている人間だと思い、我ながら軽蔑したくなった。
 いよいよCTの結果発表の日がきた。朝からソワソワして余り食欲もない。そんなに癌が怖ければ、タバコなんぞ吸わなければ済むことである。
 親戚の婆ちゃんは、タバコを側で吸っているだけで機嫌が悪かった。すぐに、外で吸って来いと言う。それなのに、六十五歳の時、肺癌で亡くなった。 
 タバコを吸うと危険率はグンと上がるが、絶対に癌になるというわけではないなどと、自分に都合のよい言い訳ばかり考えている。情けないと言おうか哀れなのか、ほとほと自分の性格が嫌になりながも結果を聞きに医大へ行った。
「柳楽さん、癌はありません。以前の肺炎の影が少し写っていただけで心配はしなくていいでしょう。できたらタバコは止めるに越したことはないですが」
 お医者さんの言葉に、体全体の力が抜けた。
「どうもありがとうございます」
 神様や、仏様が、まだ死んではならぬと判断してくれたと思った。
 帰るなり、亡くなった母の写真をつくづくと眺めながら、まだ母ちゃんの所へは行けそうにないわ、と笑顔で報告をした。
 タバコは吸うけど本数を減らそうと決心した。吸った時刻をノートに書いて最低一時間以上経たなければ吸わないことにした。ニコチンは三十分経つと次のそれを欲しがる、と新聞で読んだことがあったからである。一時間は順守することに決めた。これに成功すれば、次は一時間三十分と徐々に間隔を開けていけば必然的に本数は減り、やがては禁煙に達するだろう。
 医大から帰ってまず一服。午後五時半だった。次に吸えるのは六時半だ。挑戦は相当な覚悟を要する。タバコを吸う人に近づかない工夫も考えた。きっと成功させようと心密かに誓った。
 健闘を祈る――と自分を励ました。
 長かった一日が、やっと終わった。


講師評

 思いもかけず補助金をもらい、脳ドックを受けることになった。申し込みが多いので抽選である。宝くじも運がよくないのだから、選に入ることはないだろうと思って忘れていた頃に通知が来た。家族はぜひともと受診を勧める。
 冒頭からの描写は面白い。受診に至るまでの状況や、その後の心の動きなどが的確に書かれ、読者を引き込む。このところタバコを吸う人は肩身の狭いような状況になってきたが、自分で吸いながらも疑念を持っている人には身に染みる作品ではないだろうか。それだけ、迫力があるということである。
 なぜなら、臆することなく作者は自分の暮らしや思いを赤裸々に書いているからである。この作者の他の作品にも、そういう意味で非常に読み手の心に入り込むものが多い。