TOPページにもどる   ウエブ青藍トップにもどる

随 筆
  万葉の笹百合          原  美代子

                        島根日日新聞 平成14年7月31日掲載

 北山の山峡にある門構えの大きなお屋敷を訪ねたことがある。
白髪の婦人が、木綿の長袖ブラウスと絣模様のもんぺ姿で庭掃除をしておられた。少し背が曲ってはいるが、山里や土との生活を感じさせない風貌だった。
「一服しようと思っていましたの。お付き合いして下さいます? 冷やした水羊羹と、小粒ですが裏の畑で採れた美味しいビワの実もあります。今、お茶を入れますから……」
 夏ござの敷いてある広い縁側に腰を掛けた。軒下に吊してある葦簀が上半分で止めてあるが、西日が射す午後には全部下ろされるだろう。蒸し暑くなりそうな空を仰いだ。
 真夏を思わせるような積乱雲が広がり、梅雨芽の伸びた木犀壁から棚田が見える。白く光り、蛇行した道が、遠く竹薮の中に建つ赤瓦の家に続いていた。
 突然、ガーッという大きな音がした。草刈機らしい。さきほど上がってきた坂道を振り返った。
「今まで人様にして頂いていたのですが、最近、主人が刈るのよ」
「そうですか、お元気でなによりです」
「お手間を入れましたね。茶缶が見つからなくて。時々どこへ置いたのか忘れてしまうの……。決めてる場所に置いたはずなのに無いのよ。痴呆がでたのかしらね」
 信楽焼の茶器を乗せた盆を縁側に置き、(くく……)と含み笑いを残して立たれた。ふすま障子に消える背に返事をしようとしたが、その言葉を忘れ、私はほかのことに心を奪われていた。
 座敷にある卓袱台に三輪の笹百合が生けてある。先ほどから気になっていた匂いは、ここからだったのだ。淡い桃色の筒状の三本の花は、下と横を向き、恥ずかしそうにしながらも、甘い匂いを漂わせている。
 私は、久しぶりにこの花に出会えた感動にときめいた。笹薮で、栗林で、陽の光を浴びようと背伸びしている、思春期の乙女を思い描くような花姿だ。

 私が十八歳の頃だった。京都出身の青年が、大学を卒業してすぐ私の職場に勤め始めた。ハンサムで、女の子には誰にでも優しかった。その頃の流行語で言うと、ドン・ファンである。私も彼に誘われ何度かデートをした。
 ある日、一本から六つの花を付けた笹百合を池の畔で見付けた。私は青いセロファンにそれを包み、翌日の朝、彼の机に置いたのだ。短冊に万葉の歌を毛筆で書いてそれに添えた。
 ――道の辺の 草深百合の 花笑みに 笑みしがからに 妻と言ふべしや――
 その日は忙しくもあり、部署の違う彼と会うこともなかった。やっと仕事を終え、ガラス窓を閉めようとした目の先に、私が彼に届けたはずの笹百合の花が、美人の同僚の腕にしっかり抱かれていた。
 白いレースのワンピースのフレヤーが風に翻った。スキップをしながら門を出て行く後姿を、私は放心したように見つめていた。私は、何であんな歌を書いたのかと後悔した。万葉集巻七にある歌なのだ。
「道の辺の繁みに咲く百合の花のように、ちょっと微笑みかけたからといって、妻とはきめてかからないでください」という意味で、馴れ馴れしく振るまう男に、女性が贈った歌である。その頃、私はわざと意固地になる癖があった。彼が私のことを見向きもしなかったのは当然である。 
 私は見合いをした。そして、結婚するために職場を辞めた。その後、市内の百貨店で青年を遠くから見たことがある。傍らに寄り添っている奥さんらしき人は私の知らない女だった。
 陽を浴びたお座敷で、お茶を入れている切れ長の目の人、日本画を思い起こさせるような奥さんにかつての彼女とあの風景がだぶっていた。
 ――粗茶ですがどうぞ。笹百合の花、このごろでは珍しいでしょう。わたしが嫁いだ頃には、裏の山林に沢山自生していましたのよ。主人が村役場にいた時、保健婦をしていた私にこの花をくれましたの。町で育った私は笹百合の誘惑にゆり動かされるように、この山里に嫁いだってことね。そして、百合根のように思い出の鱗片を幾重にも重ねて、とうとうこの地に私は根付いてしまいました。
 それなのに、野や山に沢山咲いていた笹百合はいつのころからだったかしら、姿を消して行ったように思うんです。淋しいですわ。娘を三人育てたけど、どの娘も都会の青年に引き抜かれ、奪われるようにここを出て行ったのよ。私ね、ふと、笹百合の幸せそうな笑みをした幻を見るの。私たち夫婦が育てた娘たちは、笹百合の精が宿っていたのではないかと思うことがあるわ。
 この三本の笹百合ね、主人がやっと探して来て、私にくれましたのよ。お茶に主人も呼んで参りますわね。――

 清楚なはずの三本の笹百合の花が、むせかえるほど強い芳香を放ったように思えた。
 草刈の音が止んだ。


※講師評
 ある日、作者は涼風が吹き抜ける山峡の家を訪ねた。そこで笹百合を見る。その花と奥さんの話から、かつての若い日に起きた出来事が回想形式で語られる。花を贈ったのに、彼は私に関心を示さなかった、と書かれた次に「私は見合いをし、職場を辞めて結婚した」とあり、口惜しさが文の背後から強く伝わる。自分の気持ちを書かず、何かで表現するというテクニックは大事である。
 万葉集から引用した歌が効果的に使われているのも面白い。冒頭と最後の一行は短いが、爽やかである。          (島根日日新聞客員文芸委員/古浦義己)