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随 筆 親 友
         
柳 楽 文 子   
                                                                                          島根日日新聞 平成15年9月10日掲載

「私が早く死んだら由子さんお骨を拾ってくれる?」
「うんわかった、いいよ」
「由子さんが早ければ私に、お骨を拾わせてくれる?」
「どうも有り難う、そうしてね」
 喫茶店で、モーニングを食べながらの会話である。
 由子さんとは、もう二十四年間の付き合いで、私にとってはかけがいのない友人だ。長野県の出身だが、ご主人と都会で恋愛をし結婚した。ご主人は、人並み外れた努力と運の強さで税理士の資格を取った。それを機会に出身地の出雲に帰り、税理士事務所を開業した。私が自動車会社の経理をしていた頃、税務関係でお世話になっていた。
 親しくなったご主人は、何を思ったのか私に一言、(うちの由子と友達になってくれ)と、やっと聞き取れるくらいの声で言った。
 由子さんは、二歳の女の子を自転車に乗せて会社に寄ってくれた。由子さんを一目見るなり、なぜかもの凄い親近感を覚えた。出雲人にはないあっさりとした雰囲気と逞しさを感じ取った。終生の友人になれる、と直感的に思った。
 長野からポーンと知らない土地に来て、ご主人しか話し相手のいない寂しさと頼りのご主人も忙しく、あまり会話が無い。出雲弁がさっぱり理解できず悲しい思いでいる。そんなことを、由子さんは時折笑顔で、また悲しそうな顔でポツリポツリと話してくれた。
 何も知らない由子さんに、出雲人の特徴を大げさに話した。腹芸が得意である。顔で笑って心の中では怒るなどということは、朝飯前。気にくわないとか、したくないことなどを断る時、持って回った言い方しかしない人が、たくさんいることなどをはっきりと教えた。その反面、粘り強く、好感を持ったら限りなく優しいことなどを話した。由子さんはうんうんと頷きながら真剣に聞いてくれた。
 仕事に行くご主人を見送り、子どもを近くの保育園に預け、一人でいることの多い由子さんを頻繁に外に連れ出した。仕事柄、車庫証明を取るため、松江、大田、掛合の警察署や法務局などに行くことがある。できるだけ一緒に行くようにした。車の中でさまざまな話をした。困っていること、辛いことなどがあるのをそっと聞き出してみたりもした。
 そんなある日、「文子さんと友達になれ、心を開くことができとても幸せよ」と言ってくれた。私の方こそ、友達になることができて嬉しく思っていたのだ。
 由子さんは、どこにでもいる普通のおばさんである。(税理士夫人でございます)というような素振りは微塵も表さない。人間ができていることに一層の魅力を感じた。
 暇な時にはどんな本でもよいから沢山読むことを勧め、手持ちの本をどんどん貸した。由子さんは大変な読書家になり、読んだ本について私と議論するようになった。人生や生き方についてなど、思っていることをお互いに容赦なく言い合うようになった。そんなことまでもというような心の内をどんどん打ち明けてくれる由子さんに限りない好感を持つようになり、二人の仲は信頼という言葉で固く結ばれていった。由子さんが、出雲の生活に慣れるまでに三年位かかった。
 ある日の会話の中で、スナックには一度も行ったことなど無いと言うので、ご主人に了解をもらい頻繁に行くようになった。酒の美味さを覚えさせた。思い切りカラオケで歌う楽しみも味合わせた。
 由子さんが自分の適量をまだ分かっていない時、少し深酒をした。家に帰り、朝方の三時頃まで便器を抱えていたと後日電話があった。二日酔いどころか三日酔いだったらしい。酒は間違うと恐ろしい飲み物であることがよくわかった、と当分の間言っていた。そんな由子さんを、優しく見守り続けたご主人に私は大きな尊敬の気持を抱いている。
 私が体調を崩し何度も入退院を繰り返したとき、誰よりもいち早く飛んで来てくれたのは、言うまでもない。多くのことをお互い学び合い励まし合った。人生最良の親友になれた。
 そうこうする内に、お互いの子供も社会人になった。子供は自分の人生を生き抜くだろう。二人ともこれからが本物の人生である。集大成に向かって限りなく自分を磨かなければならない。
 思い出や趣味のことなどなど話は尽きることは無い。早くも喫茶店の時計が十二時を回る。「また今度ね」と言いながらそれぞれの家に向かった。

講師評

文章を書くうえで、まず何よりも大切なことは、分かり易いということである。文章は言葉と同じで事柄や思いを自分以外の読み手に伝えるものである。だから、分かりにくいというのは致命的である。
 この作品は、作者とその友達との二十四年間にも及ぶ関わりが、分かり易く簡潔に書かれている。なぜそうなのかと言えば、短い文が重なり、切れ味がよいからである。ことさらに難しい文を書こうとしてはいない。これはちょっとしたコツとも言える。
 短い文章を書く場合、何を言いたいかということをはっきり書く。あれやこれやと何でもかでも書くのはよくない。焦点を明確にする、私の考えはこうだ、と明快に述べるべきである。この作品には、それがある。