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随 筆 ロンとサブ
         
柳 楽 文 子   
                                                                                 島根日日新聞 平成15年10月8日掲載

 ロンがとうとう死んだ。八年間の短い生命の灯を消した。母が亡くなって三ヵ月後に死んだのだ。私は一度に両腕をもがれたような空しさを感じた。
 私の麻雀好きから、ロンと名付けた犬だ。主人の勤務していた会社の社長の家で沢山生まれたので一番賢そうなのをもらったのである。可哀想な気もしたが、彼女≠セったので避妊手術をしておいた。
 ロンの目はとても愛くるしく、名犬ラッシーを小型にしたようだった。すこぶる賢かった。家の周りに放しておいても、決して逃亡などしなかった。時々、斐伊川の河川敷まで散歩に連れて行った。思い切り走らせ戯れた。ロンを抱きしめ土手を思い切り転げ落ちた。私の顔をペロペロと舐め回し、(楽しかったよ)といいたそうな目で見つめる。
「ロン、もう帰るよ」
 ロンは先になって車まで走った。
 ある日、私は庭で石につまずき前のめりに転んだ。ロンは私が起き上がるまで顔を後ろに向け、心配そうに見守っていてくれた。優しい心も持っていた。
 そんなロンの様子がおかしくなった。食事をしなくなった。いつもうとうとしている。慌てて動物病院へ駆け込んだ。人間並みに血液検査、レントゲン検査をした。
「肝硬変の疑いが相当強い。もう余命いくらもないと思うから、できる限り可愛がってやりなさい」
 お医者さんの診断だった。毎日のように病院に通い、点滴をし、苦しまないように薬を飲ませ、できる限りの手当てをした。
 だが、とうとう二ヵ月後、私の腕に抱かれたまま静かに一生を終えた。十分に手を尽くし愛情を傾けたから、別れの辛さは思ったより少なかった。ロンの亡骸は、我が家の山裾野に埋めた。大好きだったビスケットを供え、線香を立てて最後の別れをした。
 亡くなった母は(ロン子ちゃん)と呼んで可愛がっていた。犬が嫌いだった母の性質まで変えさせるほどのロンだった。ロンは、純粋な心と家族に対する感謝の心を表してくれた。ロンが死んで、私はもう犬を飼うのは止めようと決めた。
 二ヶ月余りたった頃、知人の犬が三匹の子供を産んだ。二匹は貰い手があったが、残りの一匹はどこに声を掛けても良い返事はないと言う。私にもお声がかかった。知人は私を拝み倒す。飼ってもらえないだろうかと一心に頼む。私は断り続けた。
 知人は、仕方がないので保健所に連れて行くと言う。それを聞いて、私の心は揺れ動いた。
 ある日、私はとうとう子犬を見に行った。目はクリクリとしていて、どこかしらロンを思い出す。耳はいくらか垂れかげんだ。尻尾は上向きに巻き上がり、柴犬の特徴が見られる。おつむの方は、あまり強くはなさそうだ。知人は、私がもう飼ってくれるものだと思い込んでいる。
 さんざん迷った。ロンの跡目は継げそうにないと思ったが、可愛い目をして私を見つめ続けるのでとうとう飼うことにした。知人は諸手を上げて大喜びだ。ドッグフードを一か月分ばかり早速車に入れてくれた。
「この子犬は何番目に産まれたの?」
「三番目よ」
「そうなの……。彼≠セから、名前はサブにするわ」
 我が家にサブが加わった。
 思った通り、サブは利口ではなかった。めったやたらに吠えまくる。排泄は思いのまま。私は腹を括り、サブとの対決に挑んだ。
 二メートルばかりの棒切れを持ち、吠える度に尻を思い切り叩いた。半月あたりが過ぎた頃から吠えなくなった。吠えたら痛いということが分かったらしい。まんざらの馬鹿ではなさそうだ。ひとまず安心した。
 大の排泄を我が家の畑でする癖を付けさせるのに、四苦八苦した。ペットを飼う人間のマナーの問題だから特に厳しくしつけた。散歩をする夕方五時前後まで我慢させるのに、一ヶ月以上かかった。用をするまで畑をグルグル回り、しなければ散歩はなしと決めた。この難問は何とかクリアした。私の執念が勝ったのである。
 サブのとても良いところは決して噛み付かないことである。だが鎖を離してみる勇気はない。どこまでも逃げ回るような気がする。まだ自分が柳楽家の一員だという認識など到底していないような感じだ。
 ロンと比べるとはるかに劣るが、それでも私を見ると喜んで尻尾を左右に千切れんばかりに振る。犬好きの私は、やはり可愛いと思う。
 半年くらい過ぎた頃、思い切って鎖を外してみた。玄関でちょこんとおすわりをしていた。これにはとても驚いた。サブが我が家の家族だと、自分からはっきりと認めたことの証である。
 サブが、家族になって今年で十二年が過ぎた。ロンは大そうなお金を使わせたが、サブは医者いらずである。少し食べさせ過ぎたかなー、と思うと翌日下痢をする。ウインナーに人間用の正露丸を押し込んで食べさせるとピタリと治る。
 時期になると彼女を求めて吠える。可哀想だが、治まるまでは家の中で飼う。人間で言えば、七十五くらいだと動物病院で言われた。童貞なので若々しい。
 サブを連れてロンのお墓に散歩に行った。サブは、お墓の周囲をグルグルと嬉しそうに飛び跳ねて、いつまでも廻っていた。

講師評

 犬を飼っている。ロンは賢かった。庭で転んだ作者を心配そうに振り返って見る仕草が、目に見えるようである。ところが病気になった。懸命に看護をするが死んでしまった。その辛さから、もう飼うまいと決めていながら、とうとう二匹目が家族の一員になる。前の犬より少しばかり劣るが、気が付くと十二年が過ぎていた。散見する作者独特の切れ味のいい言葉が、うまく生きている。冒頭に書かれたロンの死、そして、その墓を跳ね回るサブの対比が面白い。
 このところ作者は精力的に書き続け、九月だけでも十編になった。短いものだけだが、原稿用紙にすると六、七十枚にはなるのではないか。書き続け、自ら修正していく作者の作品は、しだいにうまさが見えてくる。