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随 筆 電柱と電線
         
田 井 幸 子   
                                                                                 島根日日新聞 平成15年11月12日掲載

 少し前の話になるが、ある新聞に「電線と電柱――最も子供たちに残したくない景観」と題する記事が載っていた。
 電力会社の片隅に身を置く者としては、ドキリとさせられるタイトルである。その記事は、まるで私のように小さく目立たず紙面の左下に陣取ってはいたが、「電線と電柱」の文字だけは四倍角の太字で、いやでも目を引くように書かれていた。
 それが記者氏のねらいであったろう。多分に主観が入っているように思われるのだが。
 記事内容を要約するとこうだ。
 国土交通省が募集した「子供たちに残したい&残したくないニッポンの道景色」に対し、メール等で千四〇四件の写真が寄せられた。その内の約二十%が「残したくない景観」の方に応募していた。内訳は、電線・電柱が三十パーセントで最も多く、続く看板は二十六%で、その差はわずか四%。なのに、ことさら「電線と電柱」を強調し、「残したい景観」の方に大多数の人たちが応募したにもかかわらず、それについて書かれていたのは、わずか五行である。
 おまけに結びはこうだ。
 ――国交省は「残したくない景観で電線や看板が突出していることからも、来年度から本格的に取り組む電線地中化予定や屋外広告物法の規制強化の必要性が裏付けられた」としている。――
 地中化、地中化と簡単に言うけれども、コストやメンテナンスのことなどを考えたとき、それがベストだろうか。記者氏の目には、電線と電柱が美観を損ねるものとしか映らないのか。
 私には、電柱が、長くて細い手と手を仲良くつなぎ合っているように見える。
 その先には、暖かな光に満たされた幸せな家族がいることまでが想像されるのだけれど、私の身勝手な見方だろうか。
 私は思い出す。
 四十余年前、初めて電柱に外灯が付けられて、ずらっと一直線に並んで点ったときを。それまでは、所々暗い場所にポッと裸電球がカサを被っているだけだった。当時、子供だった私は、そんな夜道を歩きながら(ああ、明るくてきれいだな。都会になったな)と、うれしがっていた。
 私は考える。
 バラにはトゲ、薬には副作用、人間にも表裏があるように、良いことずくめのものなどないのではないかと。電気のない暮らしが、もう考えられなくなってしまったのだから、あるがままの姿を少しだけ認めてほしい。
 と、こんなことを言っている私ではあるが、まったく地中化に反対というわけではない。
 先日、松江の塩見縄手と呼ばれる通りを訪れたとき、その景色にうっとりした。何と静かで美しい佇まいだろう。静かというのは、音がしないというのではない。目で感じる静けさだ。そこには電柱も電線もなかった。これこそが、まさに「残したい景観」ではないだろうか。
 同じ日に、松江駅前通りも通ったが、こちらも何十メートルか電柱や電線が取り払われていた。どのような理由でそうなったのかは知らないが、そこには美しさはなかった。雑然とした中で焼け石に水の感じがした。
 町並が、どこもかしこも塩見縄手のようであれば美しいと思う一方で、いかにも人間が生きていると感じさせるような、ごちゃごちゃした通りも私は好きだ。
 電気だって、必要としない時代が来るかもしれない。そうならないまでも、一家に一台の発電機が設置され、電線も電柱も姿を消す日がやって来るかもしれないのだ。
 いつか、いつの日かそうなったとき、「残したい景観」の中に電信柱におしっこを引っ掛ける小犬の姿があったり、古めかしい看板を付けた電柱が堂々と写っていたりして。(うふふ)
 想像を巡らせていると、記者氏への憤りはいつしか薄れていた。

講師評

 作者は電力関係の会社に勤めていることから、新聞に載せられた電線と電柱に関する景観の記事に目をとめた。それを読み、いろいろな視点から思いを巡らす。電柱の立ち並ぶ無味乾燥な風景に、幸せな家族を重ねた。そして、子ども時代の美しい情景の思い出にもつながった。作者の豊かな感性が、巧みに表現されている。
 段落の区切りに付けられた、(私は思い出す。)とか、(私は考える。)というような短い文が、柔らかな文章をより効果的に引き立てている。上手い使い方かと思う。
 小説でもそうだが、文章から情景が想像される作品というのは、心温まるものがある。