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随 筆 酒と私
         
柳 楽 文 子   
                                                                                 島根日日新聞 平成15年12月10日掲載

 今年もまた、忘年会シーズン本番の時期がやって来た。私が初めてお酒を口にしたのは、十八才の時だった。私の家では母屋を建て直す建築工事をしていた。
 取り掛かって約一か月後のその日は上棟式だった。親戚の人や大工さん、建設会社の人達と、それは盛大に行われた。
 親戚の爺さんはいくらか酔っ払い「文子、酒は旨いぞ、一杯飲んだらどうだ」と言いながら、盃になみなみと酒を注いでくれた。両親が酒の接待で、忙しく動き回っているのを確かめ、クィと一息に飲んだ。胸から腹からポッポとしてきた。甘口の酒だったらしく、めっぽう美味く感じた。
「文子、美味かろう。今日は祝いだ、どんどん飲めや」と勧められるまま、盃に五、六杯は飲んだ。そのうち目先がチラチラしてきたが、両親に見つからないようにさらに飲んだ。やがてお開きになり、皆賑やかに散り散りに帰って行った。頭がボーとし、歩くこともできず、自分の足ではないような感覚になってきた。後片付けに父も母も動き回っている隙に、這いつくばるようにして二階に上がった。
 朝、目が覚めたらちゃんと布団のなかにいた。何も知らない母が「文子、学校に遅れるよ」と階下から呼んでいる。私は学校どころの騒ぎではない。胸はムカムカ、頭は割れんばかりに痛く、体中の血管がガンガンと脈を打つ。やっとの思いで「風邪をひいたらしいので休むことにするわ」と返事した。「友達の昌江ちゃんに連絡しておいて」と、母に頼んだ。
 母は心配そうに置き薬と体温計を持ってきた。二日酔いとは決して言えない。体温計を脇に挟み布団の中で、擦り付けるようにして三十七度二分にした。
「風邪の引き初めなら、この薬で二、三日で治るわ」と、母が水と風邪薬を持って来てくれた。仕方なしに飲んだ。ついでに「母さん、胃の具合もおかしいけど」と、ちょっと甘えたように言った。「夕べの食べ過ぎたかねー」と母。「風邪薬は案外胃を痛めるから、大田胃酸でも飲んだらいいがね」と、今度は胃薬を持って来てくれた。
 二日酔いはあくる日には治っていたが、優しい母を裏切ることは出来なかった。
 その日から三日間、梅干とおかゆで過ごした。うんざりしながらも演技は続けた。もう酒はこりごりだとその時は強く思った。
 卒業して就職すると、結構飲む機会が多い。私はバレーボールサークルに入っていたので、対外試合のたびに酒席があった。酒がいつしか、心から美味しいと思えるようになった。
 ある日、友達とビアガーデンに行った。家から近くだったので自転車で出かけた。一人二千円で飲み放題、食い放題だった。ジョッキに五杯飲めば元は取れると、きっちり計算して飲んだ。トイレに行けばいくらでも飲めるものだと思った。だが、飲んだビールがすべて出るものではないらしい。したたかに飲んだあげく、散会になった。ヒョロヒョロする自転車に乗って帰った。
 我が家から百メートルばかり手前の家には、イガイガの木犀の生垣が二十メートルほどある。すっかり酔っ払っていた私は、その中に自転車もろとも突入した。ビールだけでも量を飲めば、相当酔っ払うのだということをまさに痛い思いで体験した。顔も手足も、洋服から出ているところは全てヒリヒリする。自転車を引きずりながら帰った。真っ先に鏡を見た。口の周りに、くもの巣のように赤い筋がうっすらとついている。手足も同じである。酔いが一気に醒めた。明日からどうしようと深刻に考えた。とにかくオキシフルで洗い、傷薬を塗りたくって様子を見ることにした。
 
明日は明日の風が吹く、エイクソ! もう寝てやろうと決めた。
 朝、恐る恐る鏡をのぞいた。幾らか赤い筋は薄くなっていた。大きいマスクを買い、それを付けて職場に行った。
「夜風に遅くまで当たり過ぎて、ちょっと鼻風邪を引いたらしいわ」と、自分では巧みなと思う嘘を並べた。社員食堂には、友人と会うかもしれないので行けない。誰も知らない場所で、外食をした。
 洗面所に時々行き、傷薬を塗りながら、鼻風邪だからという理由もあって、休むことなく出た。三日間で治った。少しばかり、厚めの化粧をし誰にも見破られることなく、この一件は無事に終わった。
 その年の忘年会は、親友の芳子さんと二人だけで、心ゆくまですることにした。二人で一年分溜まった心の垢や主人の長所、欠点、これからの生き方などをお互い、盃をかたむけて語り、充実した時を持った。二人で銚子を十本近く空けていた。料理も刺身、ホタテの焼き物、ナマコの酢物、どれもこれも、酒が進む物ばかりだった。私はそんなに酔った感じはしていなかった。
 それから、芳子さんが良く知っている可愛いい感じのスナックに行った。水割りを五、六杯飲んだ時から私は怪しくなった。あ、あ、もうこれで限界だと思い、タクシーを呼んでもらった。すぐに来た。
 その店は階段を十段くらい上がったところにあった。何段目からは覚えていないが、足を取られトントントンと滑り落ちた。タクシーの運転手さんも、芳子さんも慌てて「怪我はないの、このまま病院へ行こうか」と、心配してくれた。「大丈夫、なんともないわ」と言ってタクシーで帰った。
 あくる朝、腰から下が抜けるように、だるくて痛い。姿見に映しながら、大きいシップを三枚貼っておいた。四、五日、鈍痛は続いたが、知らぬ間に痛みは取れていた。
 無茶飲みは、体にも、心にも良くないことがしみじみ分かった。それ以降、たしなむ程度に、上品な酒を飲むことにしている。もう、三十数年、それを守り通している。

講師評

 歯切れのいい文章である。それは、短い文が重ねられているからである。一文が長いものになると、どうしても、「……が、」とか、「……ので、」などで続けなくては収まりがつかなくなる。長いからそうなるのか、「……ので、」などを使うからなのか、そのあたりは微妙だが、いずれにしても次から次と文が続く。だから、主述のしっかりした短文を書くようにした方が楽でもあるが、その分、味の薄いものになるということも考えなくてはいけない。
 味付けはどうするか。それは書き手の「ものの見方、考え方」を出すことである。事実を述べるだけでも面白い素材もあるが、さらに書き手が「自分の気持ちを語れば」読める文章になる。