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随 筆 挑 戦
         
小 村 美 穂   
                                                                                 島根日日新聞 平成15年12月17・24日掲載

 市役所の保健関係の方から、『温泉健康まつり』に体験発表をしてくれないかと言われた。特に目立った体験のない私には不向きかと思い、断わり続けていたが、ある日その案内のチラシを見た。それによると、講演の後、フォーラムのシンポジストの一人に、「私の健康法」として既に名前が印刷されていた。
 見れば大学教授の方やその道の有識者の名が連ねてある。身の引き締まる思いがした。と言って、今更断り切れないと悟り、私なりで素人らしく、ありのままの原稿を読むだけの発表でよいのだと開き直って、覚悟を決めた。
 しかし、どんなことを言えばいいのか分からないので、とりあえず原稿を書き、内容をチェックしてもらうことにした。
 暫く経ってから、そのままでよいという返事だったので、少しでもスムーズに読めるように、慣れて自信を付けようと練習をして本番に向かった。
 前日には友人に聞いてもらい、時間を計ると十分くらいで終わってしまうことが分かった。持ち時間は二十分である。それに少しでも近づけようと、多少付け加えて話すことにした。内容は、次のようなことになった。
――私の健康願望――
 今から十年前のことです。私は、かって自転車乗りのプロと言われるくらい、雨風の日に片手で傘をさして乗ったり、雪道でわだちが空いている中を走ったりしていました。ただ一つの私の足である乗り物だったからです。
 職を退き、夫の看病に明け暮れしていた時、神奈川県にいる妹が見舞いに来てくれました。
 家へ入るなり、「姉ちゃん、タクシーが待っているから、今すぐに自動車教習所へ免許取得の申し込みに行こう」と、有無を言わさず私を引きずるようにして行き、受講の日程を決めて帰ったのが、二月の末頃でした。
 折しも高校生の免許取得時期でしたので、ちょっと遅かったら先送りになるところを運良く入れてもらうことが出来ました。六十二歳の手習いとなったわけです。
 若い学生さんは二十日余りで、どんどん免許を取得して去って行かれるのを横目に見ながら、延々三ヶ月が過ぎました。補習も十数時間行い、やっと取得したのが六月の初めで、夫の亡くなる半年前でした。
 夫は私の運転する車を「若葉号」と名付け、助手席から「左オーライ」などと言ってくれていました。
 この運転免許を取得したおかげで今の私があり、健康を左右するほどの有益なものでした。
 平成温泉とのご縁は、折しも地元で温泉が掘り当てられ、想像もつかなかった温泉施設が出来ることになって、翌年からの開館を前に働くスタッフの選考が始められました。思いがけなく私に声を掛けていただいたのが、ちょうど夫の初七日を済ませた頃でした。
 子供達も一人暮らしになる私を気遣って、仕事に出ることを勧めてくれました。開館を前にした準備作業から、三日に一日の割合で勤めることになりました。これも車に乗れるからこそ実現出来たのです。
 こうして夫の死後の言い知れぬ淋しさもまぎれ、悲しさも薄らいで行きました。その上一人暮らしの不安をなくそうと、用心に犬を一匹飼うことにし、更に幸せを呼ぶためにもとパッピーと名付け、ことさらに呼んで心強さも加わりました。毎日二キロを目標に犬を連れて歩きました。
 八年間の温泉勤務では、多くの入浴客と親しくなりました。なかにはご主人の病後、奥さんの運転で通われ、しだいに元気そうになられる様子などを見るにつけ、必死に尽くされる姿がその後ろにはあると、敬意を覚えたものです。
 また、毎日のように来る女の人の顔が、白く、艶々として綺麗になられるのを見る程に、どんな化粧品を付けておられるのか尋ねてみようと思ったこともありました。
 足の痛い人が受付で、「温泉に入ると、明くる日、楽になるよ」と言って、少しずつ歩き振りが良くなられるのを見て、嬉しく思ったこともありました。
 私も遠出をして疲れた時など、入浴後のすっきりした気持ち良さに、体が軽くなっていったのです。
 座骨神経痛に罹った時、あの嫌な疼痛もいつしか治っているのを感じました。温泉は悪くなってからの治療では根気が要るが、初期の痛みは知らぬうちに治ってしまうとか、目には見えなくても予防のための入浴は風邪を引きにくくするとか、健康維持にその薬効が絶大だと、つくづく感じさせられています。
 去年の三月、七十歳の定年で平成温泉を退職し、毎日の入浴は叶わなくなりましたが、ちょうど四月から始まった、市役所の健康増進課主催の平成温泉での平成サロンへ、近所の人達と連れだって楽しく出掛けていまする
 血圧測定とか体脂肪のデーターを見て相談したり、簡単に出来る栄養料理の試食や食事に関する個別の指導を受けたりで、多くのことを学ばせてもらい、改善の方向付けもしてもらっています。
 その日は、重ねて二十分余りの時間を笑いながらのリクレーションとか、転倒予防の運動や小さい孔の空いているスポンジ状のソフティボールを使い、椅子に座って行う体操や深呼吸は全身が掃除をされるような気分です。そのほか、音楽では幼少の頃の歌を楽しく歌ったり、易しい楽器を使ってメロディを真剣に奏でてみたりもします。折り紙や香りによる癒しの効果、手足の指先、足の裏の刺激などの、自分で出来るフットセラピーや日によっていろいろ変わるものもあって、楽しみにしています。
 こうして習った運動は、朝、起きがけにベッドの上でテレビを見ながら行っています。自分で言うのもおかしいですが、真面目に取り入れていますので、しだいにその時間が長くなり、今は三十分ばかりかけるようになりました。
 平成サロンで勧められ、ユープラザでは体力検定を受け、易しい水中運動の個人プログラムを立ててもらい、週に二日か三日の自由な時間に通っています。
 そんなことの効果があったのか、体重は五十五キロだったのが五十三キロ台になり、体脂肪も三十五パーセントが三十一・六パーセントくらいまでに改善されました。当然のことながら、運動前後は平成温泉と同じ湯に、ゆったり浸って体を温めて帰ります。
 毎日、朝起きるとヤクルトのミルミルEとコップ一杯の水を飲みます。その効果なのか便通も朝にきちんとあるようになりました。
 朝食は日によって、パンにしたりいも類、ご飯、ある時はお餅、だんごなど、何を食べようかなと考えるのも楽しいものです。平成サロンでの指導で、朝はご飯がより良いと言われ合点したりもしました。
 ヨーグルトは菌を分けてもらい、低脂肪牛乳で作ります。抹茶とブルーベリージャムなどを混ぜたものが、朝の食事には欠かせません。寝る前にも牛乳を飲みますので、ヨーグルトは低脂肪牛乳で作った方が良いとの指導も守っているのです。
 そのほかに、我が家の庭に生えたドクダミとか、オオバコ、桑の葉などを陰干したもの、番茶や麦茶とか、紫蘇茶、そのほか思い付いたものを数種類煎じたお茶を一リットルくらいのポットに入れておきます。 
 ある時、家族の若い者に飲ませたら、番茶だけがいいと不評でしたが、この自己流ブレンド茶を私は毎日飲んでいるのです。
 健康食品としてのローヤルゼリーとか、ニンニク卵黄、香酢の錠剤を求め易い範囲で続けて服用しています。
 惣菜は野菜中心で、一人分だけ作るのも面倒ということもあって、余った分は小分けして冷凍します。もう冷凍庫は満杯です。
 畑も三十坪ばかり耕作していますが、無農薬栽培ですから菜類には害虫が付きます。その害虫を手で潰す気持ちの悪い感触にも慣れました。
 作物は一人ですので、食べ切れません。いろいろな人に分けて上げますと、「小村さんとこの野菜は、おいしいよ」と言われます。 
 趣味としては、気分転換にと談笑しながらの茶の湯に通ったり、俳句を作ったりしていますが、上達の域にはほど遠く、現在勉強中といったところです。
 歳は取っても学ぶことは良いと思い、興味ある科目だけでもと、出雲市の科学アカデミーの歴史学講座とか水の安全講座などに頭を突っ込んでみたりしています。
 ところが、私には残念なことが一つあります。カラオケが下手であることです。高い声が出ないので、リズムが狂い、恥ずかしくて歌えません。
 私の願いは、遠くにいる子供達に心配をかけたくないということです。それぞれが社会のために働き、定年を迎えるまで私が健在で次世代に譲れるように、あと二十年は不老長寿を求めていきたいと思っているのです。

 考えていることをうまく話すことはできなかったかもしれないが、こうして皆さんの前で思いを述べることが出来たのも、ある意味で私の心の健康法でもあるのだと思う。
 挑戦というものは、これで終わりということはないと考えている。

講師評

 思いもかけなかったシンポジストとして、大勢の人の前で発表することになった。一度は断ろうと思ったが、まさに作者は挑戦をした。
 人前で体験などを話すこと、あるいは文章を書くということになると、誰でも尻込みをする。だが、やってみるとさほどのことはない。やれば出来るということを作者は言いたかった。
 文章を書くためには、さまざまな約束事がある。まずそれを取り除く、つまりは理解すると、書くことが楽しくなる。
 文章を書く人には、その能力が備わっていなければならないという先入観がある。それも一理あるが、その前に、書くことは楽しいという自分を作ることである。文章を書くということは、もう一人の自分をそこに創造することだから、楽しくないわけがない。