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随 筆 もう一度の大山
         
遠 藤 由紀子   
                                                                                 島根日日新聞 平成16年2月4日掲載

 見ず知らずの人からいろんな話を開くのも、登山の楽しみの一つである。
 大山寺の駐車場で雲に隠れた頂上を見上げながら、私達同級生三人はどうしようかと暫く思案した。
「皆が登られるから登りんしゃい」
 草刈りをしているのおじさんのひと言で決まる。
 おじさんの笑った顔にシャッターを押して、登山口を出発したのは午前九時四分だった。遠慮なく続く急な勾配の山道が現れる。
 大山は初めての私である。山登りは初めてという孝ちゃんが、先頭を平然として登る。二度目の和子さんは、二人の歩きを見守りながら続く。
 フーフーと言う私達に、すれ違う人が笑顔を向ける。
「まだだよ」
 その人は、朝五時に登ったが、その山道は沢だったと言う。私達より大変だったのだ。
 四合目で初めての休憩をする。私は迷わずおにぎりを食べた。百円のそれで、この満足感は大きい。元気が出る。二人も座り込んでおにぎりを食べた。
 登ってきた中年の女性に和子さんが問いかける。
「大山へは、よく来られますか?」
「毎週……。大山は練習に適した山。けど、この辺では一番きつい山だよ。来週は利尻富士へ行くんです」
「私達は初心者で……」
 和子さんが言う。
「綿は乾かないから、ポリの入ったシャツを一枚買っておくといいかもね。靴は登山靴だと足を保護していいよ。山の上は花が咲いてきれいなはずだよ」
 要領を得た爽やかな言葉を残して、その人は登って行った。
 急峻な坂段は、六十センチもある。段の高い所は避けて、少し距離が長くなっても低いところを選んで歩く。
 九合目は木道である。高くなったせいで風と霧が出て来た。初めての経験である。赤ん坊が怖いものに出会うと母にしがみつくように、道の横に張られたロープに掴まる。恐る恐る歩く。強風に木道から振り落とされそうだ。
 霧で周りが見えない。恐怖が倍増する。小学生が這っている。
「こわい。やめーか……」
 風のせいでもないだろうが、孝ちゃんの声が震えている。なぜか周りの誰も冷静だ。
 私が中学生の時だった。大荒れの海を高校生の男の人に混ざって泳いだ事がある。あの頃は泳ぎに自信があり、海をよく知っていた。今は年を重ね、未知の世界の不安と恐ろしさが分かるから命を大切にしたいと思う。
「大丈夫だよ!」
 頂上を極めて下って来た人の言葉で、不安が解消する。頂上へ向かって踏み出す。
 十一時四十四分、千七百十一メートルヘ着いた。二時間以上かかっている。
 視界ゼロ。だが気分は爽快である。
 西日本最高峰からの景色を期待していた気持ちの前に、とりあえず登りきったことで満足している。疲れてはいるが、満足感を顕わにした顔をフィルムに刻みつけた。
 何合目だったろうか、(えらくて――)と言って休んでいた若い女性が、大小の石をリュックに背負って登って来た。(すごい!)という言葉が自然に出た。少しばかりの優越感で追い越した私は恥ずかしかった。
「ご苦労さん。立派、立派」
 どこの誰だか知らないが、年配の男の人が蜜柑を渡した。皆が拍手した。その拍手が大空にこだましたように思えた。
 大山の自然を守る『一木一石運動』である。訓練の一環として自衛隊が協力し、むしろを背負ったり土嚢を担いだりすると聞いた。多くの人の力で大山は守られていることを実感した。
 あじさい、しもつけ草、からまつ草のどの花も、下界で咲いているよりきれいな姿で迎えてくれる。
 どこでどう変わるのか分からないのが、山の天気である。下山の時は、雨に遭った。おまけに私は右足に痛みを覚えたが、なんとか頑張り、少し遅れて無事下山した。
 午後三時過ぎだというのに、ペンションの風呂が沸いていた。疲れが体から抜けていく。
「疲れた。もういいわ、あんたも足を傷めるしね。止めるだわ」
 黙々と先頭を歩き続けた孝ちゃんが私を気遣って言う。
「念願が叶って満足。もう一度登る」
 と、私。
 孝ちゃんには予想もできなかった言葉だろうが、私の本心である。
「山登り初めての孝ちゃんを大山へ誘って反省――」
 大山は二度日の優しい和子さんが孝ちゃんの肩を叩いた。
 私達の話を聞いていたペンションのオーナーが言った。
「そこに山があるから登る、と言われるよね。頂上の景色もいいが、途中の自然に触れ、自分のペースで登る。その時々の気持ちを大事にしてね」

 雲の中隠れた山よもう一度

◇作品を読んで

 同級生と伯耆大山に登ることにした。ところが麓に着いてみると、悪天候である。どこかのおじさんが、「登りんしゃい」と優しい土地の言葉で元気をつけてくれたが、頂上近くなると激しい風雨になった。作者は、中学生の頃を思い出す。通りかかる人達も励ましてくれた。いろいろな人に出会い、勇気づけられ、考えさせられながら登山を無事に終えた。気持ちの流れが、短い文章だが上手く書かれている。
 この作品の原型は、一昨年の夏に書かれたものである。作者は一年半もあたため、何度か書き直して今回の作品にした。したがって、最初に書かれたものよりは格段に文章の切れ味がよい。この情景はどう表現したらよいか、友達の彼女はこう言ったが、それをどう書けば気持ちがよく伝わるか、と作者は考えた。書いた後で読み直して書き直すという推敲は、最低限の文章作成手順である。推敲には終わりがない。文章というものは、磨けば磨くほど光るのである。(古浦義己)