TOPページにもどる   ウエブ青藍トップにもどる

随 筆 十年日記
         
小 村 美 穂   
                                                                                 島根日日新聞 平成16年2月11日掲載

 見慣れた白い封書が、極端に言えば毎日のように郵便受けに投げ込まれている。
「集めるよろこび、ひろがる世界フランクリン・ミント」と書かれ、ワンタッチで開封できるようになっている。中身はさまざまな品物の紹介と宣伝、そして、予約申込書が入っている。全て一目で選り分け、要らないものは直ぐにごみ箱へ捨てないと、たちまち山になってしまうのである。
 何がきっかけで、こうなったのであろうか。
 昭和六十年頃だったか、源氏物語五十四帖の名場面が描かれた「源氏物語飾り扇」コレクションに始まったような気がする。二十四個の五本骨で華麗な王朝の雅が、表と裏に描かれたものだった。
 当時、たまたまある家へ訪問した時のことである。玄関にその優雅な絵扇が飾られてあり、その高尚な趣味から家人の品格が偲ばれた。その強烈に引き込まれた時の印象が忘れられなくて、有無を言わずに予約注文をしていた。その頃は、ひと月に一個宛の郵送を楽しみに待ち侘びたものである。
 オルゴールコレクション「思い出の唱歌」を購入したこともあった。有名な童謡が磁器製の小函に詰められ、その蓋や函の周囲に歌の情景が美しい色彩で描かれていた。今でも、メロディの懐かしさを折に触れて楽しんでいる。
「世界花の旅」上下巻は、孫を出産する嫁に見せたら胎教に良いのではと求め、調子に乗って「美しき日本の自然」も加えた。
 それらの全巻は、未だゆっくり見ていないが、いつでも見ることができると思って楽しみに残している。
 本棚にずっしりと置かれている昭和五十年頃の純銀製「都道府県メダルコレクション」もある。
 よく考えてみると、この一連のコレクションは亡き夫ゆずりである。
 夫とは集める趣味に多少の差はあるものの、似た者夫婦であったと言えようか。それを今に引き継いでいると思う。
 平成十三年十月発行の十年日記「花暦」も好奇心のなせる業だった。かねてから三年日記は続けて更新していたにもかかわらず、今、私の手元に「十年日記」が置いてある。
 厚さ六センチ位の皮革に似せた材質の紅い表紙には金箔押しで、十年日記「花暦」とあり、オリジナルデザインで文字と同じ金箔仕上げの蔦模様が施されている。重厚な書籍といった感じの日記帳だ。重いのが、玉に瑕と言えようか。
 表紙を開くと、布製の薄い群青色をした見開きに自筆で、

  平成十四年一月一日 
   古希を期して十年日記始む
   平成二十四年も元気で
     記録を残す事を望む
             美 穂

 最初に筆を入れる時に覚悟したその一端が伝わってくる。
 ふと気付く。十四年から十年といえば、二十三年で終わるのをなぜに二十四年……と書いたのだろうか。おそらく単純な数え間違いと思うが、無意識のうちに八十歳代も続いて書く意志が働いていたかもしれない。
 そうだとすれば、重ねて傘寿も十年日記の記録を残せそうな気がしてくる。
 次のページは繊維入りの白く手触りのよい和紙が一枚、続いて金銀の箔を散りばめた厚手で枯れ草色の紙の真ん中に「花暦」と同じ筆跡で入れてある。更に、国民の祝日、休日、節気、年中行事が書かれていて、次は二〇〇一年から二〇一二年までの暦が四ページに、二〇〇二年から二〇一一年まで二ページに亘って続き、月別で日付の横にちょっとしたメモを書くことのできる枠も作ってある。
 一月一日の欄に入ると、半分はページいっぱいに夜明けの松とでもいうような枝振りが描かれ、片方に十年の日記が十段に分け、年と曜日が印刷されている。端の方には、一月一日の花「松(マツ)」不老長寿と説明書き。ちなみに、一月二日は「万年青(オモト)」母の愛、とあり、万年青の絵が美しく日本画の色彩で背景の色も花に合わせて塗り分けられている。まさに、日々新鮮な気持ちを甦らせてくれるようで、絵を鑑賞しながら楽しく書き進めてゆくことができるのである。
 この「十年日記」をつけることによって、果たして天の女神は私に不老長寿の恵みをもたらしてくれるだろうか。
 今年は、三巡り目の正月を迎えた。

◇作品を読んで

 三日坊主という言葉は日記のためにあると言えば、日記帳には失礼だが、それはともかく、年末から年始にかけてどの書店にも新しい日記帳が並ぶ。
 年頭に真新しい日記帳の第一ページを開く時は、「さあ、書くぞ」という緊張感と、どんな心模様が書かれていくだろうかという特別な感慨がある。だが、続かないことを体験した人は多い。
 随筆も小説も同じだが、テーマを明確にするという方法はどうだろうか。たとえば、その日、自分のとっての喜びは何だったろうかと。それが、ほんのささやかなものであっても。
 作者は、三年連用から、更に十年という思いを込めて十年日記をつけている。振り向けば、いつも喜びが書かれているというのは素晴らしいことではないだろうか。