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随 筆
   私の誕生日               佐 藤 桂 子

                        島根日日新聞 平成14年8月14日掲載

「おばあさん、おめでとう」
 誕生日の朝、食事の時だった。中学三年の孫娘の恵美が、私に一通の封筒を手渡した。もう六年前からの慣例になっている。
「ありがとうね」
 手紙が入っているはずである。読むのは、あとの楽しみにして封筒をテーブルの下に置いた。
 今年は、古希となった。一休宗純は浮かれ立つ正月に、骸骨を掲げて街を歩き、『門松や 冥途の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし』と詠んだといわれる。新しい年を迎えた正月に、生きる喜びを分かち合うことは、まことに素晴らしいと思うが、はかない命の現実を忘れ去ればただの空虚な喧騒にしか過ぎない、という意味である。古希は、暦をたどれば誰にでもやってくる。まさに、めでたくもあり、めでたくもなし、といった心境である。
「ハッピーバスディ、ツーユー……」
 五年生になる孫の和弘が歌い、皆がそれに合わせ、(おめでとう!)と、一斉に言ってくれた。この年まで元気でいることができたことに感謝して手を合わせ、(めでたくもあり、めでたくもなし)と思ったことは忘れ、祝箸を開いた。
 誕生日といっても、ことさら特別のことをしてもらうわけでもないが、三世代の食事のメニューが、それを現している。
 私には、年寄り向きの「軟らかい煮物」、子どもたちには「ボリュームのあるもの」、お父さんは「酒の肴」である。数えてみると、結構メニューが多い。
 私のメニューは、好物の「寒鮒の刺身」、「チラシ寿司」、「手毬?(ふ)」と「かいわれ」のお吸物といった簡単なものだったが、今年は特においしいと感じた。なぜだったろうか。
 食後の片付けも早々に、自分の部屋に入り、早速、孫からの手紙を開封する。これが私の誕生日のうちで、一番幸せな時である。
 ――お誕生日おめでとう。今日で七十才だね。私は、おばあさんのおもしろいところ、やさしいところ、そして叱る時には、いつもちゃんと叱る。そういう所が大好きなので、恵美は、おばあちゃんに、もっともっと長生きしてほしい。――
 きれいな文字でそう書かれていた。
 孫の両親は、どちらかというとあまり怒らない。というわけばかりでもないが、私は怒る役目をしている。さぞ、嫌われているだろうな、と思っていたので驚いた。
 叱った時は、無言でいるので、機嫌を悪くしていると思っているだろうが、こちらとしても実はあまり良い気分ではない。仕方のないことと感じていたが、そんなふうに思っていてくれたのか、と改めて知った。
 子どもはいつか必ず大人になる。それは分かっているが、大人に近づきつつある孫たちの成長が嬉しくて、私の部屋でひとり涙した今年の誕生日であった。
講師評
 誕生日の朝、孫たちが祝ってくれた。作者は手紙をもらい、家族の歌を聞いた。七十才になるのは年を経れば当然で、さほど珍しくもないし、めでたくもないと思ってはいるのだが、祝箸を開いた瞬間、「この年まで元気でいること」を感謝する思いが胸の中にわいて来た。――この辺りに作者の喜びが、よく表されている。
 お膳は、三世代同居のこともあり、それぞれに似合ったメニューである。それにも家族の喜びの願いが込められていた。作者の喜びが文章の背後から伝わる。
 食事が終わって自分の部屋に入り、「そっと」孫娘の手紙を開く。いつも嫌われているのではないかと思っていたが、そうではなかった。「涙した誕生日」の言葉が、よくその気持ちを現している。暮らしの中から、切り取られた場面が、うまく書かれている。

                       (島根日日新聞客員文芸委員/古浦義己)