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随 筆 節分の日
         
園 山 多賀子   
                                                                                 島根日日新聞 平成16年2月18日掲載

 二月三日――節分である。
 平安朝の頃には、大晦日の夜には追儺とか鬼やらいなどといって、豆を撒き、悪魔払いをする風習があったという。その名残が、節分になったものらしい。
 我が家では、節分の前日に豆を煎って一升桝に入れ、神棚にお供えをする。
 その朝、いつものように早く目覚めた。今日一日のスケジュールを立てる。氏神様へのお参りは、私の担当である。
 お参りもだが、昨日、武田書店から芥川賞受賞作品の本が入ったと電話があったので、それを早く読みたい。二十歳の若い女性の作品「蛇にピアス」「蹴りたい背中」である。魅力あるタイトルだ。一体、どんなストーリーだろう。胸が騒ぐ。
 塩冶の句会の日でもあるから、そこから足を伸ばしてみよう。私の足どりは決まった。早速、飛び起きる。雨も雪も降らない。好都合である。
 朝飯前に氏神様の参拝をして、厄払いをしよう。思い付いたら、即実行である。身支度をして飛び出した。
 既に明るくなって車の往来はあるが、さすがに人通りは少なく、全く人影はない。少し気後れはあったけれども、勇気を出した。歩道を歩けば安全だ。転ばぬように一歩一歩踏みしめる。踵を先に地につけ、ちょこちょこ歩きでなく、早足で歩幅は広く、両手は後手に組んで歩くと均整が取れる。他人目には、不格好なスタイルに見えるかもしれないが、老齢の自分なりに考慮した歩き方である。なるべく直線に添い、無駄足を踏まない心掛けも大切だ。
 約一キロの道を歩き、鳥居の前に到着した。百段以上の階を登ることになる。中央にしつらえられた手摺の世話になり、随神門まで一気に達した。ちょっと背を伸ばし、阿吽のこま犬を見過ごすと神前である。参拝の人影は皆無だった。一粒の豆も落ちていない。どうやら私が第一着の参拝者らしい。境内は森閑として厳かで神々しい。
「福は内、鬼は外」。豆を撒いて額ずき、家族の安泰を祈って拝礼をする。お稲荷さん、天神さんにも豆を撒いて滞りなくお祈りをした。
 下り坂は楽だ。鳥居まで降り、石段に腰を下ろして小憩。と、自転車に乗った中学生くらいの男児が軽く会釈をして階に寄って来た。私は「おはよう」と礼を返した。早暁の神社参拝である。彼なりのお願いごとでもあるのだろう。
 折り返しの経路も独りだ。裏山のお墓にもお詣りして、所要時間は五十分だった。強行軍だったけれども、余り疲労を感じない。朝食にも間に合った。
 十一時二十六分川跡駅発の電車に乗るために家を出る。途中、みぞれが降り出して来た。今日に限って傘を持っていない。だが、電車を降りた頃には、それも止んだ。
 本町の武田書店に行くには、科学館前で降りるのが賢い。道順がいいからだ。待望の本を二冊買い、出雲市駅まで歩いた。駅南口からは、さすがにタクシーを拾って塩冶公民館まで行く。「寒いのに、ようこそ」と、柳友馴染みのお迎えが嬉しい。
 会に出席する利点は、生の声を聞くのと発表紙を見る感覚とでは全く違い、実感が湧くことである。新鮮な感覚の句に頷き、ユーモアの句に爆笑する。その感動、出席したリリシズムが味わえるのだ。
  ほろ苦い愛を貫く蕗の薹
  弾まない手毬もみんな寄っといで
  浮気した毬は追わないことにする
  ユーモラスな鬼には五色豆を撒く
 句会の成績はたいして振るわなかったけれども、楽しかった。それにしても、駅まで送ってもらったりして、老人は足手纏いである。しかし、どこに行っても親切にされ、感謝感激だ。お陰で三時のバスに間に合って、早く帰宅出来た。
 息子夫婦も大社へお参りをしたらしい。皆それぞれの願いで、神様も忙しいことだ。夕刻になると、息子は豆撒きだ。居間から、風呂場、車庫、トイレに至る家中の全てだ。聞いていると、「福は内」の掛け声がどうもおかしい。どうやらカタカナ語らしいが、果たして鬼に届くのだろうか? 福の神も苦笑される一齣だった。
 節分とあれば、夕食には蕎麦が欠かせない。焼いた鰯を食べ、頭は柊の枝に刺して玄関に飾って厄除けとする。関西では、この数年前から、恵方に向かい、巻き寿司を丸かじりをするようになったらしい。食物に関する行事は、どこでも受け入れられ易いのだろうか。スーパーから黒豆の入った巻き寿司を買って来たけれども、切り分けて食べることにした。
 節分の一日、心温まる多彩な収穫があった。明ければいよいよ春分である。春が訪れる。
「暗い時代を生き抜く若者の受難と喪失の物語」「愛しいよりも、いじめたいよりももっと乱暴なこの気持」――買って来た本にある帯の言葉が私をそそのかす。作品に投影された熱き思いが、卒寿の老女の涸れた心の潤いになってくれることを信じたい。
「お休みなさい」と、亡父の遺影に話しかける。「ご苦労さん。今日も忙しかったね。風邪引かぬよう。肺炎になったら恐いよ」と、労りの声を聞いたような気がした。気のせいだろうか……。 

◇作品を読んで

 節分には豆まきをするのが普通だが、能義郡では柴を焚いてぱちぱちと音を立てながら煎るらしい。隠岐島では家の外周りに柊の小枝を挿し、出雲では作品にあるように柊の枝に小魚を挟む。それを髪の毛で巻いて火に炙り、厄挿しと言って戸口に立てる。だが、高齢と言われる人達が若い頃には日常的な情景であったはずのこのような民俗的風習が、現在どれだけ残っているのだろうか。
 いま見ることの出来ない風習を若い人達はどれだけ理解しているのだろうか、あるいは自分が経験した一時代前のことを残しておきたいという思いで作者は、知る限りのことを幾つか書き残そうとしている。この「節分の日」も同じ思いであるに違いない。