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随 筆 森に還った原風景
         
大 田 静 間   
                                                                                 島根日日新聞 平成16年2月25日掲載

 誰からも見捨てられた径になっていた。
 四十年ぶりに訪ねた我が家の畑に通じる径である。
 人ひとりやと擦れ違えるだけの切り通しをいっとき進むと、粘土質の地肌から黒光りのした石が幾つも顔を覗かせる坂にさしかかる。足元を確かめながら、いささか危なげな勾配を登り切ると、そこは春の風が吹き抜けていた。
 正面を望むと、なだらかな段々畑が開け、振り向けば松の枝の隙間から日本海の青い色が目に入ってくるはずであった。
 しかし、踏み均されて光沢のあった石たちは雑草の中に没し、段々畑は輪郭までも消え失せ、見えるはずの紺青の海は繁みに遮断されていた。
 鬱蒼とした草木の中を怖ず怖ずと進み畑を目指したが、入り口と思しきところには人の背丈ほどに伸びた熊笹が密生していた。
 かつて私が小学生であった昭和二十二年頃は、誰もが生きることに懸命な時代であった。
 祖先たちが斧と鍬で切り拓いたであろう畑地に、さつま芋を植えて主食にした。 秋には農繁休校があり、子供たちも体重を超える荷を背負い、剥き出しの石を足裏の感触で確かめながら行き来した。
 重い荷物を背負って山へ担ぎ上げる職の人を歩荷というのだが、あたかもその人達が不確かな山路を進むとき、先人の固めた跡をなぞって辿るそれにも似ていた。
 そして、四十年前、都会という磁場に吸い寄せられように、私はこの地を離れたのだった。
 いま、古里に帰り、訪ねてみた我が家の畑は門戸を閉ざし、外貌は闖入者を阻んでいるように思えた。
 私は、永く心の奥底に閉じ込めていた罪の意識に捉われた。幼い頃、生きるための糧と忍耐を育んでくれた地に背を向けたことへの慚愧の念であった。
 迂闊にも遠い少年の日、脳裏に焼きつけた景観は、未来永劫に存在するものと安易に考えていたのだ。
 時代の変転で顧みられることのなくなった畑山が、森に還ることは当然の成り行きであった。
 帰る道すがら考えた。
 この森は、生きるために畑地として一時借用したものではなかったろうか。そうに違いない。そうであれば、この時期が、きらきらと輝く少年期であったことに感謝せねばならない。
 畑地は、畑山は、生活の整った時代に自然に返還したのだ。
 振り返って見た我が家の農地は、豊かな森そのものだった。

◇作品を読んで

 四十年ぶりに訪ねた我が家の荒れた畑を見た感慨が書かれています。タイトルを一見すると、いったい何が書いてあるのだろうと思わせられます。その意味では、よいタイトルだと思います。書店などで、初めて本を手にしたとき、目がいくのはタイトルだからです。
 本文については、第一行がその導入なのですが、凝縮された一文が見事な切れ味を見せて、ずばりと情景の中に読み手を取り込みます。たとえば、「○月○日のことだった。私は、四十年ぶりに我が家の畑を訪ねた。」とあったとすれば、読み手を引きつける何物もありません。
 作者は危なげな勾配のある坂を登り切り、爽快感を味わうはずでした。ところが案に相違して、かつての原風景は消え失せていたのです。その情景が衝撃的でした。そして、これを書こうと決めたのです。古里を思う感慨が、書くという衝動につながりました。
 その風景を見ながら、幼い少年時代に思いを馳せ、「使わせてもらった土地」を自然に還したのだと書き手の哲学を示して結んでいます。短い文章ですが、選ばれた言葉が光っています。