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小 説 余生に花束を 
  
         穂 波 美 央   
                                                                                 島根日日新聞 平成16年3月17日掲載

 タミ子さんとは、いつも長話になる。受話器を取ってから、もう十五分経った。そう思いながら、私も喋っている。
「ねね、この間、吉田屋のトキエさんがね、新聞配達の途中で転んじゃったそうよ」
「へぇー、どうしてまた」
 さほど驚いたようにも思えないタミ子さんの声だ。
「ともかく自転車が倒れて、その弾みで木の切り株で頭を打ったんだって。意識不明だったそうだけど、救急車が来たら乗るのは嫌だって言われたらしいわ」
「でも、乗らないわけにはいかないでしょうに」
「そうそう、で、強引にね。そのまま入院されたそうよ」
「トキエさんは普段でも二つくらいネックレス付けとられるから、意外にハイカラさんだなと思ってたわ。でも、それは安全のためのお守りだって信じてるって言っておられたけど」
 お守りは効かなかったというわけだ、と言いたかったが、私はその言葉を喉の奥に飲み込んだ。
「ふーん、そのご利益かしらね、入院位で済んだのは。七十半ばを越えとられるけど、コマネズミのように働く人だし、これまでに何度も怪我して、それでもへこたれずに早朝の新聞配りをされてたから、ほんに不死鳥のような人だと思っていたわ」
 そうそう、と頷いているようなタミ子さんの顔が見えるようだ。
「坂道でも自転車をこいで上がったり、猪みたいに突進して走られるんで、暗い道で出会うと危なくていけんだったわ」
 雪の日の事件を私は思い出した。
「いつだったかしらね。暗い雪道から川へ滑り落ちられたことがあったわ。どうしてあんな小柄な体で、二メートルもの崖を自転車も持ち上げて這い上がられたか知らんけど」
「新聞配達の途中でしょう?」
「そう。自転車と積んであった新聞が濡れて重くなったのを引き上げられたんだけん。火事場の馬鹿力って言うけど。まあ、その時は、新聞は新しいのに取り替えて、事無く配達されたってんだから」
「そうねえ。何と言っても昭和の初め生まれで、山家育ちだし、四キロ離れた学校への山坂の往復を歩いて通われたからねえ、頑丈な体と根性の持ち主だわね」
 そういうタミ子さんは、町家の生まれだ。
「新聞を配られるようになってから、もう長いわね。ご主人が亡くなられる前からだもん」
 言いながら、私は思い出した。
「こんたびの入院で白内障、それも両眼の手術を受けて退院されたらしいよ。さすがに朝早くからの新聞配りは無理って思われたか、止められたと聞いているけど」
「そうらしいわ。一度に失業するのも淋しいのかね、また新聞社から頼まれたらしいけど、夕刊配達をされてたわ。範囲をせばめて……」
 タミ子さんは、勢い込んで続けた。
「今までは早朝の新聞と夕刊配り、昼間は田圃や畑の仕事っていう働き者だっただけに、朝刊を止めてからは、空いた時間に近所の俊さんとこへ、農作業の手伝いにせっせと通っておられたそうよ」
「そう言えば、いそいそと仕事に行かれる姿を見かけたことがあったわ」
 なぜかタミ子さんは、少し間を置いて言った。
「……そうするうちに、俊さんとこに住み込んでおられるっていう噂を聞いたけど。でも、俊さんは独り身だから不倫にはならないわね」
 私は初耳だった。 
「それはそうだけど。確か、俊さんはトキエさんより五歳若いはずだよ。私、還暦の祝いが一緒だったからね」
「男やもめにウジが湧くって言うけど、トキエさんのことだから、見ておれなくて賄いもして上げるうちに、ならばいっそ一緒に食事して、仕事が終われば近くの温泉へでも連れだって行けば、ということになったんじゃないの。時たま、そこの食堂で二人が外食されてるのを見かけたことがあったわ」
 それならば行き着くところは決まっているのではないか、と私は思った。タミ子さんは、勝ち誇ったような言い方で続ける。
「初めの頃は、近所の人たちは驚いとられたし、息子さんからも厳しく言われたらしいけど、まあ、我が道を行くとか言うから、聞く耳はなかったらしいよ」
「ふーん。そもそもよ、トキエさんには失礼かもしれないけど、国民年金を六十歳から受けとられるから満額は貰えないんで、その補いに新聞配達をしとられたからね。それも止めたら収入も少なくなって痛手だし、少しでもと手伝いに行かれるようになったんじゃないかしらね。想像だけど……」
 そう言いながら、私は少し羨ましい気持ちもしないではない。(いや、いけない。そんな考えは)と頭を振って追い払う。(でも……なあ)と思う。
 タミ子さんが、更に追い打ちをかける。
「作業場みたいな家だって言うけど、それでも広くてね、二間続きの部屋の明るい座敷もあるし、家から通うよりいいと思われたんではないかしら」
「ご主人を亡くし、歳は取ってからでも再び女を呼び覚まされたとなると……。ウブな娘みたいになって何も見えんようになって、立場も外聞も考えられなくなったかも。推測だけど」
「そうだとしても、この歳になって、恋だの愛だのと、それも激しいもんじゃなくて、共生って言うか、そういう楽しみや互いに静かな生き甲斐が生まれるものならいいじゃない。周りに迷惑をかけることじゃないし、健康である限り、いい余生かも知れないなあ……」
 どうやらタミ子さんも、羨ましいと思っているのではないか。
「そうねえ。一人で強がりを言ってるより、食事ごしらえにも張り合いがあると思うねえ」
「俊さんだって、もそもそと一人での食事より、作ってもらえるとなれば有難くて楽しいんではないかしら」
 だんだんと、話はトキエさんの生き方に賛同する方向になって来た。タミ子さんに誘導されているかもしれない。
「それにね、互いの健康にもいいし、俊さんは交際の広い人だから、来客の接待なんかも女手があるのと無いのとでは受けも違うしね」
 タミ子さんは、自分の手のうちに引き込もうとしているのだろうか。
「あらゆる面で相互扶助の同居人ということかしら」
 そう言われれば、そうだと思える。でも、私は踏みとどまる。
「いくらいいことだと思っても、誰でも同じように出来ると思う?」
「そりゃあ、それぞれの立場があったり、経済的な面もあるから一概には言えないと思うよ」
 私は、ちょっと話題をそらしてみる。
「そうそう、この間、トキエさんとこで、亡くなられたご主人の十三回忌の法事があったらしいわ」
「あの人のことだから、親戚づきあいも畑や田圃の耕作も今までと変わらずにやっとられるわね。信念を貫くってことかなあ」
「他人が、とやかく言うもんではないわね」
「そうよ。トキエさんの勇気ある余生に花束を贈りましょうよ」
 やっと話は落ち着いた。
 電話機のディスプレイには、通話時間四十五分と出ていた。
「こんにちわあ。ごめん下さい――」
 玄関で、若い男の明るい声がする。
 私は髪に手をやり、唇をちらっと舐めて走り出た。

◇作品を読んで

 小説は、会話と地の文で構成されているものがほとんどである。もちろん会話のないものもあり、会話だけでも小説として成立する。小説の形などというものはないからである。しかし、会話と地の文の割合はどうかと聞かれたら、基準があるわけではないが、おおむね三と七のくらいと答えることになるだろうか。つまり、会話より地の文の多い小説というのが、普通だということである。
 会話は話し言葉だから、書き易いように思えるが、しっかりした会話文というのは実は難しい。なぜなら余計なことや重複したことを書いてしまうことが多いからである。たとえば、冒頭に、「でも、乗らないわけにはいかないでしょうに」と「そうそう、で、強引にね、そのまま入院されたそうよ」というのがある。これを「でも、救急車に乗らないわけには……」と書くのはまずい。「そうそう、で、強引に乗せられてね、そのまま……」も同様である。
 この作品は会話が半分以上を占めている。電話でのやりとりという設定もあってテンポが早く、短い地の文がさらにそれを強めている。内容は、近所の噂話だが、実は誰でも話題にしたいことでもあり、それが面白さを増している。題材をどう見つけるかということでもあるが、何でもないようなことでも扱いによっては興味ある素材になる。
 島根日日新聞文学教室で幾つか小説が書かれた。この作品は新しい試みの一つである。