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日 記 風のシンフォニー 
  
         原  美代子   
                                                                                 島根日日新聞 平成16年4月14日掲載

三月三日 水曜 曇
雲の切れ間から射す冬の陽に、産毛をつけたヨモギが荒地で銀色に光る。麦畑の斜面で、手篭いっぱい摘んで祖母に作ってもらった三色菱餅。お雛さまにお供えする。出雲地方は月遅れの節分をお祝いするから、今の子どもたちは今日である。だから、二回もするお家もある。

三月四日 木曜 曇
三寒四温――「グワッ、グワッ」大小無数の鳴き声で目が覚めた。障子を開けると雪を被った旅伏山を背景に、コハクチョウの群れが鍵の手になって飛び、一瞬の間に私の視野から消えた。庭木を覆う一面の淡雪が、ナンジャモンジャの白い花のように見えた。

三月七日 日曜 雪
墓地公園に、短靴が埋まるほどの新雪が積もっている。木々の隙間から射す太陽光が屈折し、仏さま、菩薩さまの光明のように輝いていた。線香の煙が冬空へ垂直に昇っていく。石段を降りながら雪を割って伸びた土筆を見付けた。新しい命の息吹き。

三月九日 火曜 晴
身を刺すような冷たい風だが、明るい春を伴って来た。黄色い花が小手まりみたいに集まって咲くサンシュの枝先に、小鳥が止まった。よく見ると寒雀。この頃の雀は餌の乏しい冬期でも、羽毛は艶々、ふっくらと丸くて可愛い。サンシュを一枝、床に生けて客を待つ。

三月十二日 金曜 晴
築地松の簸川平野、松江湖畔のビルが、うっすらと霞んでいた。朝靄にしては淀んでいる。車から降り、空を見上げて黄砂のためだと気づいた。中国大陸の黄土地帯で巻き上げられた砂塵が、偏西風に乗り、海を渡って日本に来た。黄色いベールと思えばロマンがある。

三月十三日 土曜 晴
雲ひとつない空。洗濯物を干す頭上で、トンビが旋回している。鳴き声も高い。何が欲しい? 私が欲しいの? いつの間にか、一羽だったのが二羽になり、仲良く飛んでいた。なーんだ、相手がいたのね。スニーカーを履いて散歩に出る。白い野良猫が私に付いて来た。

三月十六日
湖水の西を走る軽便鉄道でもあった一畑電車。モダンな建物の北松江駅。二階はレストラン。待つ人来なかった青春の苦い思い出も懐かしい。時の流れの中で、ガラス張りの駅舎に。松江しんじこ温泉駅と名称も変わった。「足湯のある駅」。待ち時間を立ち煙る湯気に誘われた。

三月十八日 木曜 雨・曇
出雲風土記に登場するイザナミ、スサノオが祀られている須衛都久神社にロマンをみた。社の西に高くそびえ立つホテルでこれから食事会。船の道標であった灯籠、そして赤い寒椿を見ながら、集う熟女の話題にわくわくする。顔や尻尾が欠けているこま犬に情けを寄せた。

三月二十二日 月曜 雨
降り出した雨に、テニスを楽しんでいた高校生が自転車を連ねて帰って行った。コートの脇に植えられているヒガンザクラが満開。花びらは幼い頃、古里の砂浜で拾った桜貝に似ている。桐の箱に入れ、タンスの奥に仕舞ってある。無情の雨、思い出と一緒に散らさないで。

三月二十六日 金曜 晴
新聞紙面が真っ黒になるほどの官公庁職員異動の活字。親戚、友人の名前を探すのも容易ではないが興味がある。かつて、娘が生まれた時、どんな名前にしようかと思案した。そして、教職員の異動表から選んだ。娘が高校に入った時、その先生の名前が退職者欄にあった。

三月二十七日 土曜 晴
平田の愛宕公園。桜のシーズンを迎え家族、職場のリクレェーションなど、早くも夜桜見物の場所取りなのかシートが幾つも敷いてある。灯りが入れられたボンボリの下で賑やかな交流。ふと、甘く、優しく、ほろ苦い私の過去に繋がる。足元には見向きもされないスミレが…。

三月二十八日 晴
高瀬川沿いに五つの碑が建った。勝部其楽、伊原清々園、原石鼎、若槻禮次郎、中島魚坊。郷土が生んだ文豪達。偉業を伝えるのは生きている者達の務め。八雲公園で除幕式と公民館での座談会。「文芸の小径」と名付けられた散歩道で「頂上や殊に野菊の吹かれ居り」を読む。

三月二十九日 晴
お店で若草色のえんどう豆を見つけた。甘い豆の香りがするご飯が食べたくて買う。温室育ちであろう。畑では、篠竹の柵に蔓を巻きつけたえんどう豆の苗に蕾がついていた。細い体を摺り寄せながら、重い雪を背負い、身を切られるような霜にも耐え、越冬した過程を思う。

三月三十日 雨・曇
満開の桜の花びらを散らさないように、絹糸のような春の雨が鍾愛する。人の欲望は満たされるとそれ以上のものをまた要求したくなる。そんな邪心を洗い流してくれそうで、傘もささずに濡れてみる。「相合傘で歩きたい」。新たなときめきの瞬間。甘美で心憎い春の雨。

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◇作品を読んで

 日記の中で文学性の濃いものを「日記文学」という。普通は、紀貫之の「土左日記」から、南北朝初期の「竹むきが記」までの範囲の作品をさす。もともと日記は他人に読ませないという前提で書かれている。だが、最近は公開目的で書かれるものが多くなった。その最たるものが、インターネット上で流通する日記である。
 風のシンフォニーは、自分で制作されたホームページにも掲載されている。このような日記を読むことが面白いのは、そこに書かれた他人の生活が浮き彫りになっているからである。
 この作品、つまり日記は公開目的ということもあって、よくまとめられている。作者は、約百二十字という制限枠の中で範囲内で書いている。しかも、「毎日書く」という条件を付けてである。
 誰でも出来ることではないが、文章練習という視点からは面白い試みではないか。

※参考 わたしの風土記  http://ww6.enjoy.ne.jp/~myk1/