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随筆 五年生、あのころ
  
         田 井 幸 子   
                                                                               島根日日新聞 平成16年6月24日付け掲載

 昭和四十年、私は小学校五年生になった。前年には東京オリンピックが開かれ、その時の熱気がそのまま続いているような年であった。
 新幹線、カラーテレビ、自家用車、新しい物がどんどん生み出され、小学生をわくわくさせたものだ。頭に「夢の」を付ければ、それらはますます輝いて見えた。大袈裟かもしれないが、目に映る世界が白黒からカラー写真になったように思えた。
 とにかく楽しかった。
 笑いが止まらないことがたびたびあった。放課後、何でこんなにおかしいのだろうと言ったら、ある友だちが、
「私たちは、箸が転んでもおかしい年ごろなんだって」
 と教えてくれた。妙に納得してしまった。それでまた、思う存分笑うことができた。
 考えてみると、それまでの私はこんなではなかった。白黒の世界で、じっとしていたように思う。何がきっかけだったか。多分、いろいろなことが重なり合って、それらが明るい方に作用したのだろう。
 ひとつだけ、鮮明に覚えているできごとがある。
 家庭科の時間だった。裁縫箱を片付けているとき、いつの間にか私のそばにやって来た一人の男子が、
「うわぁ、すげぇー。いいなぁ。木の裁縫箱か。本物だね」
 と、私のを指差して言ったのだ。
(えっ?)
 とっさに頭は疑問符だらけになり、何も言えなかった。
 少し間があって、ようやく、
「あっ、これ? お母さんの使ってたお古だからね」
 と、答えたのだ。
 今まで考えてみたこともなかった。これが本物ですごい物だなんて。私はみんなと同じ、プラスチック製のピンクの箱が欲しかったのだ。
 クラスでたった一人、桐箱に椿の花と鳥の絵が描いてある古めかしい物を持って来ていた。使うのには、かなり勇気がいった。一年生のとき買い与えられた黄色いランドセルに始まり、こんな思いを何度も味わってきた。
 さっきの男子は、もう興味を失くしたのか遊びに出かけた。
 皮肉を言ったのではなさそうだ。私に同情して、励ましたのでもないらしい。ごく自然に感想を言ってくれたのだと思うと、しみじみ嬉しかった。
(本物か……。そういう見方もあるんだ)
 私の中で、何かがふっ切れた。
 人と違う物を着たり、持ったりすることは恥ずかしいことではない。買うゆとりがないから、ある物を持って来たまでだ。古い物を大切にすることは、良いことなんだ。少しばかり目立ってしまうのは仕方ないけれど、堂々としていよう。
 人を見る目も変わった。
 素敵な言葉を贈ってくれた、あの男子。おっちょこちょいで、お調子者。先生にいつも怒られては、立たされている。――自分とは異質な人間――と思っていた。それどころか、成績の悪さを理由に、下に見ていたふしさえある。
 彼は転校生だった。それも同じ学校へ戻って来た格好だったから、何かの事情で転々としていたと思われる。こんなことがあるまで、彼についてほとんど何も知らなかった。友だちの噂話で、初めてわかった。
 父母のどちらかが本当の親ではなく、片親の違う弟や妹のいることが。
――さみしいんだ――
 私は自分との共通項が見つかったことで、急に親しみを覚えた。
 あの言葉は、もしかして優しさに裏打ちされたものだったのだろうか。
(ありがとう)なんて言わないうちに、彼はまた転校していった。

 あれから、もう四十年。笑いが止まらなかったのは中学一年ごろまでで、それからは人並に、晴れたり曇ったりの道を歩いて来た。
「今までで、一番楽しかったときは?」
 と聞かれたら、私は迷わず、
「小学五・六年生」 
 と答えるだろう。そして、心のアルバム、五年生最初のページをめくって微笑む。
 本当の友だちが、今も私のそばにいる。
◇作品を読んで
 四十年前、作者は小学校五年生だった。はやりのプラスチックの裁縫箱でなくて、母が使っていた古めかしい木のそれを少しばかり恥ずかしい気持ちで持って来ていた。作者は、ある男子の「本物だね」と言ってくれた言葉に驚き、彼を見直し、共感を持った。そして、その男子を「本当の友だち」だと思ったのである。最後の一行のために、作者はこの文章を書いたのではないだろうか。「何かがふっ切れた。」「人を見る目も変わった。」という言葉が、それを表している。
 書かれている順序が自然で、母の愛情や古いものを大事にしなければいけないという気持ちもうかがえ、情景が頭の中にすっと浮かぶ。どこから見ても読み易い。幼い日の感動的な思い出が幾つかの光る言葉でさりげなく書き込まれ、見事に表現されている。