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随筆 山のにおい
  
         山根 芙美子   
                                                                        島根日日新聞 平成16年7月8日付け掲載

 平田市の次の小さな駅、布崎で降りると目の前に船川が流れている。川を渡らずに、山に沿ってしばらく歩き、回り込んだ谷のひとつに祖母の家はあった。何十段かの石段があり、家の後ろはすぐ山の傾斜になっていた。
 月の夜など、綿を繰ったり、機を織ったりしていると狐が出てきて、石段を上がったり下りたりして遊んでいたという。
「それで化かされなかった?」
 幾たびも聞いたものである。
「こっちが悪さを仕掛けなければ、何もしないよ」
 祖母の答えはいつも同じであった。
 そんな祖母の織った絣の布団がある。二センチほどの正方形を組み合わせたいわゆる布団柄で、地は藍だが模様は明るい青だ。母が嫁ぐときに持ってきたのであろう。裏地の紺木綿はちょっと触れても裂けるほど弱っているが、表の絣地は織って間もないようにしっかりしている。解くことにする。
 縫い糸は織り地の一部のようになっているので、ゆっくり糸切り鋏を使う。今の布団と違って丈が短い。よく見るとミシンが使ってあるから縫ったのは母であろう。
 耳は、つらないように鋭角に五ミリほど鋏が入っている。地糸が少し残してあるのは、模様の中央を示すようだ。
 ふと気がつくと、不思議なにおいがする。少し饐えたような懐かしいような独特のにおいである。
 幼いとき、母に連れられて祖母の家に泊まると、歳の近い従姉弟たちと布団を並べて代わる代わる怖い話や謎々をしたものだが、眠ろうとするといつもこのにおいがした。
 ゴーという、山を渡る風の音や、めったに雨戸を閉めないので、庭土を打つ雨音が手の届く近さで聞こえたり、得体の知れない動物の足音が近づいてくるように思えて、慌ててごつごつの布団をかぶるとき、いつもこのにおいがした。そして自分の家ではないことを思い出して、ほんの少しさみしくなるのだった。
 あまり好きになれないにおいだったが、私はこれは山のにおいだと長年思い込んでいた。
 今になってやっと、藍染めのにおいであることに気付いた。
 子供の頃のことは、妙に鮮やかに覚えている部分があるものだが、祖母の家の庭の端に梨の木があった。甘いが、小さくて堅い実がたくさんなって、夕日に影絵のように浮かぶのを見るのが好きであった。何時の頃からかなくなって、多羅葉が植わっている。
 家のはずれには、椿がたくさんあって、藪椿のほかに紅白のしぼりが八重の花弁を重そうに開いていた。伯父が亡くなった時、棺の中が寂しいというので、弟叔父と二人で背負い籠いっぱいの花を摘んできて隙間を埋めたこともあった。
 春先、繁りすぎて切られた花枝を貰って帰り、大きな水盤に活けたりしたのは、ずっと後のことだ。
 茅葺で田の字の間取りは、建て替えられて立派になった分、昔の面影はなくなったが、納屋の前の石垣の上に立った祖母が、往還を帰ってゆく私たちに、何時までも手を振っていた姿が思い出される。
 ゆうに八十年はたった布団だが、解き終えた両手の、ことに親指と人差し指は、藍色に染まり、やっぱり山のにおいがした。

◇作品を読んで

 誰でもそうだが、遠い昔の記憶で忘れられないものを幾つか持っている。それは、人であったり、風景や映画や音楽であったりする。作者のそれは、「におい」であった。田舎の風景にとけ込んでいた、かまどや囲炉裏でくすぶる煙、五右衛門風呂の下で燃える薪などのにおいは、生活様式の変化とともに、しだいに消えてゆく。
 作者は、絣のにおいを山のそれだと長年思い込んでいた。八十年も経った布団を解きながら、山のにおいは絣だったのだと気がつく。だが、やはりそれは山のにおいにしておくことにした。おそらく作者は、指を藍色に染めながら、子どもの頃を思い出し、懐かしい風景や人との出会いを思い浮かべたことだろう。においは脳の奥深いところで、過去の記憶と強くつながっているかもしれない。