デンマークにおける高齢者福祉の構築(U)
                    デンマーク研究会 関 龍太郎
 
 デンマークにおける高齢者福祉対策の現状が報告されるなかで、日本側からの質問が多く出される。その中には繰り返し質問されるものも多い。今回は、1991年10月、ベント・ロル・アナセン氏と伊東敬文先生を招いて行なった講演会での質問と回答を中心に報告する。ベント・ロル・アナセン氏はデンマークの福祉大臣、ロスキル大学教授、高齢者医療制度改革委員会委員長等を歴任している。
 
(Q)訪問看護婦の数およびホームヘルパーの給与水準はどうなのか
(A)全国でホームヘルパーは2万7千人、訪問看護婦は3000人。自治体のレベルでいえばネストベッズ市で人口45000人でホームヘルパー350人、訪問看護婦は30人である。ホームヘルパーの給与は決して高くない。その仕事内容は通常の専業主婦と同じであり、特別な教育とか訓練は必要なかった。1990年までは、ホームヘルパーの教育は7週間でよかった。1991年からは1年教育になっている。社会的地位もそれほど高くない。フルタイム(37時間)で働いても年収12万クローネ(240万円、月収にして20万円)、しかも、税金で40〜50%は引かれるから、実質の年収は7万クローネ(140万円)くらいということになろう。教育期間が長くなると若干は改善されるであろう。
ただ、デンマークの場合は公的サービスが充実しており、学費、医療費等は完全無料である。これに対して訪問看護婦は年収18万クローネ(360万円)である。したがって、人々に人気があり、競争率も高い。
 
(Q)日本では、老後のための貯蓄が盛んであるがデンマークではどうか。また、社会保障制度が完全であることで、勤労意欲は低下しないか。また、さらに消費税のような間接税は行われているのか。
(A)デンマークでは年金は100年も前から行われており、個人が老後のために貯金することはない。ただ、引退後、海外旅行することなどを目的に、貯金することはある。勤労意欲を測る基準はいろいろであるが、労働時間という基準で測れば日本は世界一であろう。デンマークは西ヨーロッパの諸国とほぼ同じであり、37時間である。しかし、労働参加率という物差しで見れば、デンマークの勤労意欲は世界一であろう。男女とも、90%が働いている。1980年の既婚女性の就業率を見ると、59歳以下で80%、59〜60歳で64%、60〜64歳で31%になっている。また、デンマークでは、税率は非常に高い。所得税は50%、さらに、間接税もあり、その税率は22%である。これらを財源として高齢者福祉を実現しているわけである。他のヨーロッパも、ほぼ同じである。ドイツ、オランダ、フランスも40〜50%、日本は30%である。しかし、日本では、このほかに医療保険とか積立金がある。したがって、かなりの率を支出している。みんなが生活の質を上げるという合意が得られれば、福祉に税金を使うことが可能である。デンマークでは今が限界であると感じている。1992年にネストベッズ市では0.4%税金をあげる。このことで1000万クローネの税収があるが、半分は児童に半分は高齢者福祉に使うということも決まっている。この原案に21人の議員のうち19人は賛成している。2人が反対している。税金不払党の議員も賛成している。
           
(Q)高齢者福祉の充実の背景に宗教の影響はないのか。死にたいしての恐怖はどうか。
(A)北欧全般で言えることであるが、デンマークにおいては宗教の影響力は非常に小さい。あまり、神様をあまり気にしていない。死に対しても死ぬ者は死ぬで、仕方がないと思っている。国民のほとんどはルター系プロテスタントの国教会に属しているが、教会に行くのはクリスマスぐらいである。南ヨーロッパのカトリックの国々では、教会がボランティアを組織して、高齢者福祉を行っている例もあるが、デンマークでは宗教に期待するのでなく、公的セクターで福祉を行う道を選んできた。1970年、自治体改革を行い、それまで1000以上あった自治体を275に整理統合した。そして、70〜75年にかけて、各種法律により、福祉事業の窓口を一本化し、自治体に権限を委譲してきた。この行政システムで高齢者福祉をしている。
 
(Q)デンマークでは要介護老人のためのマンパワーとして、ボランティアという選択はなかったのか。
(A)もし、ホームヘルパーという公的な制度を整備しなかったなら、デンマークには悲惨な高齢者が続出していたであろう。ほとんどの女性が仕事についているのでボランティアをあつめることが不可能であった。それは、70年以降、女性が仕事で外にでることによっても、はっきりと表れている。家事はまさにボランティア的な仕事であった。女性がこのボランティアを拒否したのである。たとえば、ホームヘルパーという職の行なう仕事は、実質的に家事と同じ仕事である。外で働くことにより、給与を得ることが出来、また、税金を払うことで、その市の福祉の財源を確保しているのである。基本的に市民の生活を守るようなことはボランティアに任せられないという考えがデンマークにはある。
 
(Q)デンマークの70歳以上の同居率は3%(1988年)ということであるが、以前はどうであったのか。また、過去は老人の世話は主婦がしていたのか。
(A)100年前はかなり同居率が高かった。ゲルマン民族には親子で契約を結ぶという制度があった。隠居所とか食物をいくら用意するかを全部契約書に細かく書いて、市の裁判所で契約をしてきた。しかし、子供が都市に住むという形が一般化するなかでこの制度はこれてきている。すなわち、1960年代には、3割の女性しか仕事をしていなかったが、1991年は、ほとんどの女性が仕事をしている。その結果、1960年の後半から、高齢者福祉が充実してきている。高齢者福祉で働く人が1960年には、25000人であったのが、今では80000人になっている。同時に、親と同居しないということは、子供を見る人もいないということなので、保育所も充実せざるを得なくなっている。
 
(Q)3%の同居しているのは、どんなケースか。
(A)同居しているケースというと、大抵の場合、親が子供を見ている。子供が親を見るのでなくて、結婚出来なかった息子とかを親が見ているケースが多い。80歳のお母さんが60歳の息子に食事をつくったり、洗濯したりしている。子供が親を介護するのでないケースが多い。
 
(Q)デンマークでは、税金をとられるという意識はないのか。どういった過程でそのようになったのか。
(A)税金をとられるという意識はない。みんなの合意で今の税率が決められている。歴史が、そのような風土を生んだと思う。少なくても300年は大体市民に耳を傾ける王が多かった。国というものが、みんなのものという意識がそだっていった。その結果が国を信頼するという国民性を作られている。
 
(Q)女性が社会進出していって、マンパワーとなっているということになると、結果として、従来は家庭の中で機能が完結していたものが、地域の中で完結するようになったと考えられる。しかし、将来はどうなるのか。また、過疎では若者がいなくなるのでどうなるのか。
(A)確かに、高齢化率がたかくなると大変である。コペンハーゲンが高齢化率が25%ですので、言われるように地域で完結出来にくくなっていた。市内ではホームヘルパーが見つからない。郊外からといっても通勤に時間がかかるので難しい。したがって、今、中年とか高年のホームヘルパーを見つけようとしている。しかし、本人が働く気持ちにならないといけない。そこて募集のための情報作戦が必要であると思っている。日本でも、情報作戦は必要であると思う。
 
(Q)デンマークでは市町村に仕事を委譲するとか、分権化を強めるということをしたということであるが、日本の場合、仕事だけが市町村におりてくる感じがする。デンマークではどうであったのか。
(A)厚生省は1990年(平成2年)6月に、分権化の法律を臨時国会で通したのですが、法律そのものは、デンマークに似ている。しかし、デンマークでは、同時に税制をはじめ、あらゆる行政改革をしている。日本では、厚生省以外の改革がついていっていない。確かに、日本ではデンマーク以上に問題が多い。
 
(Q)痴呆の人はデンマークでは、どこで生活しているのか。島根県の場合、3割の方が特別養護老人ホームで生活されている。したがって、徘徊を繰り返す方がおられて、今の寮母の定員では苦慮している。施設の職員は痴呆のひとを人間らしい生活をさすために努力している。デンマークではどうなっているのか。(A)痴呆対策は最終的にはプライエムでしている。しかし、結構の数、在宅で生活している人もいる。施設よりも在宅は住み慣れたところですので、身体で覚えているところもあって、ホームヘルパーが定時的に来ることによって生活リズムが出来ることもある。痴呆老人には2つのタイプがあると思っている。ひとつはアルツハイマーというタイプのように医学的に認められている痴呆である。記憶力が著しく悪くなる。そういう人は本人は徘徊したりするが、本人は異常だとは思っていない。こっちが勝手に異常としている。そういう人の場合、その人に合わせて、そのレベルで、そのテンポでもって支援していくことが大切である。デンマークとかスウェーデンでは小さいグループでもって支援することが試みられている。このような痴呆は医学の治療はない。もうひとつのタイプは隔離、孤立が原因でおこる痴呆である。独房なんか入った若者にも同じような痴呆が見られている。高齢者でわれわれが痴呆と呼んでいるケースの中にこのようなケースがあることがわかってきている。このような人に対する治療は全然違う。隔離とか孤立をなくすとか、社会的役割を提供する。自分のアイデンティティを人間関係の中で作れる。そういう状況をつくることによって症状が消えていくことが明らかになってきた。したがって、高齢者福祉の現場で働いているスタッフはこの2つのタイプを見分ける訓練が大切である。
 
(Q)高齢者でない障害者も同じサービスなのか
(A)原因は問わない。障害が同じならどんな人でもサービスが受けれる。市民は平等であるのでニーズによって対応する。年齢は問わない。その人のニーズにあわせてサービスが行われていると理解してよい。
 
(Q)福祉というと貧困のイメージが日本にはあるのであるが、デンマークではどうか
(A)デンマークでも1960年以前はあった。重要なことは情報をみんなに知らせることである。福祉を特別なセクションにしないようにして、一般のひとが来るような場にすべきである。そうしないと来にくい。また、だれでも、権利があるという形の方がよい。申請したが受けれないというような所得制限があれば、なくすることが大切である。デンマークでは1957年の年金法の改正をはじめ、このころから救貧法の性格をあらためてきている。
 
(Q)デンマークとかスウェーデンでは当事者の参加はどうなっているのか。専門職のかかわりあいはどうか
(A)当事者との協約なしでは法律は出せない。私の委員長をした高齢者の委員会にも3人の高齢者が参加した。デンマークでは大きなことは国の法律で決めている。例えば、ホームヘルパーをもたないといけないと決めているが、この自治体に何人かとかどのような活動するかは、各自治体で決めている。したがって、各自治体でどうするかは、利用者との協議できめる。ここにも当事者の参加がある。また、プライエムには必ず利用者委員会があり、プライエムの人事、運営に利用者の意見が反映している。このようにデンマークには、どの段階にも必ず当事者の参加がある。専門職の参加も同様である。
 
(Q)デンマーク改革の過程では市民運動の関与はあったのか
(A)60年から70年の運動の中では組織された女性の力という形では明確にはない。2分の1が女性であり、その意見を常に行政に反映してきた。職業の選択の自由もあった。そのために、保育園とかプライエムが必要となった。福祉というと社会民主党というふうに理解されがちであるが、これは社会民主党だけの問題でない。みんなの問題である。2分の1が女性である。その力でもって今の行政をつくっている。
 
(Q)デンマークと日本の違いは何故生じたとのか考えられるか。
(A)ふたつファクターがあると思う。ひとつは日本は戦争に負けたことによって、復興を大切と考え経済復興に力が入った。もうひとつは企業が生涯雇用したり、年金を保障したことにより、その人達は恵まれたから意見が出なくなった。日本は、今、福祉対策をしないと会社も企業もこれ以上は出来なくなってきていると思う。
 
(Q)老後の不安、教育費、結婚費用のことはわかるのですが。18才の子供の生活費はどうなっているか
(A)結婚するまで、または23才までは、家にいて親が生活費を出したり、一部を子供が出したりすることはある。大学生はアルバイトかローンによって生活する。親に頼らないで自分の責任で生活するのが一般的である。ローンを借りた場合は総背番号であるので借金はどこにいってもわかる。いろんな形があるが、基本は自立である。政策として奨学金があったこともある。
 
このような質疑応答の中でも、デンマークにおいて、如何に基本的人権が大切にされているのか、高齢者対策の三原則(自己決定、生活の継続性、自己能力の活用、)が生かされているのか、民主主義が根付いているのかを理解出来た。

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