デンマークの高齢者保健福祉政策に学ぶもの(U)
                    デンマーク研究会 関 龍太郎
デンマークの高齢者保健福祉政策から何を学ぶかについては、「島根の国保」の1990年の5月号で取り上げ表1を示した。島根県においても、ここに記載している点については着実に多くの成果をあげつつある。当時、国がゴールドプランを制定し、県も「高齢者2000年プラン」を示している時であった。94年1月は全国各市町村で「老人保健福祉計画」の策定が最終段階を迎えている時である。今回は、前回示した表のなかで「すぐ出来るもの」としてあげたものものの評価を行いたい。
 
1.「基本的人権についての考えの徹底」の評価
表1にみられるように、「すぐにでも、出来るもの」として九点をあげている。その一点目は「基本的人権についての考えの徹底」をあげている。ポイントとして、@基本的人権について学ぶA民主主義について学ぶB弱いものを大切にする社会をCノーマリゼーションの考えの徹底、の四項目をあげている。この四項目についてみると、3年余りで少しずつではあるが、理解が深まりつつあると感じる。この考えは大切にすべきものであり、今後も日本の高齢者問題を考える時の基本とすべきである。今後も、この考え方にもとづいてより具体的に、どうしたらよいか煮つめる必要がある。
 
2.「デンマークを出来るだけ多くの人に知ってもらうこと」の評価
二点目にデンマークをデンマークを出来るだけ多くの人に知ってもらうをあげている。この点は、最も進んだ点として評価出来る。スタデイツアーが県内から6回も派遣された。90年12月、91年12月、92年2月、93年8月と11月、95年3月である。この他に他のツアーに参加した人を含めると島根県下約85名の人がデンマークを自分の目で見、自分の耳で話を聞いたことになる。その成果は大きい。参加したメンバーの中には市町村長、第一線の行政に携わるもの、病院長、医師会役員、大学教授、保健婦、看護婦、福祉関係者もいる。結果は今、各市町村、特別養護老人ホーム、老人保健施設、病院、地区住民等の中で具体的に生かされつつある。このツアーの参加者が行った報告会や講演、各種の書物や新聞での報告は数えることすら出来ないほど多い。また、デンマークから人を招いての講演も行われた。伊東敬文先生、アナセン教授、ウィルソン高齢者課長、ヨールセン施設長、クリステンセン医師等が島根県を訪づれ、講演をした。また、93年9月には訪問看護婦ダンボーさんと作業療法士ヤコブセンさんを安来第一病院等に招いての研修も行われている。
また、91年5月の益田をはじめ、その後松江、西郷、平田において、「高齢化社会を良くする会」が発足した。今も定例会を行いながら活動を続けている。さらに、93年4月には島根県鳥取県でデンマークに行ったことのある人を中心に「デンマーク研究会」を発足して、日頃の連携を密にすると共に研究活動をしていることも注目すべきであろう。また、このメンバーが日本公衆衛生学会においても、89年以来、毎年「自由集会デンマークに学ぶ」に関与している。最初はデンマークの高齢者福祉施策を紹介するテーマであったが、しだいに、日本にどのように展開すべきかになっている。94年には鳥取で行われ、訪問看護、母子保健が取り上げられている。
このように、デンマークを知ることから、島根県においてどうあるべきかを視点にいれた活動になりつつあることは評価すべきである。
 
3.「デンマークの高齢者福祉の三原則」の評価
表では高齢者対策の中で「自己決定権」「生活の継続性を浸透さす」と記している。これはデンマークの高齢者福祉の三原則を示している。三原則とは「自己決定」「生活の継続性」と「自己能力の活用」である。この三原則はあたりまえのことのように保健福祉医療の関係者には浸透しつつある。11月に松江で行われた「中国地区医療社会大会」においても、この三原則が大会のメインテーマとしてとりあげられた。また、安来にある老人保健施設「昌寿苑」の運営の基本理念にも取り上げられている。このあたりまえの三原則があたりまえのものになっていない現実に注目すべきである。どの老人だって「自分の老後の過ごしかたは自分で決めたい」「どんな老人ホームに入るのかは自分で決めたい」「自分の起きたい時に起き寝たい時に寝たい」「個室の老人ホームに入りたい」「自分の部屋は自分の趣味で持って飾りたい」「歳をとってもおしゃれがしたい」と思っている。この「自己決定権」が保障されているとはまだ残念ながら思えない。それどころか日本の老人はデンマークに比較して部屋の隅に押しやられている。次に「生活の継続性」はどうであろうか。「自分は自宅で生き自宅で死にたい」「自分の友人のいる場所で暮らしたい」「老人ホームに入所するとしたら個室で安心空間を継続したい」などが本音ではなかろうか。日本の現状では、本人の自己決定とか生活の継続性の主張の結果として「在宅に居る」のではないのではなかろうか。入院を継続すると医療費がかかるので市町村も病院も家族も大変だから家にいるという現象がおきている。もちろん、病院が経営的に大変だというのは現在の医療制度が在宅重視の点数制度で実施されているからである。では、デンマークの高齢者福祉対策のもう一つ原則である「自己能力の活用」はどうであろうか。日本の場合、自分の能力とか残存能力を生活の中で積極的に生かすという文化は弱い。スウェーデンでは年金生活者になってからの大学に行く人を多く見かけるという。日本の場合、高齢になると「隠居」とか「しゃもじを渡す」という言葉というふうにこもってしまう考えがある。私が25年以前に生活していた愛媛県の南予地方には老人は隠居部屋で生活し母屋は次の世帯に渡すという「部屋母屋制度」があった。このような、考えが「自分の残存能力」、「自己能力」の活用を最大限に生かすということを拒んでいるように思える。先日、桜井良子さんの講演で日本の文化では、コップに水が半分入っていると、「半分しか残っていない」と考えるがるが、ヨーロッパの文化では「半分も残っていると」考えるという話を聞いた。歳をとっても、「自立して生きる」という考えの弱いことが残存能力を最大限に活用として生きるという考えを弱くしているのではなかろうか。隣近所とか親戚にしても、かまわずにほっておくという考えは弱い。安来に来た訪問看護婦ダンボーさんの感想でも、「安来のスタッフは手をかけすぎる」ということであった。日本には「なにか年寄りを床の間に飾っておくような文化」がある。
いづれにしても、デンマークの高齢者福祉の三原則である「自己決定」「自己能力の活用」「生活の継続性」は、今後の日本の高齢者の保健福祉医療をすすめるにあたって極めて重要であると考える。
 
4.「生活リハビリ」「地域リハビリ」の必要性に関する評価
この3年間で寝たきりゼロ作戦の中で生活リハビリ、地域リハビリの考えは浸透した。91年に川本保健所に理学療法士が、92年に雲南保健所に作業療法士が、93年に西郷保健所に作業療法士が配置されたことも大きい。これらの保健所に配置された理学療法士、作業療法士の実践が生活リハビリ、地域リハビリの意味を県内の市町村に浸透させていっている。寝たきりゼロ作戦の中で、行われている「寝たきりゼロ作戦シンポジュウムにおいても、91年度は大熊由紀子氏、92年度は大塚宣夫氏、93年度は林玉子氏を招いて、安静を最良とする事の誤り、早期リハビリの重要性、椅子にすわらせることの意義、住宅改善の重要性等の考えが浸透しつつある。93年から島根県においても住宅改善の予算がわずかながら見られるようになってきた。
 
5.「ホームヘルパーの重要性の確認」の評価
ホームヘルパーの増員の計画が進んでいる。平成2年度に249名が3年度は305名、4年度は388名、5年度は508名(見込)となっている。確かに日本には家庭の中に他人の援助を入れたがらない文化がある。しかし、核家族化、子供の意識の変化、都市での子供の就職、過疎化、同居率の減少等の要因はホームヘルパーの必要性を余儀なくしている。島根県の高齢者2000年プランでは平成12年に1,000名のヘルパーを見込んでいる。各市町村の立てている「老人保健福祉計画」では1,200名余が市町村で積み上げられている。ホームヘルパーの必要性が認識された結果であると感じている。財政的にも、国が2分の1、県が4分の1を負担し市町村は4分の1の負担で雇用できるようになっている。財政的にも平成2年には、59市町村のうち48市町村に超過負担がみられたが、平成4年には6市町村にしか超過負担がみられなくなった。これは基準額が大幅に平成4年から改善したためである。しかし、雇用される側からすると、賃金が安い、パート職員である、仕事内容が曖昧である、等の労働条件の面で問題が残っている。
 
 
6.「老人問題は女性の問題であることを認識すること」についての評価
島根県の平均寿命は男子  女子 歳である。全国平均の男子  女子 歳よりも い。結婚は男子が4歳ほど年上の場合がおおいので10年間は女子はひとりで老後を生きることになる。したがって、どうしても、生きがい、孤独、寝たきり、痴呆、老人ホーム、嫁との同居等の老人の直面する数多くの問題を女性が体験することになる。それだけに老人問題を自分の問題として社会参加を積極的にすべきであろう。その点、主体的に参加するという点では島根県の女性運動は、まだまだ十分でないのでなかろうか。益田、松江、西郷等では、「高齢者社会を良くする女性の会」の組織化がすすんできている。この点は評価すべきであろう。しかし、各地の「老人保健福祉計画」の策定委員会への参加メンバーも女性が少ないし参加したメンバーも積極的な発言も少ないと聞いている。なお、場合によっては、妻が先に死亡することがある。男性も衣食住において自立できるように各種の準備をしておかねばならない時代が目前にやってきている。
 
7.「デイセンター、デイケアの充実について」の評価
市町村においては在宅三本柱のひとつである県内に100箇所のデイサービスセンターを島根県において設置すると言っている。平成2年度に19箇所、3年度に26箇所、4年度に34箇所、5年度に41市町村47箇所(見込み)となっている。着実に増加しているとはいえ、平成12年までにあと53箇所の建設をしないと2000年プランの目標に達しない。今のところスタッフの確保の困難性は聞かないが今後は問題となると推察される。当面の目標としは2000年プランの100箇所つくることと相互研修の機会の確保であると考える。
また、デンマークのデイサービスは理学訓練のみならず、機織り、手芸、染め物、ケーキづくり、絵画、コーラスと多種多様の訓練が行われている。老人は自分の興味のあるものに参加している。日本の場合、メニューが少ない。これは指導スタッフの数、対象者の選定の違い、経費、場所の違いによるものと考えられる。したがって、すぐにデンマークのようなデイケアの実現は困難であると思う。
 
8.「社会的入院を少なくすることについて」の評価
医学的な治療が必要でないのに病院に入院していることを「社会的入院」といっている。社会的入院が今島根県にいくらあるかわからない。日本の入院期間が欧米諸国に比較して長いことはいわれている。OECD諸国の調査によると平均在院期間はデンマーク(82年)11.9日、スウェーデン22.7日(83年)に比較して、日本は55.1日である。この平均在院期間を短くする工夫として、保険医療制度において、老人の診療報酬は在宅重視の訪問看護・指導料、入院時医学管理料、老人検査料、老人注射料など設定されつつある。ちなみに、入院率はデンマーク、スウェーデンともに19.2%(83年)に対して、日本は6.7%(83年)である。これらのことは、日本はデンマーク、スウェーデンと比較して特定の人が極めて長期間入院していることを示している。しかし、日本において社会的入院を少なくするといっても、それを受け入れる「特別養護老人ホーム」「老人保健施設」「ケアハウス」等の施設が少ないし、ホームヘルパー、訪問看護婦、作業療法士、かかりつけ医の在宅ケアのチームが少ない。このような中で、今、社会的入院をしている患者を退院さすと家族、親戚に重い負担がかかる。また、病院から退院しても、在宅で生活出来ずに、すぐに他の病院に入院していくケースもみられる。すなわち、社会的入院を減らすには在宅ケアの充実がないと不可能である。デンマークでは医療は県、福祉し市町村の責任で実施されているが、「社会的入院」が明らかな場合、要した経費は福祉の責任者である市町村が負担し県に支払うように91年頃よりなっている。
 
9.「サービスを保健福祉医療において総合的に実施すること」についての評価市町村の窓口を総合的にするという意味では平成5年には59市町村のうち44市町村において、同一の課で事務がとられている。しかし、係りのレベルでは大部分が保健係と福祉係であり、総合窓口としての機能を一本化として行うには難しい。「高齢者調整チーム」が各市町村におかれているが、まだ十分に機能していない。これは在宅ケアのネットワークが十分に機能していないためである。十分に機能さすためには、ホームヘルパー、訪問看護婦、保健婦、栄養士、作業療法士、歯科衛生士等の在宅ケアスタッフの充実が必至である。さらに、保健福祉医療を総合的に実施するには「かかりつけ医」「病院」との連携をも欠かすことが出来ない。
デンマークの慢性疾患治療病棟では、定例的に二週間に一回の割合で「評価委員会」が主治医、看護婦、作業療法士等の「院内のスタッフ」とホームヘルパー、訪問看護婦、作業療法士等の「在宅ケアのスタッフ」で持たれている。院内のスタッフは地域に出かけ患者の住宅を見、改善計画を指示している。在宅ケアのスタッフは、入院中の患者を観察するために病院に出かけている。
日本で保健福祉医療の先進的な試みをしていると紹介される所の多くが医療機関が精力に仕事をしている地域である。岡本氏は、「日本の場合、入所、入院するのに、最も簡単で自己負担の経費も安いのが病院であり、最も難しく自己負担もいるのが特別養護老人ホームである。このことが保健福祉医療の連携の強化を困難なものにしている」と述べている。山井氏は「スウェーデン発住んでみた高齢社会」の中で人間らしい老いを保障する5段階として、図を示している。島根県の今後を考える際の参考にしていただきたい。

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