スウェーデンから来たモニカ
                 デンマーク研究会 関 龍太郎
 
 モニカ・ローペはスウェーデンから、日本に来たYFUの留学生である。九五年三月から十ヶ月間、松江に住み、わが家で生活し、松江北高校に通った。
 一月に帰国したが、十ヶ月の感想を語ってくれた。今回は、その中から主なものを紹介し、彼女の異文化体験について考えてみたい。高校時代に留学することは大学生になって留学することとは違う。高校時代は生活を体験することであるが、大学時代は学問をするための留学である。また、私はホストファミリーとして、多くのことを学んだ。ぜひ、ホストして異文化体験をしていただきたい。
 
1.モニカの松江
「松江に着いた時、街の人たちは私をジロジロ見ました。私の方は、珍しかったので、キョロキョロ見ました。松江がとっても気に入りました。松江の人はオリエンテーションを受けた東京の人に比べて、そんなに忙しそうではありません。松江には外国人があまりいません。私を見て「ガイジン」と指さす子供もいます。
私が「こんにちは」と日本語であいさつすると、相手はびっくりします」
「日本の高校生は教室で話しかけても、赤くなって、あまりしゃべらない男子もいます。初めはすごく変な感じでしたし、とても嫌でした。スウェーデンや父のふるさとスペインでは、こんなことはありません。外国人にもごく自然に接しています」
「松江に十ヶ月住んでみると、街の人たちことが少しづつ分かってきました。松江の人は外国人が嫌いなのでなく、どんなふうに触れ合うったらいいのかと、少しシャイになっているのだと思います。松江の人たちは、とっても親切です。それに東京や大阪と違って、静かできれいな街です」
「私は松と宍道湖が大好きです。松江にはお城や月照寺や神魂神社のような伝統的な古いものがたくさんあります。天神さんの夏祭ではおみこしをかつぎました。みこしは重たいし、その上、とっても暑くて大変でした。でも、とっても良い経験になりました」
 
2.モニカから見た北高
 モニカに、ホストファミリーである私達は「北高は島根県でも伝統のある高校である」「生徒はみんな頭がよくて有名な大学に進学するので、理数科のクラスメートは忙しいよ」「スポーツや芸術なども良くできる」「モニカの2人のホストシスターは北高を卒業した」「日本では、高校生は私服でなく制服を着ること」「あなたは留学生で英語が得意だから、自分のクラス以外にも、出かけて行って先生の手助けをするといいよ」などを事前に話をし、本人も日本を理解していたつもりであった。
 しかし、モニカはスウェーデンに帰る間近、次のように話してくれた。
「学校に通いだして、しだいに制服に慣れてきました。それに、毎朝、何を着て行くかを考えなくてよくて、助かりました。でも、寒い冬になっても、スカートをはいているのは、変だと思いました。スウェーデンでは、スカートよりもスラックスをはいています。普通の人はスカートをはいていません。スウェーデンで、冬にスカートをはいている女の子は、男の子の気を引こうとしていると思われます」
「学校での授業は退屈でした。日本の英語の授業は先生はほとんど日本語だけで話します。英語の授業ですから、もっと英語を使うべきだと思います。先生は英語が上手で、間違いはありません。辞書を使ったりしても、決して、私には聞いてくれませんでした。だから、私は何も手伝うことがありません。したがって、私はそこにいる意味はありませんでした」
「留学生だから、もっと、役に立ちたいと思っていました。日本の学生の英語力はだめです。スウェーデンの学生にとっても、英語は外国語です。私も、アメリカに行ったことがありません。でも、英語はわかります。もっと、日本の学生は生活するために必要な外国語を勉強すべきだと思います」
「十ヶ月も、松江で生活したのですから、私は日本語が分かります。みんなは私が痛いとか黄色いと日本で言うとモニカはすごいと言います。しかし、私が行ったことのない国の言葉、英語をしゃべってもすごいと言いません。どうしてでしょう」
 
3.モニカの部活
 モニカは北高では、柔道部に入部した。日本の伝統的なスポーツをしたいと思ったからである。放課後、毎日、3時間の練習をして帰宅した。この柔道部はモニカの松江の生活の重要な部分となった。
「初めて柔道を練習しているとこに行ったとき、先輩がこわそうに見えました。血の付いた柔道着をきている人もいました。しかし、慣れてくるとみんなも先生も、とっても親切でした。練習の仕方も初めは全然分かりませんでした。でも、しだいに、わかってきましたし、慣れてきました。練習によって、沢山の打ち身をしましたし、膝や腰もいたくなりました」
「一ヶ月位して、合宿に参加しました。合宿には他の学校の柔道部の生徒も参加しました。練習後、先輩のこととかいろんな話をして楽しかったです」
「五月に始めて試合に出ました。とても、心配でした。勝ち負けより、試合の前のいつ、どこで、おじきをするか、などやり方が、まだ、よく分からないので、それが心配でした。九月に新人戦がありました。その時は、勝つか負けるかの方が心配になりました。でも、初めて勝った時は、すごく嬉しかったです」
「夏休みの合宿は大変でした。蒸し暑いので、汗がたくさん出て、みんなま皮膚は軟らかくなって、ヒジのところなど柔道着でこすれて、血が出て、とても痛かったです。その練習の後は、とても疲れて、だれとも話が出来ないし、みんな寝てしまいました。このような合宿は私には理解出来ません」
「スウェーデンに帰ってからも、柔道を続けたいと思います。でも。、松江に居た時のように、毎日、三時間も練習しないでしょう」
 
4.モニカは帰る
 約十ヶ月の生活をして、モニカはスウェーデンに帰った。帰ってから、それでも、着いたという電話をかけてきた。外国の高校生が帰ったと言う電話をしてくることは、まれである。少し、日本的になったのかもしれない。制服のこと、授業のこと、部活のことなど、モニカは日本とスウェーデンの違いについて、学んで帰ったし、同じことを私達も学んだ。こんなこともあった。
 モニカはピアスをするために耳に穴をあけていた。私が「モニカ、耳に穴をあけることで、お母さんとか先生は何も言わないのかと尋ねた。その時のモニカの答は次の通りであった。「どうして、私が耳に穴をあけたのは、十二歳で、遅かった。先生は、授業中に騒ぐ等して他人に迷惑をかけると叱るが、耳にあけても叱らない。お母さんも同じだ。それに耳はお母の耳でなくて、私の耳よ」。また、こんなことも言っていた。「日本の高校生は、なんであんなに口の中が汚いのだろう。顔とか唇は気にするのに、虫歯が有っても平気。スウェーデンでは虫歯がないのが、美人の条件のひとつ」「スウェーデンと日本の家庭で本当に違うことは、日本のお父さんはすごく長時間働いて、家に帰った時、時々はお母の仕事を手伝うけど、家事をほとんどしないことです。スウェーデンのお父はよく料理をします。時々、お皿も洗います」。また、こんなことも言っていた。「お父さん、日本で家に帰って、おいお茶、とか、おい飯というお父は何パーセント位います」と。
 しかし、モニカは日本とスウェーデンの文化の違いを体験をして帰ったばかりではない。モニカは日本の我が娘と同様に朝寝坊だし、パンにご飯をおかずにするほど、ごはん好きでもあったし、随分と他人に気を使うとこもあった。バスは時間がかかるので嫌で雨の日も自転車で通学した。そういう意味では日本の高校生と共通のところが一杯あった。モニカがいなくなって、なんとなく寂しい昨今である。

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