デンマークの高齢者福祉の変遷
                           デンマーク研究会 関 龍太郎 

       「あなたは親を看る最後の世代で子供に看られない最初の世代である」これは「高齢社会をよくする会」の代表の樋口恵子さんの言葉である。国立社会保障・人口問題研究所はは2050年には65歳以上の人口比率は35.7%と推定している。3人に1人は65歳を超える。それは、山間部とか離島では顕著になるであろう。高齢化の問題は大きな課題となっている。日本の高齢者対策を考える際、福祉先進国であるデンマークから学ぶことは多い。私は2002年の11月と2003年の5月に、10年ぶりにデンマークの高齢者福祉等を視察する「スタディツアー」に参加した。今回その結果を中心に報告する。

 
 1.この10年間で高齢者福祉どのように変わっていたか
 デンマークでは高齢者福祉(自己決定、生活の継続性、自己能力の活用)が貫かれていた。基本は変わってないことは確かであろう。デンマークでは多くの人が参加して、物事が決められ、民主的に全てのことが運営されている。日曜日には店を開店しないという「閉店法」が、今なお実施され、労働時間も37時間であり、5−6週間の有給休暇を連続休暇としてとられていた。さらに、ノーマライジェーションの考えは随所に見られた。
 しかし、10年前に議論になった、ホルベックの高齢者福祉計画において「施設を0にする」と言うことは実現していなかった。痴呆の「グループホーム」は増える傾向にある。デンマークの「グループホーム」は24時間のケア体制の完備した寝食も完備した施設である。1995年には「施設を0にすると言っていたホルベックで、今回、100人分のグループホームが見られた。人口が3万4千人程度であるから、100人分のグループホームは日本では多い方になるのでなかろうか、さらに250人分の「高齢者用のケア付き住宅」があった。そういう意味では、施設と呼ぶかどうかは別にして、人口3万余りで、350人分の「高齢者向けのケア付き住宅」があることになる。グループホームが10年前の「プライエム」(老人ホーム)の個室の広さ(30u程度)で、「高齢者向けのケア付き住宅」は、2部屋とキッチン、バストイレ付きになり、60uとグループホームより広い。また、92年に予想されたより、元気老人は増えていた。これを単に「元気老人が増えた」と評価するのか、介護予防の効果と評価するかは詳細な検討を待たねばならない。
 また、大きく変わった点としては、一昨年の選挙で革新政党から保守政党に政権が変わったことによる「民間産業の導入」がある。しかし、ホルベックでは、グループホーム、ケア付き住宅の高齢者へのサービスは、民間に委託せず、行政がすると高齢者福祉課長は語っていた。一般の在宅サービスは、「民間の産業」を導入しようとしている。というより、民意として委託せざるを得なくなっている。しかし、このことによって起こると予想される「サービスの低下」とか「労働者の賃金等の労働条件の悪化」については十分には検討されていないように伺われた。この他にも、「介護判定をするグループと介護サービスを実施するグループを分離することが行われつつある。デンマークの良さとして評価してきた「末端スタッフへの権限の強化」とは逆行している。
 今回の訪問で政権が変わることによって、ここまで変わるのかという印象を参加者一同が持った。
 また、変わった点として、「地域の利用者委員会」が前に出て来たことである。10年前は「プライエム」を訪問すると、施設長が施設の概況等を説明するのが普通であり、施設を見学する中で、この部屋が「利用者委員会」の部屋ですとか、彼が、彼女が「利用者委員会の会長」です、と説明されることが多かった。しかし、今回の訪問では、施設に行って、出てこられるのが「利用者委員会の会長」「副会長」「高齢者委員会の会長」であり、急に訪問したとこ以外では、施設長に会うことすら出来なかった。そのことにより、、アクティヴィティセンターの運営が「利用者委員会」の責任になっているという印象を強く受けた。
 また、今回の訪問で、WHOの方針でである禁煙・分煙が次第に徹底してきていることが明らかになった。10年前に訪問していたときは、訪問看護婦もホームヘルパーも、ヘビースモーカーが多く見られたが、今回は、説明中はどこでも禁煙が守られ、休憩をとり、外で喫煙するという形になっていた。保育園、中学校は施設内禁煙であった。あまりの変化に「何故禁煙になったのか」、尋ねたが、「WHOが健康に良くない、と言っているので」と言う返事が返ってきた。
 以上、この10年間で、高齢者福祉の変わったという点について、かいつまんで述べた。        
2.今回のデンマークショック
 デンマークは訪問するごとに、「デンマークショック」を与える。今回も、いくつかの点で与えた。高齢者福祉対策から若干離れるが列挙してみよう。
@100%自然エネルギーの島「サムソー島」の存在である。洋上に風車が11基もあり、風車を中心とした「電力発電」を実現していた。
Aサムソー島の地域の暖房、シャワーが、すべて、太陽熱の利用と木材チップとか麦わらの利用によって、まかなわれていた。
B障害者の福祉工場では、敷地も広く、多くの人が、自分の持ち分をマイペースで責任を持って処理していた。
C障害者のグループホームでは、教育福祉者等のスタッフがつき、23名のダウン症等の人が生活を支援していた。障害者年金は20万円で、家賃が8万円程度であった。18歳になると障害を持った人も親から独立し生活をする。それを国が支援するという当たり前のことがされていた。
D中学校卒業時の試験は13段階評価で、先生の教えたことすべてを回答しても11点しかもらえない。13点をもらうためには、自分の考えを理路整然と述べなけねばならない
Eサムソー島のフォルケホイスコーレ(国民高等学校)で中学3年4年の生徒に会った際、将来なりたい職業について質問したが、ほとんどの生徒が自分の将来の職業を答えた。
F高校を卒業すると、みんな独立する。国は大学に進学する学生につき4万円の奨学金を支給している。
G学校の運営には人事要件を除いて生徒の代表も参加する
Hムアー保育園のなかに、保育園にも行けない子供のために、デンマーク語を教えるデンマーク語教室があった。15名が通っているとうことであった。
I5人程度の委託保育においても、約8万円づつの保育料の援助が国と市から出される
J政権が変わると、末端の仕事も見直される。2年前の選挙の結果、保守党等が政権を取り、環境への補助金のカット等の変化が見られた
 
 今回の訪問は、高齢者福祉だけでなく、環境、障害、保育、教育と幅ひろくした。それだけに、デンマークショックの幅も広くなった。
                                 
3.デンマークの高齢者福祉の10のポイント
 高齢者福祉の3原則が大切にされていることはすでに述べた。
@ひとつは、高齢者の住宅が保障されていることである。高齢者住宅はホームヘルプ、訪問看護等のケアがついており、大きさも2LDKである。60uである。痴呆の「グループホーム」の広さも30uを超える。もちろん、個室であり、日本の特別養護老人ホームの4人部屋とは比較にならない。
A2点目に施設に働いている職員の数である。大体1対1である。日本は介護職員が3対1であるので、その他の職員を加えても、デンマークは日本の2倍以上である。
B3点目に施設の数である。日本の2倍と考えていいのではなかろうか。人口3万4千のホルベックの場合、グループホーム100人分、高齢者住宅250人分であった。グループホームだけでは、少ない感じであるが、後に述べる「24時間在宅ケア体制」があるので、高齢者住宅まで含めると、3倍近くの数字になる。
C4点目は「24時間在宅ケア体制」である。大体15名(看護師2名、ヘルパー13名)で構成される「在宅ケアチーム」がどの市にも存在する。1チームで約80名の高齢者のケアをしている。ホルベックでは19チームある。さらに、準夜チーム、深夜チームがある。簡単に言えば、市内全部が病棟になっているようなものである。これを作業療法士、開業医が支援する。
D5点目は、昼食宅配サービス(配食サービス)である。ホルベックで150食の宅配がされている。この他に、総合福祉センターのカフェテラスで昼食をとる人も多い。
E6点目は、「補助器具センター」である。各県に県立の「補助器具センターがあり、各市役所とか総合福祉センターには「補助器具の倉庫」がある。西シェランド補助器具センターには3000種類の補助器具があり、10人のスタッフが働いている。
F7点目は、「介護予防・地域リハ」への取り組みである。各市に「リハビリセンター」設置する試みがされている。2002年10月に訪問したエルシノア(人口5万8千人)では、ひとつの総合福祉センターを「リハビリセンター」に改築していた。
G8点目は高齢者関係で働くスタッフの多さである。必要だから多くなったと言うが、ホルベックでパートを含めると650人という。日本の10倍と言っても過言でない。
H9点目に今後の課題である。10年目の改革がされようとしている。選択肢の多様化を住民が求めての「民間参入」、市がサービスの精度管理を考えての「施設と在宅の分離」、平等を求めての「判定者とサービス提供者の分担」が行われようとしている。これがどうなるかはわからない。
I10点目も課題であるが「痴呆対策」である。増加している。グループホーム、デイケア等で対応している。今後、これはデンマークにおいても大きな課題である。
4.何故、デンマークのような国が出来たのか
 何故、デンマークのような福祉国家が出来たのであろうかという疑問は、デンマークに行ったことのある人ない人、ともによく出される疑問である。デンマークの人は「昔から貧しかったので、相互援助、平等意識が発達した」「女性の社会進出が保育問題へ、そして、その人たちが高齢者問題へと関心を持った」「長い間、戦争がなかった」「デンマークの民主主義の成果である」と回答している。
 長年、フィンランドは東を向き、デンマークは南を向き、ノルウェーはは西を向いている」と言われてきた。
 今一度考えてみると@ヨーロッパの中で、北方にあり「地勢的にも条件が悪い」、Aヨーロッパの中心であるパリ、ローマ、ロンドン、アムステルダム、ウィーン等から離れているという「地理的条件」、Bバイキング以来つづいている「平等主義」、C資本主義発展の中での「合理主義」、D「神の下では何人も平等であるキリスト教文化」における個人の存在と教育者であり、ルター派の宗教家である「グルンドヴィの指導と影響」、Eその影響下での「生きるための学校」(フォルケホイスコーレ)による教育、F社民党をはじめ「革新政党の指導」、G保育問題、高齢者問題での「女性の参加と活躍」等が重なった中で、今のデンマークの福祉が存在していると考えられる。
 
5.おわりに
介護保険がスターとして、4年目を迎えている。福祉先進国であるデンマークの実践に学びながら、高齢者問題に取り組むべきであろう。例えば、既に高齢化率全国一(25%)の島根県においても次のような問題が山積している。
@ひとつは痴呆が増加している。「小山のおうち」「まごころグループホーム」のようにディサービス、ディケア、グループホームが、職員、零細な経営者等のボランティア精神にによって、痴呆の方々の実態に対応するために、上乗せサービスが実施されている。
A85%といわれる元気老人を対象とした介護予防・地域リハビリテーションの取り組みが遅れている。特に予防効果のリハビリプログラムの開発が遅れている。
B特別養護老人ホームへの入所の待機者がいる。3965人が入所しているが、待機者が3838人いる。しかし、施設を大幅に増やすという考えは見られない。施設を増やすと介護保険料が上がる。
C平均寿命・健康寿命の延伸を目標にした「健康日本21」の推進が行われているが、食生活改善、タバコ対策、自殺予防等において、「環境づくり」の取り組みが遅れている。
保健所の再編も進んでおり、以前全国で850カ所あった保健所が540カ所前後になっている。島根県は10カ所が7カ所になっているが、現在、さらに再編が検討がされている。
2004年度は25%カットで県の予算編成が行われる等、地方財政が緊迫しており、国の予算はあっても、県の予算がなく、介護保険の分野においても事業の縮小が起こっている。
D島根県において、8市51町村が8市8町になるという「市町村合併」が実施されると、先進的取り組みをしていた「福祉自治体」の事業の継続が難しくなる。デンマークでは福祉政策の競争が行われているが、島根県では、今、行っている各種サービスが合併で消えようとしている。今こそ、「福祉自治体ユニット」等への積極的参加を呼びかけ、互いに施策を高めるようにすべきであろう。」
Eバス路線の合理化、移動販売車の廃止は高齢者の生活に大きな影響を与えている。特に離島、山間地では顕著である。
Fデンマークに学ぶことは多くあるが、ひとつは住民参加と組織化である。島根県においても、「高齢社会をよくする会」「呆け老人を支える会」等の組織化が進んでいる。しかし、まだまだ、参加者は少なく、その上、デンマークと比較しても、政党と労働組合の指導も理解も弱い。
G後期高齢者は圧倒的に女性が多い。「子供には老後を見られない世代」として、老後の生き方についての学習をはじめるべきであろう。また、退職した男性は地域活動が弱いとも言われる。男性も学習が必要であろう。
 
(参考)
長年、フィンランドは東を向き、デンマークは南を向き、ノルウェーはは西を向いている」と言われてきた。少し、歴史的に見てみよう。
9−11世紀・・・バイキング時代・・・地理的位置的な条件
         中欧に比較して、デンマークには自由な農民の存在した
11世紀・・・キリスト教が庶民にへの浸透により、庶民の中に「個」と社会の確立した
1534年・・クリスチャン3世、上からの宗教改革・ルター派
1570年・・・シュテッティンの講和条約  北方7年戦争(1563-70)
ズンドの通行税・・・クロンボー城の建設
クリスチャン4世・・敗北と財政難  30年戦争(1618-1648)
1661年・・・絶対君主制
1789年・・・フランス革命、しかし影響は遅い・・自由・平等・博愛
       ・・民主主義革命
地理的条件・・・貧しかった。英仏独露の影響を受けながら発展
1803年・・・救貧制度改革法
1830年・・ロマンティズシムとスカンディナヴィア主義の台頭
 ナショナルリベラル
18世紀中頃・・・グルンドヴィ、キルケゴール、アンデルセンの活躍
         (1783-1872) (1813-1853) (1805-1875)
        グルンドヴィによるフォルケホイスコーレ(生きるための学校)の運動
1848年・・・絶対王政崩壊、立憲君主制フレデリック7世
1849年5月・・6月憲法採択・・王と国会に立法権、上院下院、男子参政権、自由
1850年・・・・アメリカへの移民始まる 1910年までに26万7千人
1854年3月・・クリミア戦争、デンマークは中立
1855年・・・・ナショナルリベラルが政権
1864年・・・第二次スレースヴィ戦争で敗退 クリスチャン9世
1867年・・・救貧税廃止、自治体責任に
1870年・・ペアとホェロップの「左翼党」の結成
1871年・・パリコミューンの体験者ピオによる社会主義運動はじまる
1876年・・・社民党がつくられる
1880年−90年・・・農業恐慌「穀物から酪農への変換」
        産業革命・・・職人組合の設立、資格賃金制へ
1890年・・・福祉充実、新たな救貧法
1891−2年・・地方行政機関による貧困老人の救済、政府資金による保険会社補助を        決める・・老齢年金法、医療法、
1898年・・・労働災害法
1905年・・・クリステンセン左翼党内閣の成立
1912年・・・クリスチャン10世の即位(−47)
1914年・・・第一次世界大戦
1915年・・・婦人参政権
1922年・・・疾病保険、老齢年金の法の成立・・サーレ内閣   不況
1924年・・・社民党連立政権設立・・スタウニング政権
              社民党は、その後 29年からは11年中心的役割
1929年秋・・大恐慌     失業率が1932−33年には42.8%
しかし、北欧の経済立ち直りは早く、社会改革を開始
スタウニング内閣の下で失業者救済の公共事業           1933年・・・救貧制度なくなる。みんなの福祉へ      
1939年・・・第二次世界大戦
       婦人が働かなければならなかった・・・1940年頃から、保育所の充実
1940年4月9日・ドイツ軍デンマーク侵攻
1940年4月10日・スタウニング連立内閣・・社民、保守、左翼
1944年6月末・・コペン全市、ドイツ軍のテロルに抗議スト
1949年・・・・NATOへの加盟
1956年・・・老齢年金法の改正、全員に基礎年金を支給
1958年・・・ホームヘルパー制度導入
1959年法・・・バンク、ミケルセンの起草
1960年代・・北欧型社会保障制度の確立、プライエムの建設すすむ、慈悲型→ケア型
1973年・・・ECへの加入
1982年・・高齢者問題委員会答申・・・三原則・・24時間在宅ケア体制の確立
1987年・・・バリアフリー住宅の建設、老人ホームの減少の方針が出る
                 5万から35000戸に減少の方針
1989年の改革・・・高齢者の政策への高齢者の参加がすすむ
                          ケア型→自立型
1992年 生活支援法    社民党の指導
1999年 ソーシャルサービス法
2003年改革・・住民参加、自由度、選択の自由、効率化   自立型→自己決定型 fukushiに戻る.htm