島根県での民藝運動のはじまり

昭和6年5月、柳宗悦さんを島根県にむかえてから、島根の民藝同好者の間で民藝運動が活発となり、
昭和7年5月に、島根民藝協会が発足しました。

昭和6年5月の柳さんの島根県来県の時の様子や島根民藝協会の発足の様子については、島根県の民藝運動の中心として熱心に尽力された松江商工会議所の太田直行さんが昭和10年刊行された「島根民藝録」に詳しく記されています。(以下その部分を抜粋して)

島根県の民藝運動のはじまり

昭和6年5月4日 九州より帰東の柳宗悦氏を津和野のわたや旅館に迎えた私及び楠五郎(大毎支局長)は早速「島根工芸診察」の旅に上った。
津和野では望月町長、中村商工会長等の案内で郷土館、物産館、製紙工場等を視察し対青楼で地方色豊かな午餐を饗された。続いて益田に赴き雪舟の庭(万福寺、医光寺)、町内を巡視した。益田での収穫は喜阿弥焼の土瓶と糊壺。同夜は那賀郡窯業組合長滝口文夫氏に迎えられて有福温泉、ぬし屋旅館に投宿。  

同5日 県立女子師範学校にて浜田町附近の工芸品を診察(収穫は若干粗陶器と竹工品と利休饅頭)した後、柳しより短評あり、引続き町内を巡視し三階楼に於ける有志の午餐会に臨んだ。午後は自動車で都野津の瓦工場を訪い江津でも町長以下多数の人々に招かれ(収穫は山葵おろし)夕方温泉津の窯場を視察して能川屋に投宿。同夜は同町の窯業家連と会談。

同6日 窯場を再訪(収穫は平鉢)。転じて大森町を訪い(収穫は竹箸と陶器)、更に太田に赴きて県立農学校の竹細工と常松工場の粗陶器とを診察した。夕方今市町役場に於いて附近の工芸品を診察後(収穫は日の出団扇)、町当局より名代の献上蕎麦を饗応されて8時半頃松江に帰った。

同7日 大社参拝の途上平田町の古道具屋を漁り、午後は布志名、報恩寺、湯町の諸窯を歴訪し、夕方袖師窯にて、ぼてぼて茶を、また同夜は松崎水亭にて県観光協会、松江商工会議所聯合の歓迎会を、更に8時より会議所楼上にて講演会を開いた。

同8日 広瀬町役場にて同地の工芸品を診察(収穫はぼてぼて茶碗、煎茶碗、絞り染)柳氏より一場の講演あり、八幡窯及び町内を視察の上、自動車にて安来に赴く。瓢屋にて有志より同町独特の料理を饗され、引続き工芸品を診察(収穫は木工品、織物、金工品)再び自動車にて母里に赴き、窯元及び町内を視察して夕方河井善左衛門氏方に帰り、ぼてぼて茶その他民芸式夕食を饗され終列車にて帰松。

以上を以て「島根工芸診察」の旅を終わった。

島根民藝協会の発足

昭和7年5月24日 浜田庄司氏来松。翌25日より舩木の工房にて制作に従事され、舩木、尾野、福間の三君は手伝いながら指導を受けた。また25、26の両日は楠支局長、中野窯業技手及び私の三名が浜田氏を石見に案内して左記の通り指導して貰った。大森の福井工場(番茶椀、皿などの主として小物の作り方)温泉津の沢工場、太田の常松工場及び湯町の出雲陶器会社(以上は主として火鉢の作り方)

同29日の夜皆実館にて浜田氏を歓迎旁方「島根民芸会」の発会式を挙行した。出席者は浜田庄司、楠五郎、中村和、原本虎一郎、森永重治、河井善左衛門、金田勝造、木山儀之介、尾野敏郎、伊藤一、舩木道忠、福間定義、安部梅雄、安部榮四郎及び私(太田直行)。

島根民藝協会はこんな活動をしています。

総会、研修会を年1回ずつ開き、「民藝」について勉強するとともに会員相互の親睦を深めています。

平成22年の総会の様子です。この時は、中国からの留学生に馬頭琴の演奏をお願いしました。


平成18年の夏期学校の様子です。全国からおいでになりました参加者の方々のお世話をしました。

「民藝」について興味をお持ちの方、協会にご入会いただき一緒に学んでいきませんか

お問い合わせ先

公益財団法人安部榮四郎記念館 (0852-54-1745)
出雲民藝紙工房(0852-54-0303 安部信一郎)