本稿は、『人権と部落問題』2009年9月特別号に掲載されたものです。
                  島根県地域人権運動連合会 
                     事務局長  片寄 直行

〜権利意識の高揚をめざす主体の形成を〜


同和対策は終了、同和教育・啓発を強める島根県行政

 島根県は2007年度から同和対策事業はやめ、一般対策へ移行しました。県都・松江市をはじめ県下の市町村も次々と同和対策を終了しました。推進の根拠としてきた「島根県同和対策推進計画」(1984年策定)も2008年に廃止となりました。
 長年にわたる同和対策事業を終了できたことは、同和問題解決にとって大きな前進の一歩です。しかし、“差別意識は依然として厳しく残っている”として啓発・教育の分野では同和教育を教育の基底に据えるとの姿勢を強めています。その背後に部落解放同盟(以下、「解同」という)の策動があります。
 世界遺産登録となった石見銀山遺跡のある島根県大田市は、同和対策事業の終結の際、運動団体への運営費補助金の全廃を実施しました。また、行政組織の名称を「人権推進課」とし、「同和」の名をすべて排除しました。しかし、「解同」は、石見銀山遺跡の世界遺産登録にかかわって、大田市への介入を強め、石見銀山遺跡と部落問題のかかわりを追及。部落を特定する出版物を閲覧制限にしたり、市長に同和問題を解決するためのシステムづくりを迫っています。
 島根県における「解同」の策動と同和啓発・教育の変遷については、歴史的にみておくことが必要です。 

同和教育を「基底」に据える路線、そのたたかい

 教育現場での部落問題に関わる発言と「解同」の介入が島根県の同和教育方針にも大きな影響を及ぼしました。
 まず、1990年代に起こったいわゆる「差別」発言事件の概要と教育行政の対応について振り返ります。
 1992年、益田工業高校三年の英語の授業で、教師が英文の「second−class citizens(「二流市民」)という箇所を説明しているとき、ある生徒が部落問題にかかわる言葉を周囲のものに聞こえる程度の声でいったというのが発端でした。ただちに「解同」が介入し、以後、「事実確認会」、「確認・糾弾会」、「糾弾」が行われました。
 県教委は、1994年3月、それまで学校現場で使用していた「学校同和教育の手引き」(同和教育指導資料第10集=1985年県教委発行)を突如回収する措置をとりました。「同和地区児童・生徒の実情を把握」し、その「学力向上と進路保障に努めること」が「同和教育の重要課題であることが明確にされていない」などというのが、回収の理由です。
 県内企業による「採用選考差別事象」(1993年)、松江東高校での生徒の発言(1995年)などとともに「解同」の介入により、手引きは改定されました。
 そして、1996年、それにかわる同和教育指導資料第19集「同和教育を進めるために」が登場したのです。19集の特徴は、「同和教育をすべての教育活動の基底に据えて取り組む」、「差別をなくす実践力を培う教育内容」、「地域ぐるみで進める推進体制」などを基本方針としたものです。
 その後も松江南高校での教師による生徒のランクわけ問題(1997年)がおこりました。これは、教師が生徒を成績で「王様」「貴族」「平民」「奴隷」と呼んでいたものです。「解同」が介入し、糾弾闘争が激しく行われました。
 1997年、県教委は“糾弾マニュアル”ともいうべき同和教育指導資料第20集『差別事象から学ぶために』を発行しました。
 1999年、邑智郡羽須美村(合併により、現在は邑智郡邑南町)の小学校長が「同和地区のやから」と発言したことが、差別発言とされました。村は差別事象対応本部を設置し、行政側が「解同」の確認・糾弾の窓口になってお膳立てをしました。確認会に「解同」が出席することを知った校長は断固出席を拒否。本人不在で確認会が行われたものの、2回目に村長が打ち切りを宣言しました。
 後に県教委は報告書を作成しましたが、事実確認が不十分で、恣意的で推測の域をでないものでした。
 島根県解連(島根県部落解放運動連合会=当時、現在は島根県地域人権運動連合会に発展的改組)は、県と交渉し、「確認・糾弾」路線が行き詰まっていること、部落問題解決の障害になっていることを指摘し、確認・糾弾の社会的排除を求める県民運動を呼びかけました。

「解同」の介入は教育の中立性を犯す

 次に2000年以降の事態です。松江工業高校(2000年)、浜田高校(2001年)、三刀屋高校(2003年)における生徒・学生による「差別」発言問題です。「解同」が公然と介入して当事者を屈服させ、県教委の指導資料にもとづいて今後の取り組みを約束させるという流れは変わらず、むしろマニュアル化されて粛々と進められることになっています。これは「解同」の介入を積極的に受け入れ、教育の中立性を教育機関自らが犯す行為といわなければなりません。
 事件について各高校がまとめた文書で共通しているのは、@差別発言を招いた責任は本校にあり、差別の現実に学ぶという視点が欠落していた、A今後は教職員が同和地区に出かけ、差別の現実から深く学ぶ、B同和教育推進体制の確立、中学校との連携、進路の保障、同和教育をすべての教育活動の基底に据えた教育実践などです。ずばり、県教委の同和教育指導資料第19集や第20集の論理そのものです。
 県教委は2006年3月、「島根県における同和問題の歴史」を刊行。同時に、同和問題学習の展開例を小学校、中学校、高等学校別に示した同和教育指導資料第22集「島根県における同和問題の歴史」―学校教育活用編―を発行。つづいて2008年3月、社会教育活用編も発行しました。これまでの同和問題学習では県内の実態に基づいた学習資料や教材の作成が不十分で県外の資料等を活用していたが、同和問題解決の展望と自己課題化を図ることをめざすには身近な地域における部落差別の現実を見据えた学習が必要との位置づけです。江戸時代から昭和戦後期までの島根での「差別された人々」の状況、部落解放運動、同和行政・教育の変遷について記述しています。
 この教材の活用状況についての県教委のアンケート結果がでています。2008年度、小・中・高・特別支援学校428校中447箇所(特別支援学校については1校3箇所として集計) から回答。学校教育活用編の活用状況については@授業と教職員研修両方で活用した18%(79箇所)、A教職員研修のみで活用した26%(118箇所)、B授業のみで活用した19%(84箇所)、C未使用37%(166箇所)となっています。社会教育活用編の活用状況については、@授業と職員研修の両方で活用7%(30箇所)、A研修のみ25%(113箇所)、B授業のみ6%(26箇所)、C未使用62%(279箇所)です。急ピッチで活用されていることがわかります。
 県教委は、毎年7月12日〜8月11日を「差別をなくす強調月間」に指定し、「人権・同和問題を考える県民のつどい」と銘打った講演会や実践発表を行っています。
 島根県は、2008年10月に島根県人権施策推進基本方針の改訂版を策定しました。「人権教育および人権啓発の推進に関する法律」を土台としており、人権を国民相互の差別問題に矮小化しています。「人権」と「同和」を同列において論ずる文脈が随所に見られ、人権教育・啓発といいながら、実践上は同和教育・啓発に偏りやすい内容となっています。百歩譲って同法の基本理念と比較しても、島根県の方針は、「国民の発達段階に応じた取組」、「実施機関の中立性の確保」の概念が欠落しています。

もろい 「同和教育」基底路線

 島根県が同和教育を「基底に据える」路線の再構築をはかる姿勢を強めているのに対し、ある県立高校で「人権・同和教育目標」を廃止したところがあります。2007年2月に開催された島根県高校教育研究集会(公立高教組主催)で発表された教員のレポートに注目が集まりました。同校の教諭は、「法的根拠を失った同和教育は続けるべきではない」、「県教委の同和教育を学校教育の基底に据えるというのは誤った考えである」と批判し、職員会議の意思としたことなどを報告しました。職員の気持ちがまとまれば、同和教育偏重路線はもろくも崩れるのです。
 2006年5月、邑智郡邑南町の中学校で「差別」事象があったとされ、「邑南町差別事象対応本部会議」が設置されました。頻繁に当該校や教育委員会の研修会が開かれ、約2年の間に9回も開催されました。
 事態を重視した日本共産党の長谷川敏郎町議は2008年3月、議会でこの問題を追及。邑南町議会基本条例にもとづき、前記の会議の実施状況報告と開催中止を求める意見書を提出しました。教育委員会は、はじめは参加者の名簿も記録も公表できないとしていましたが、議員の追及に町長は「やはり、これは原則公開というのが、私は正しい選択だろうと思います」と述べました。これにより、事実上、中止となりました。今日に至るも開催されていません。
 邑南町は、2004年10月、羽須美村、石見町、瑞穂町が合併して誕生しました。前述の1999年、羽須美村の小学校校長の「差別」発言事件でも途中で打ち切りとなり、今回も打ち切りとなりました。秘密路線から公開へと転換させることにより、「解同」の策動を打ち破ることができることは事実としての教訓です。

「差別」糾弾の弊害−図書の閲覧制限

 2008年1月14日の新聞に信じられない記事が掲載されました。島根県安来市が、1970年発行の旧「安来市誌」と62年発行の旧「伯太町誌」に差別や偏見を助長する記述があったとして、島根県内の公立図書館と各市町村に対し、当該ページを削除し、返送を求める要請をしていたことが分かったのです。ところが、図書館側は「勝手に改変できない」としたため、安来市は「削除依頼は適切ではなかった」と謝罪し、各図書館に取り扱いを任せることにしたというのです。
 ことの発端は、図書を閲覧した住民から指摘を受けた島根県が安来市に連絡し、市が拙速に依頼したとのこと。「差別」問題で、住民も行政もピリピリしていることがうかがえます。
 日本図書館協会の「図書館の自由に関する宣言」(1979年改訂)では、基本的人権のひとつとして知る権利をもつ国民に、資料と施設を提供することを、もっとも重要な任務とすると明記し、資料の収集の自由、資料提供の自由、利用者の秘密保持、すべての検閲に反対することなどを重要な方針としています。提供の自由に制限を加えることがありますが、次の場合に限られます。(1) 人権またはプライバシーを侵害するもの (2) わい
せつ出版物であるとの判決が確定したもの (3) 寄贈または寄託資料のうち、寄贈者または寄託者が公開を否とする非公刊資料。そして、これらの制限は極力限定して適用し、時期を経て再検討されるべきものである、としています。このことは住民にあまりにも知られていません。
 図書の閲覧制限は、「知る権利」の視点で考えると不公平感や疎外感を感じます。
 実は私も閲覧制限された図書を閲覧した経験があるからです。松江市内の県立図書館で小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の著作を見ようとしたときのことです。図書館側の対応マニュアルがあります。(1)研究者かどうか (2)閲覧場所は指定される (3)閲覧は申請者だけ、問題の箇所のコピーはできない、との条件だったと思います。その条件を了解したうえで閲覧をしました。堂々と見られないもどかしさがあり、図書館のありかたとして、これでいいのかと強く感じました。

学校、行政、地域で自由に語れる場を

 最後に課題をまとめます。
 前述の県立高校教諭の所感を引用すると、教育現場での克服すべき課題として@教職員の意識改革をあげています。「部落差別」はまだ厳しく存在し、それをなくすために学校できちんと教えることは必要との意識を変えなければならないこと、A教育行政による「同和教育を基底にすえる」論の廃止をあげています。
 住民運動としても同様の課題がありますが、邑南町の教訓からも、当たり前のことを公開の場で話し合っていくところに解決の展望が生まれてきます。学校でも、自治体でも、地域でも、今の同和偏重の教育はおかしいと多くの人が気づいていることでしょう。どこがおかしいのか、あるべき道をしめすことができたなら、事態は大きく変化することを確信します。現在の「人権・同和」の啓発・教育の実態と問題点を自由に語れる場(研究集会、学校での職員会議など)が不可欠です。

全国地域人権運動総連合(人権連)が「地域社会と住民の権利憲章」(案)を発表しました。憲法の基本的人権保障を基本に新しい人権にも対応し、創造する運動体の理念として共感します。権利意識の高揚をめざす主体の形成にむけ、他団体とともに連携し頑張る決意です。

(かたよせ なおゆき=島根県地域人権運動連合会事務局長) 


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