大野公民館の沿革
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昭和 35. 8. 1 |
大野村が松江市に合併、9月に出張所内に公民館が併置される。 |
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昭和 35. 9. 1 |
清水辰生氏初代館長に就任 |
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昭和 37. 6. 1 |
市役所新庁舎建設に伴って出張所が廃止され独立公民館となる。 |
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昭和 43. 6.22 |
上大野町1835番地 湖北農協大野支店事務所を買収し内部改修し公民館舎移転 |
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昭和 43.10. 1 |
委託運営(自主運営)公民館となる。 |
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昭和 45. 5.25 |
大野郷土誌発刊 |
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昭和 53. 8.10 |
続大野郷土誌発刊 |
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昭和 53. 3.31 |
青少年健全育成施設 ふるさと広場設置 |
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昭和 54. 6.14 |
健康なまちづくり運動推進で厚生大臣表彰受賞 |
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昭和 60. 3. 1 |
公民館舎上大野町1855−1番地新築移転 |
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平成 2.11. 4 |
松江市合併・大野公民館設立30周年記念式典 |
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平成 10. 6.28 |
優良公民館として島根県教育委員会表彰受賞 |
大野地区の概要
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大野地区は、松江市の西端に位置し南は宍道湖、北は日本海に臨み、東は秋鹿地区に、西は平田市伊野
地区に接している。地区内の面積は、10.65km2であり地形は北高南低であって、Y字型に平地が南部に開け
ている。なお、東に本宮山(279.7m)西に十膳山(193.6m)がある。
町区分は、大野町、上大野町、魚瀬町の三町に分かれており、総戸数532戸、人口1,679人(平成19年3月
31日現在)である。
大野地区は、出雲風土記に記された大野郷の大部分をしめ和名抄にも大野郷と記されている。昔の大野郷
は、現在の大野地区及び、秋鹿地区大垣を併称したもので大野西の庄、大野東の庄と称し、内神社は大野東
の庄、即ち大垣にあって大野高の宮と称していた。なお、大国主之尊の御子、和加布都努志能命の旧地で大
野津神社がある。本宮山の城主、大野治郎左衛門の一族が鎌倉時代から代々地頭職として武威を振るい、
南北朝時代には、足利尊氏、直義に召されて近畿地方に出陣して功績を挙げ、戦国時代には尼子氏又は毛
利氏に属して、勇名をとどろかせた。
江戸時代を経て明治24年、大野上、大野下、魚瀬の二村一浦を合併し大野村と称し、昭和35年8月松江市
に編入して今日に至っている。
本地区産業の主体は農業であるが、一戸あたりの平均耕地が0.7haであり兼業農家が多く、かっては冬季に
杜氏として酒屋に出稼ぐものが多かったが、現在では少なくなり、サラリーマンとして松江、平田、出雲方面に
通勤している。 |
◎H23.2.28現在の人口および世帯数
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世帯数
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人口
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男子
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女子
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大野町 |
194 |
581
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282
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299
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上大野町 |
182
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555
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261
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294
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魚瀬町 |
159
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387
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178
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209 |
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合 計 |
535
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1,523
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721 |
802
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◎65歳以上
平成22年度 大野公民館の運営について
重点目標 |
1 安心安全なまちづくり
2 心豊かなふるさとづくり
3 福祉でまちづくり |
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☆ふるさとを愛し、心豊かな住民参加のまちづくり
☆地域福祉ネットワークを生かしたまちづくり
☆すこやかな青少年を育むまちづくり
☆ともに生きる、差別や偏見のない人権のまちづくり
☆生涯スポーツによる健康なまちづくり
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公民館事業計画
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I.幼児教育事業 |
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きらきら学級 年間6回 |
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II.青少年活動事業 |
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子ども会育成協議会共催 年間6回 健全育成協議会共催 年間5回 |
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III.成人活動事業
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高齢者教室共催 年間3回 ボランティア部 年間3回
地区ミニ学習会 年間3地区
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IV.文化活動事業 |
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文化教室・グループ活動支援 |
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V.体育活動事業 |
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町民体育祭 町民球技大会 年間4回 |
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VI.郷土学習活動事業 |
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夏祭り ふるさとまつり 大野小学校卒業生母校訪問 |
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VII.福祉活動事業 |
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福祉協議会共催 なごやか寄り合い事業 見守り活動 敬老会 配食サービス 巡回健康相談 |
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VIII.市民憲章活動事業 |
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環境美化活動 クリーン大野 市民憲章かるた取り大会 |
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IX.同和教育活動事業 |
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人権教育研修会 先進地視察研修 |
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X.読書推進事業 |
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図書祭り 年間1回 毎週金曜日 児童図書の貸し出し |
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