風に吹かれて〜前編〜

 その日は勝利の充足感に満たされる日…のはずだった。

 「な、何故だ!!何故死を選んだんだ!!生きていれば祖国にも帰れたはずなのに!何故死を選ぶんだ!死んだら…何も…何も無くなるんだぞ!!」
 セリスは心の底から絶叫した。彼の眼前には鉄格子。そしてその中には既に事切れている数人の誇り高き竜戦士達。誇り高いからこその自決。その顔には無念というよりも自らの運命をまっとうできた様な表情が映されていた。そして全員自らの血で、
『トラキア万歳。祖国に栄光あれ。』
という文字を書き残していた。彼らは先の解放軍との戦いで捕虜とされたトラキア兵達であった。捕虜となってから彼らは暴れる事無く指示された通りに行動した。そうすれば祖国に帰すというセリスの命も大人しく頷いていた。しかし、彼らは最後にセリスの命に歯向かったのだ。自らの死をもって…
 絶叫の後、セリスはその場で気を失った。あまりのショックに気持ちが切れてしまったのだ。数人の解放軍兵がセリスを抱えてその場から立ち去った後に残ったのはたった一人であった。その男は真正面からその前にある光景を受け止めていた。そして、
「…気持ちはわかる。しかし、私は生きているのだ。その可能性を断ち切って何になる?誇り?祖国の為?…指揮官が違うとこうまで違うのか…私は…幸運だった…」
 そう言い残すと彼、解放軍軍師オイフェは階上へとその足を向けていった。
 解放軍は正に破竹の勢いで帝国軍を破っていた。勿論、頑として帝国を支持する者は葬る事はしたが、降伏を求める者に対しては丁重に扱っていた。それにより民衆へ全てと言ってもいい程解放軍の進軍を歓迎し、希望を持たせる事に成功していた。しかし、その方法を真っ向から否定する相手がいたのだ。それが解放軍とも帝国軍とも違うトラキア軍であった。トラバントの指揮の下でトラキアは完全なる軍国主義国であり、その理想の為には死ぬ事もいとわない集団であった。その片鱗を今は無きこの捕虜達は十分に見せ付けたと言っても過言では無かった。

「まさか自決をするとは思いませんでした。末端である兵士がこれではトラキアへの和平交渉も無駄に終わる事は必至。戦いは避けられない物と思われます。」
 トラキア捕虜の自決の3日後、休養を経てようやく指揮官としての顔に戻る事ができたセリスにオイフェは今後の展開について報告していた。
「オイフェ、本当に戦いは避けられないのかい?私としても無益な殺生はしたくないんだ…」
 セリスはあの一件を思い浮かべながら救いを求めるかの様に言った。しかしそれに対するオイフェは非情にも似た言葉を吐いた。
「先程も申し上げた通り、無駄と思われます。戦いを避けられぬ以上、トラキア軍は壊滅すべきであると考えます。今後コノートに進軍する為には…」
「オイフェ…」
 セリスはこれ以上はもう御免だとばかりに顔を振りながらオイフェの私見を絶った。その様子からオイフェもこれ以上の報告はセリスの気勢を本当に削いでしまう可能性があると感じた。解放軍のリーダーとは言え、まだセリスはまもなく18を迎えようとしている少年である。34歳であるオイフェの余りに現実感のある言葉を受け入れるには余りにタイミングが悪すぎたのだ。
「…失礼しました。では私はこれで…」
 オイフェは踵を返すとセリスとのゆっくりと距離を広げていった。その途中には同じく軍師の立場にいるレヴィンの姿もあった。オイフェとレヴィンは一瞬だけ目を交わすと、オイフェはドアへ、レヴィンはセリスの下へとその歩を進めていった。
『損な役回りだな、オイフェ…』
 レヴィンがオイフェと視線を交わした時にそう感じたのも自然な事と言えた。

「冷血な軍師か…」
 オイフェは自室に戻り、ベッドに腰掛けながら呟いた。セリスの心の揺らぎはしばらく続くだろう。しかしオイフェはそれを知りながら非情な宣告をしたのだ。セリスには色々な意味で思慮深い人間になった欲しい。その為には非情な現実も教える必要があったのだ。華やかな世界の周りではこんな世界が展開されている事を。
『1人の立派な王を育てる為には誰かが犠牲にならなければならない。その役目を私が勝手に担っているだけだ。皆が幸せになるには仕方の無い事だ。それに…私は一度死んだ人間なのだからな。』
 オイフェにとっての死。それは16年前のあの出来事だった。主君の死を遠い地で聞いた。死を共にする事も死に目に会う事すら叶わなかったのだ。そう考えた時、オイフェはとっさに自らの刃を手にし、自らの身体へとその刃を向けようとした。結果的にシャナンに止められ、オイフェの行動はその目的を果たす事は無かった。当時のオイフェの行動は正に3日前のトラキア兵そのものであった。1つの事だけに執着し、それを果たせぬ事が分かった瞬間に死を選ぶ事を。しかし結果的にオイフェは生きていて良かったと思っていた。主君の忘れ形見のセリスを育てる事ができたのだから。それからのオイフェは自らを封じ込め、弱音を吐く事無く頑張り続けた。そしてここまでやってきた。あと少しで自分の役割は終わり、時代に取り残されるのを待つだけなのだ。それがオイフェにとっての使命の完結であるとオイフェは直感的に感じていた。しかし…
『コンコンコン』
 オイフェの思案を中断させる音がオイフェの部屋に響いた。オイフェは反射的に立ち上がるとドアの方向へと向かっていった。音の主が誰かは分かっている。この時間になると必ずこの部屋へ訪問してくる可愛らしい客人。オイフェがドアを開けるとそこには予想通りに、
「こんにちは、オイフェさん。今日も訓練して頂けますか?」
 ちょこんとかしこまって礼をしながら緑の天馬騎士、フィーが言った。フィーが解放軍に入軍してから1ヶ月した頃からこの昼下がりの時間帯にオイフェに槍の訓練を学び始めてからの習慣であった。何故そうなったのかは単純に、
『周りの槍を使う人で一番上手く扱っていたのがオイフェさんだったから。』
という理由であった。最初はおぼつかなかった槍捌きも次第に様になり、今ではオイフェも油断を許せなくなるくらいの上達ぶりであった。近くファルコンナイトに昇格するフィーに抜かれる事は明白ではあったが、それでもフィーにとっての槍の師はオイフェである事には変わりないのだ。オイフェにとっても一日のうちにしっかりと身体を動かせる貴重な時であり、更に弟子の上達を見る事ができる為、この時間は無理にでも時間を割いていた。そして今日もいつもと変わりなく師の下へとやってきたのだ。しかし今日はちょっと違っていた。
「オイフェさん、ちょっと…」
 フィーはオイフェの服の袖を摘んでいつもの訓練場となる中庭とは逆の方向を指差した。
「?」
 訳の分からないオイフェを尻目に、
「こっちこっち!!」
と言いながらフィーはオイフェの手を引いてどんどんある所へと向かっていく。その場所へ近付いていくのは周りの匂いがやや変わっていく事で自覚できた。フィーは馬が繋がれている、つまり馬屋にオイフェを連れて行ったのだ。軍馬が繋がれている所をあっさりと通り過ぎた。そしてフィーは右手の親指と人差し指を唇に運んだ。
『ピ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!』
 フィーの力強い口笛が馬屋に鳴り響いた。
「ひひ〜〜〜〜〜〜ん!!」
 全馬がいななく中、より目立った鳴き声で反応した天馬がいた。フィーの天馬であるマーニャだ。フィーは素早くマーニャを繋いでいた紐を解き、代わりに手綱を繋いだ。そして有無も言わさずにオイフェを乗せると、マーニャに跨って手綱を持った。マーニャはそれを待ってましたとばかりに素早く馬屋の外まで駆けると空へと飛びたった。
「うわ〜〜!!」
というオイフェの普段出ない様な叫び声だけが地上に残った。
 〜to be continued〜

 いや〜久々なのにこの短編で前後編ってどういう事だ?の新作です。本当にお待たせしました。最初は非常に重いのに、後味はすっきり風味の作品になりました(?)一応シリアスなんで後編の運びを楽しみにして頂けたらなと思います。年内には仕上げたいな〜と思いつつ前編の後書きも終わりです。よかったら反応をくださいませ。それでは、また後編で。あ、ちなみにデータ消えた創作はこれではありません。また書きますのでそちらもお楽しみに…
 2002/12/1 執筆開始
2002/12/8 執筆終了


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