間 違 い さ が し
人という存在は得てして近くにいる存在の小さな変化に気付きにくい物である。それが男女間でしかもどちらかが鈍感だった場合は尚更である。勿論、鈍感なのがどちらかはおわかりだろう。今日はそんな2人のお話。
その日、フィーはいつもの様に朝の身仕度をしていた。戦場で慣れた習慣からか、平和な世の中になっても彼女の朝の手早さには目を見張る物があった。公式な行事がある場合を除き、身仕度は全て自分でする。元々自分で物事をこなすという信念を持った彼女にとっていちいち着替えさせてくれたり、化粧をさせてくれたりする侍女などは必要なかった。最初は粘っていた侍女達も今は諦めてその外の仕事で何とか侍女としての役目を全うしようとしていた。それでも他の王家に比べれば仕事量は格段に少ないのだが。
そんな侍女泣かせなフィーは手早くいつもの様に身仕度の最後の過程に入っていた。そこで鏡を見ながら急に思い付く。
「よし、今日はちょっと変えてみるか。」
そう言うと鏡台の下をゴソゴソと探り始めた。そして、
「これで行ってみようかな?気付いてくれるといいのだけれど。」
そう言い残してフィーは自室を後にした。
グラン歴779年。ここシアルフィの城下では、
「本当にフィー様は器用な方だ。」
「オイフェ様も幸せな方だよな〜」
「世継はいつ頃になるのだろうか?」
「しかし年齢が…」
「どんな儀式になるのだろうか?」
などと言った噂がまことしやかに流れていた。それもそのはず、遂に公主オイフェがフィーを妃として迎える事が正式に発表されたのだ。とは言っても既にフィーは聖戦終結直後にシアルフィに来ていた訳だから誰も驚きもしなかったが。それでも奥手な公主がようやく重い腰を上げた訳だから噂話には事欠かなかった。
『シアルフィ高官が語る、公主様のプロポーズの全記録!』
『実は逆プロポーズされていた公主様の悩みを綴る2年間!!』
などと大衆受けの紙面には書かれていた。ここでオイフェの名誉の為に言っておくが、プロポーズは彼の方からであった。それでもフィーにある程度アプローチを受けた跡がある事は確かではあるが。そんな城下の浮き足立った状況にもオイフェとフィーは落ち着きを保っていた。何故なら真実は2人の間にしか存在しないのだから。とにかくゆっくりと儀式までの日数をこなしていた。
オイフェは執務室でいつもの通り、与えられた仕事を片付けていた。しかしこの日は運が悪い事に様々な種類の書類が机に山積みにされていた。勤勉なオイフェもさすがに連日の執務と今日の仕事量の多さに姿勢悪く片肘を付いていた。それでも右手に持った筆が全く止まらないのはさすがだ。字は汚かったが。そんな時だった。
『トントントン』
執務室のドアが軽くノックされた。オイフェは慌てて姿勢を正し、
「はい。」
と、落ち着きを払った声で答えた。
「オイフェさん、フィーです。」
という声が聞こえた。
「ああ、フィーか。今行くから待ってなさい。」
と、言うとオイフェは椅子から立ち上がってドアまで歩き、ドアを開けた。そこにはいつもの通りのフィーが立っていた。気のせいだろうか?いつもの笑顔が更に輝いている様にオイフェは見えた。
「何か良い事でもあったのかい?」
そう言いながらフィーを書斎に通した。
一時公務は中断という事でとりあえずお茶にする事にした。今日のお茶はエッダ産の茶葉を使ったかなり贅沢な紅茶だ。これは1月程前に所用でシアルフィにやってきたコープルがお土産として置いていった物なのだ。どんな味にしても素晴らしく合う万能型の茶葉である。オイフェはストレートで、フィーはミルクティーで飲むのが好みで、今日も例に漏れずストレートとミルクでお茶をしていた。時々こういった時間を持つ事も悪く無いな、とオイフェは思う。しばらく言葉を交わす事なくゆっくりとお茶が演出してくれる時間を過ごしていたが、その沈黙を破ったのはやはりと言うべきか?フィーの方であった。
「ねぇ、オイフェさん。」
「うん?」
間も無く婚儀というのにフィーの『オイフェさん』発言は変わる事はない。フィーは尊敬を込めて言っているのだが、公式行事でも時々この『オイフェさん』発言をするのでオイフェはいつも冷や冷やしていた。しかし今は2人しかいない。特に咎める事無く返事を返した。
「あのね、今日私、何か違わない?」
「え?」
「だから何かいつもと違っている所があるんだけど…」
余りに唐突でオイフェは珍しく動揺した。改めてフィーの全体を眺める。
『違っている所、違っている所…』
オイフェは一生懸命考えた。それこそ戦時中の戦略を決めるかの様に考えた。しかし、思い浮かばない。
「す、すまない…」
オイフェが弁解の言葉を言おうとした瞬間、
「オイフェさんのバカぁ〜!!」
フィーは席を立つと一気に部屋を出てしまっていた。その時だった。
『キラッ』
オイフェはこの時になって初めてフィーの『違っている所』がわかったのだ。しかし余りにタイミングが悪かった。フィーが開けたままにしたドアの影から側近が顔を出していたのだ。更に不幸な事に一番そういった噂事が好きな侍女だったのだ。オイフェはこの後起こるであろう事に早くも頭を抱えてしまった。
「ねぇ、ねぇ、聞いて聞いて…」
「え?本当に?」
「オイフェ様とフィー様が…」
「やっぱり…」
「年の差が…」
オイフェの予想以上に噂はあっという間どころか、僅か2・3時間で広まってしまった。恐るべき噂好き侍女。この調子だと城下はおろかバーハラにいるセリスの耳にも入ってしまう事だろう。それをオイフェが確信をしたのは最も信頼を置いている側近にまで、
「オイフェ様…周りが『婚約解消』という話題にまで口にしだしているのですが…できればお早めに仲直りをして頂いて…」
とまで言われてしまったからだ。
「はぁ〜………」
オイフェはこれまでの人生史上最大の溜め息をついた。元はと言えば自分がフィーの精一杯の変化に気付かなかったのだから仕方がない。側近の言う通り、仲直りもといフィーのご機嫌を直す事が先決だろう。
オイフェはその日の公務を最小限度に抑え、フィーの下へ行く事にした。フィーがいる場所、それはオイフェにしかわからない所である。歩いていくには遠すぎる。しかし国境を越える所ではない場所。それはシアルフィ北にある名も無き山であった。普段人が来る所ではない為、自然がたくさん残されていてフィーのお気に入り場所なのだ。オイフェも時々フィーの天馬、マーニャに一緒に乗せてもらって行っているのだが、今はフィーがいない。それはすなわちマーニャもいないという事。つまり今日は馬或いは徒歩で山の頂に行かなければならない事を意味していた。決して高いとは言えない山だが、徒歩で行くとなると相当な運動になる。そこでオイフェは行ける所まで馬で、そこからは徒歩で行く事にした。時間にして1時間もあれば十分だろう。そう思いながらオイフェは山道に差し掛っていた。
「オイフェさんのバカ〜!!」
その頃、フィーはオイフェの予想通り山の頂で思う存分大声で不満を叫んでいた。傍らにいるマーニャも思わず少し主人と距離を取ってしまっていた。フィーは一仕切り叫んだ後、そのまま仰向けに倒れ込んだ。見上げる青空は雲一つ無く、どこまでも同じ色彩を放っていた。時々草木と同じフィーの深緑の髪を揺らす風も巻き起こっていた。
「はぁ〜………」
しばらくしてからフィーは大きく息を付いた。確かに最近はオイフェの仕事量は傍目から見ても増えていた。そのせいで語らいの時間も削られていた。勿論、シアルフィ復興の為には仕方がない。しかし、フィーにとってはオイフェとの語らいの時間は何物にも変えられない物なのだ。それを削られる毎日にはさすがのフィーも参ってしまっていた。そこで少し変化を付けようとしてみたのだが、前述の様にオイフェには気付いて貰えなかった。そこがフィーにとっては我慢ならない事であった。特に婚儀を間近に迎える身だから尚更であった。
「ブルルルル…」
フィーが少し目を閉じている間にマーニャがフィーの顔を伺う様に近付いていた。フィーがそれに気付くと、
「ねぇ、マーニャ、私って我侭かな?気付いてもらえなかったからって飛び出してしまって…」
「ブル。」
マーニャが短く答えた。
「そう、ありがとう。」
天馬騎士を長年やってきた彼女にとってマーニャの鳴き声一つで大体何を言わんとしているのかがわかっていた。勿論、周りの人間からすれば理解できない言葉のキャッチボールなのだが。
「でもさ、少しは気付いて欲しかったな〜なんて。だって一応私ってオイフェさんの…妻になるんだしさ。」
「すまなかったな、こんな至らない男が君の夫になるのだから。」
「え?」
マーニャの返事を期待していたフィーが体を起こす。そこには少し息が切れているオイフェがいた。途中から馬を下りて歩いて登る事、半刻。誰でも軽く息が切れても仕方がない。
「オ、オイフェさん…」
少しフィーは戸惑っていた。
「見た目よりもこの山は疲れるな。これからはマーニャに連れてきてもらおう。マーニャ、いいかい?」
そんなフィーの横でオイフェはそう言いながらマーニャの首を撫でる。
「ブルルルルル………」
普通天馬は主人にしか懐かないのだが、マーニャには心を許せる相手が2人いたのだ。嬉しそうに首を少し縦に振りながら鳴いた。
「そうか、そうか、ありがとう。」
フィー程ではないが、マーニャの言おうとしている事が仕草でわかったのだろう。オイフェは満足そうに笑っていた。
「ど、どうしてここに?」
フィーの声は驚きのままであった。
「妻が行きそうな場所がわからなかったら、それこそ愛想尽かされるからな。これでも一生懸命早く迎えに来たつもりだよ。」
しれっとオイフェが答える。改めてオイフェの口から『妻』という言葉を言われるとフィーは何だかくすぐったい気分になっていた。それでもまだ先程の事もあり、少し視線を外してしまった。
「オイフェさんって、本当に仕事に一生懸命ですよね。本当に勤勉なくらい。」
「おいおい、そんなに拗ねないでおくれ。確かにさっきは私が悪かった。謝るよ。」
「だったらさっきの答えをちゃんと言ってください!」
オイフェの謝罪にフィーはすぐに反撃する。譲れない所は譲れない。変な意地がフィーにはあった。しかし、
「…これだろ?」
オイフェは横を向いたままのフィーの横髪を掻き上げると、耳に飾られている装飾物に手をやった。
「いつもは青のイヤリング、でも今日は緑のイヤリングだな。私が君に初めてプレゼントした物だ。」
その言葉にフィーの意地はあっという間に崩されてしまった。その通り、フィーの変化というのはいつも付けているイヤリングだったのだ。今付けているイヤリングはフィーにとっては何事にも変えられない宝物だ。それはまだ聖戦の最中で与えられた一時の時間に、ペルルークでオイフェに買って貰ったイヤリング。本当に特別な時にしか付けない宝物だったのだ。オイフェはフィーが走り去る時に気付いたのだが、挽回のチャンスは今の今まで許されなかった。そしてようやくフィーが求めていた答えをオイフェが口にできたのだ。それでもフィーはありったけの意地をこの言葉に託した。
「ほ〜っんとに鈍感な夫なんだから!」
しかし、顔は既に喜一色で完全にオイフェの勝ちである事を示していた。
「で、これからどうしますか?」
先程までの喧騒はどこにいったのか、オイフェとフィーは横に座ってようやく語らいの時間を思う存分謳歌していた。
「う〜ん、まあ、もう少しこのままでいいんじゃないか?」
オイフェが珍しくそんな事を言った。
「いいんですか?大好きな仕事を放っておいて。」
フィーが少しふざけた様な口振りで言った。オイフェも負けずに、
「いいんだよ。私も今の時間が一番好きなんだから。」
と、言い返した。その言葉にフィーは今日一番の笑顔で返すのだった。そんな2人の後ろ姿に、
「ブル。」
と、マーニャが首を縦に振りながら短く鳴くのであった。
小さな事でも大きな事でも変化は変化。それは終わりの無い間違いさがし。それを見つけてこそ喜びがある。今日はそんなお話。
〜fin〜
うわ〜ベタベタな展開ですね(汗)でも好きな展開です。脇役のマーニャも結構好きな感じでした。やっぱりオイフィーはいいなぁ〜僕の原点ですね〜でもこれだけに満足せず、どんどんマイナーを突き進んでいかなければ!頑張っていきます!!
2001/11/20 執筆開始
2001/12/12 執筆終了
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