白潟公園の とうろう のはなし

白潟公園にとうろうがあります。
知っている人、見たことある人もあるのではないでしょうか。
そんな、白潟公園のとうろうのはなし。



なんで とうろう があるのか?

なんであるのか私もわかりません。
気が付いたころにはそこにありました。
ということは、結構昔からあったということになります。
謎を探るべく現場に行って見ました。
これが、白潟公園にあるとうろうです。
とうろうの下に看板があります。

その、看板にはこう書かれていました。


青柳楼(あおやぎろう)の大燈籠

 この石燈籠は、もともと明治初期から松江
の歓楽地として賑わった天満宮裏で、もっと
も大きな料亭の一つ「青柳楼」にあった。
現在の市立病院付近であるが、当時その辺は
宍道湖の波打ちぎわであり、総来待石(そうきまちいし)・高さ
六メートル余の大石燈籠は、入江の燈台の役
目を果していたもので、松江の名物の一つと
なっていた。
 その後、宍道湖の埋立てにより取り残され
ていたが、松江開府三百五十年祭にちなんで
昭和三十三年現在地に移設された。
 また、明治維新の時期、松江藩の危急を救っ
たといわれる侠女 玄丹お加代(げんたんおかよ)が芸妓として
勤めていたのが、青柳楼の隣にあった鳴玉楼(めいぎょくろう)
だったことから、この石燈籠は、「お加代
燈籠」とも呼ばれている。


とうろうの近くにこの看板に書かれていた
「玄丹お加代」の銅像がありました。
見てみるとかなりりりしい顔です。

銅像の下に解説が書かれていました。

読んで見るとかなり難しいことが書かれています。
銅像の後ろになにか書いてあったので撮ってみました。
(作者のサインかな?)
結論 : とうろうはかなり昔からあった。
「玄丹お加代」が関係している。



どうやって とうろう はできたのか?

このとうろうは何年か前に修繕されています。
そのとき、修繕したのが私の親父と職人さんだったらしいです。
だから、このとうろうのはなしを作ろうと思ったのです。
ここでは、とうろうの修繕途中の写真などを載せています。

これが修繕前のとうろうです。
見てのとおり、かなり痛んでいます。

このとうろうが…

こんなに綺麗になりました。

どうやって造ったかというと

この写真のように、とうろうのパーツ
一つひとつを綺麗に積み立てて
造ってます。

完成までの過程。

とうろうの屋根の部分は、
昔のとうろうと同じみたいです。

こうやってとうろうは完成したのでした。



番外編


とうろうの窓の中はこうなっていた!

たぶん窓の中だと思います。
中心にある黒いホースは、電気の配線だと思われます。
なぜかというと、夜になると光り輝いているからです。

とうろうの窓の中を見たことのある人は一人もいないと思い載せました。

夜になるとこんな感じです。



古いとうろうの行方

左の写真は楽山公園らしいです。
解体したとうろうを一時的に置いといたみたいです。
現在の行方は不明です。



白潟公園工事中の看板

工事中の看板です。
工事中はこの看板があったみたいです。



この修繕工事で石碑も換わっていた

これが換わる前の石碑です。


換わった後の石碑(現在の石碑)

古い方の石碑は達筆すぎてなんと書いてあるかわかりません。

新しい方(現在)の石碑は、

と、書いてあります。

換わった後の石碑と現在の石碑は、土台が微妙に違います。



まだいろいろある白潟公園


白潟公園にはとうろうの他にもいろいろとあります。
地元の人でも、たまに散歩してみるのもいいかもしれません。





勝手に観光案内

白潟公園にあった看板で、勝手に観光案内。
これから松江に観光に行きます。なんて人がいたら見てみるのもいいかも。