創立27周年・支部設立記念
第6回合気道養神館島根支部総合演武大会
1.大会日時:平成21年7月26日(日)・講習会:7月25日(土)
2.場所:島根県松江市宍道町武道館
3.天候について
梅雨明けが遅く、梅雨の終盤を迎えた小雨混じりの冷夏の中で演武大会が挙行されました。とかくこの時期、蒸し暑い中での大会となりますがそのようなこともなく、涼しささえ感じられる絶好の大会日和となりました。念のため扇風機4台を準備いたしましたが、その必要もない位でした。
4.会場について
隣接する公民館は町内の文化行事、体育館はバレ−ボ−ル社会人男女優勝大会が同日に実施され48台分しかない駐車場の借り入れに苦慮しました。また例年大会のため使用している公民館の来賓控え室や和室が使えず不便を感じました。幸い宍道支所のはたらきかけと公民館のご厚意により大会当日は駐車場28台分を貸してもらうことができましたが、会員数名の駐車場が足りず近くのス−パマケット・ベルに頼み、駐車場を借り、会員の一部はそこに止めさしてもらい、3会場に集う来客の駐車場の確保に努めました。その甲斐もあり、演武会当日はまったく混乱することなく、円滑に一般の見学者及び保護者を来客としてお迎えすることができ、公民館をはじめとする関係機関の皆様に感謝いたしました。
5.参加者について
参加者が多く多彩な顔ぶれがありました。2日目の演武会では安藤師範の他、会員33名、龍大阪会員2名、盛武館島根県本部会員5名、松江地区柔道連盟会員6名、山陰中央新報社専務1名計48名の参加がありました。演武会の見学者は会員の保護者14名、来客8名計22名ありました。
6.大会会長(支部長)挨拶
創立27周年・支部設立(認可)記念の大会となったことは、誠に感慨深いものがあり会員一人一人の力の結集の賜物であり、支部を代表し、支部長より会員に対して感謝の言葉を述べさせていただきました。支部長の挨拶の中で、去る7月13日ご逝去となったもと養神館最高顧問・全日本養神館合気道連盟会長・寺田精之先生の(養神館合気道10段)生前のご功労・功績を称え、哀悼の意を表するため参加者全員で30秒間の黙祷を捧げました。そのため故寺田精之先生を偲ぶ追悼演武大会ともなりました。
7.来賓(藤岡正春先生)挨拶
合気道も柔道ももとは柔術であり、兄弟です。 柔道は嘉納治五郎先生が合気道は植芝盛平先生が考案されました。嘉納治五郎先生から派遣された富木謙治先生は富木流合気道を考案されました。合気道も柔道もいずれも柔の理をもとにしており相手の力を利用して仕掛けるものです。柔道は体力を必要とし、合気道は技術的な面で先端に位置しています。簡単なことでも修練するのは大変なことであります。日常生活の中でも修練し技を磨いて欲しいと思います。ますます養神館合気道が発展するよう祈念いたします。
8.審査委員長(安藤毎夫本部主席師範)挨拶
今日しかないと思って大会に集中して欲しいと思います。けががないよう注意していただきたい。競技演武の審査は10項目で減点方式で行います。頑張ってください。
9.記念品について
第4回大会の記念品であった手拭いの色違いのものを50枚準備しました。養神館のマ−クであるヤタの鏡を背景にしたハヤブサを深紅に、「行住坐臥 一切の事勢 これ最善の道場」という塩田剛三館長先生の座右の銘、大会名、大会月日を濃紺で染め込んだものを作成、関係者に配布いたしました。これによって師匠・塩田剛三館長先生の精神が伝わり合気道修業のよすがとなれば主催者としては望外の喜びであります。

10.来賓の紹介
来賓者を多数迎えることができました。松浦正敬松江市長のメッセ−ジを本大会役員により朗読紹介させていただきました。「創立27周年・支部認可記念第6回島根養神館合気道総合演武大会がここ宍道武道館において多数の選手の皆様が参加され盛大に開催されますことを心からお慶び申し上げます。・・・」と。市長のメッセ−ジ紹介に続き、来賓紹介をいたしました。
最初に藤岡正春先生を紹介いたしました。藤岡先生はもと島根大学教育学部教授で現在退官され島根大学名誉教授となられました。天理大学柔道部OBで講道館7段、もと島根大学柔道部監督で島根国体の折には古式の形を演武され平成21年4月より松江地区柔道連盟会長として後進の指導を行われ、投げの形・固めの形など100本近い講道館の形と演武が可能なまさに島根の柔道の生き字引のような方です。次に山陰中央新報社専務取締役三沢享一郎(みさわきょういちろう)様を紹介いたしました。昨年12月常務取締役から専務取締役に昇格されました。最後に重吉伸一先生を紹介いたしました。不遷流柔術目録免許・日本総合武道5段位・不遷流柔術島根県本部長を務めておられます。
以下、来賓者多数により勝手ではありますが紹介を割愛させて頂き、演武の際に紹介させて頂くこととしました。
11.基本動作と関連技
基本動作連続と31の杖を全員で演じた後、有段者有志により基本動作がどのように技に変化していくのか3組6人の有段者により代表的な技を持って仕手受け交代しながら基本動作と関連技を行いました。
12.少年演武
少年演武は少年9名により、前受け身、後ろ受け身、前膝行法、後ろ膝行法、片手持ち四方投げ(一)、片手持ち四方投げ(二)を仕手受け交代しながら同じ技を片側のみ二本行いました。整然とまとまって行動できました。
13.少年自由技演武
少年2名が大人の会員に受けを取ってもらい、自由技を演武いたしました。大人を宙に浮かせる場面もあり、観客が息をのむ場面もあったと山陰中央新報社の翌朝の新聞に掲載されました。なんといっても受けが大人ですので演武とはいえ相当な体力が必要であり、仕手の少年の息づかいの荒さが伝わってきました。残身がとれ、安定感、力強さが感じられました。

14.競技演武について
従来は少年はアトラクション(備考4)としての団体演武のみでしたが、今回は基本技の競技演武を一般のみならず少年まで広げ実施することになりました。ただし基本技のみで自由技の少年競技演武の実施は技術が伴わないため時期尚早と判断し、今回は見合わせました。
競技演武の形式を変更いたしました。仕手、受け交代し同じ技を片側のみ交互に行いました。一般は片手持ち二カ条抑え(二)と横面打ち正面入り身投げ(二)、少年の部は片手持ち四方投げ(一)、正面打ち一カ条抑え(一)を指定いたしました。一般の部自由技は特に指定せず自分で指定させることとしました。従来は任意の組み合わせで、演武した者の中から1名のみが選出していましたが、受けの協力も評価し、仕手受けの1組2名を審査の対象とし、10項目の減点方式で行い、もっとも減点合計の少ない一組を優秀演武賞候補として選出いたしました。その結果、一般の部・自由技はハ−ストライアン・渡部〇組が、一般基本技の部は伊藤〇麻・石川〇也組が、少年の部・基本技は三宅恵〇子・吉川〇彦組がそれぞれ優秀演武賞を受賞いたしました。また各道場長の推薦により平素の稽古が良好な者に対して奨励賞を授与いたしました。三宅莉○子、赤田○彦、若林○河の3人が奨励賞を受賞いたしました。賞状は財団法人合気道養神会会長井上幸彦、宗家塩田泰久のお名前で出されました。本部を代表し、安藤毎夫師範から賞状がそれぞれ手渡されました。
15.エキシビション(ここでは賛助演武もしくは招待演武の意。備考4参照のこと)
不遷流は幕末(江戸時代の末)武田物外和尚という方によって作られました。松江には直信流柔道というものがあり物外70歳の頃立ち会いました。(このことについては文献により確認することができます。文末の備考欄1〜3を参照のこと)。松江の宗泉寺(禅宗)・宍道の集古館には今でも遺品が残っています。津山市には7代目宗家がおられ松江とゆかりが深いのでそれを継承しようということでやっていますとのことでした。不遷流柔術の形は不遷流柔術盛武館島根県本部長重吉伸一先生を始め不遷流柔術盛武館島根県本部鹿島道場の皆様4名によって演じられました。演目及び演武者は@初伝の型−奥村強(おくむらつよし)・柏井孝文(かしわいたかふみ)A中伝の型−三成勉(みなりつとむ)・高田裕也(たかたひろや)B武器術・十手の型−三成勉・高田裕也(たかたひろや)C不遷流柔術の形−重良伸一(しげよししんいち)以上です(敬称略)。
講道館柔道・柔の形は松江地区柔道連盟、松本法能・糸川明夫両先生により演じられました。松本法能(まつもとのりよし)先生は、東地区柔道連盟理事長など要職を歴任され、平成11年には全国形選手権大会に出場され、平成18年には東地区柔道連盟功労者表彰を受賞されています。講道館柔道6段です。糸川明夫先生は、東地区柔道連盟役員を歴任され松江刑務所柔道部指導者を務め、自らも選手として国体に2度出場すると共に全日本形競技大会にも出場しておられます。講道館柔道6段です。解説は藤岡正春先生により行われました。柔の形は投げたり投げられたりすることなく体さばき、身体動作、力の習得を
できるようにするもので女子柔道に欠くべからざるものであり、技は15本からなっているとのことでした。バタバタと投げることなく、力の流れが表現され、合気道との関連がうかがわれました。この形は嘉納治五郎先生が古流柔術を参考とし考案されたとのことです。
講道館柔道・柔の形 不遷流柔術の形
1.jpg)
16.護身術
護身術は神田○子(初段)が暴漢役の佐藤太栄(2段)が襲ってくるのを10本の技で、次々と捌き、投げ、極めていました。一段と技の切れ身を増した演武は迫力満点であり、観衆をおもわず魅了いたしました。
17.指導者・道場長演武
指導者演武では剣取り自由技の高橋健太郎(3段)、短刀取り自由技の佐藤太栄(2段)の演武が優れていました。佐藤太栄の受けを取る神田〇子には受けの方が大変だとかよく受けをとるという感嘆の声が上がっていました。
道場長演武では出雲弥山道場の板倉敬司の座り技、二人取りなどの演武が好評でした。軸足が固定され残身も決まっていました。境港道場長は後ろ両手持ちの自由技を流れるような円熟した技で演じました。
18.賛助代表者演武
龍大阪代表の村川真啓指導員と中西啓二氏により熱意を込めて一生懸命、自由技を演じていただきました。当初参加予定の2名が病気や事故で不参加を余儀なくされた中であくまでも約束を守り、困難を乗り越え自派の稽古を取りやめてまで遠路大阪より列車でご来県いただきました。その誠意には感ずるものがありました。また安藤師範の受けを取り、皆を楽しませていただきありがとうございました。
1.jpg)
19.支部長演武
支部長演武は座り技呼吸法3本に続き両手持ち自由技、立っての両手持ち自由技、杖取り自由技、合気の技、多人数取りを演じました。
1.jpg)
20.総合解説演武
総合解説演武は安藤主席が行いました。私の師匠・塩田剛三先生は中心が大切であるといわれそこには姿勢が関わっていると言われました。その例として横面打ちを正しい姿勢と崩れた姿勢の二つの姿勢でやってみせ、比較、説明されました。さらに流れの中で、相手の力を利用して投げる技を次々と出され、何処でも力が出せることができるようにならないといけないと受けがところかまわず持つところを次々と呼吸投げで投げてみせられました。さらに両手を使わず胸を取りに来た受けを胸持ち自由技で投げられました。そして、二人取り自由技を自在に演じて見せられました。最後にまた姿勢の重要性を説かれ、私も30年になるが基本に忠実にあわてることなくあくことなく修業すれば30年くらいすれば皆さんもこれくらいできるようになると締めくくられました。いつもながらの合気のともなった円熟した華麗な技を披露され、観客を魅了していただきました。本大会のため熱演していただきありがとうございました。
21.昼食会について
1日目の安藤主席との昼食会は武道館の床にビニ−ルシ−トを敷きその上に和机2台を置き安藤師範・村川指導員、龍大阪の中西氏、支部長が座り、後は机なしで食べました。2日目は来賓は本部席で食べてもらい、会員は本部席の前で柔道場に四角のビニ−ルシ−ツを敷き、机なしで座って食べました。当初、和机を19台準備する考えでありましたが、片付けに手間取るためやめました。来賓との距離感が埋まって良かったと思いました。発言のなかった三沢専務や重吉先生にお話をしていただきました。
22.記念写真について
安藤主席の他、支部長他会員31名、龍大阪2名、盛武館島根県本部会員5名、松江地区柔道連盟3名、保護者等6名、山陰中央新報社専務1名計50名が記念写真に収まりました。

23.主席・来賓のコメント
○安藤主席の感想
今回は参加者も多くなり、充実した大会であったと大変喜んでいます。
○藤岡先生の感想
合気道は技がきれいである。
○三沢専務の感想
良いものを見せてもらいました。中心の力(丹田)が備われば邪なものにも負けません。
○重吉先生の感想
礼儀正しくてみていて気持ちがよい。
○山陰中央新報社の新聞掲載
気迫にあふれる技が次々と繰り出さ れた。
(25.関連写真の項で山陰中央新報社切り抜き記事転載)
24.終わりに
このたび創立27周年・島根支部設立第6回合気道養神館島根支部総合演武大会・講習会を開催いたしましたところ、ご多忙にもかかわらず多数の方々にご参集いただきありがとうございました。合気道養神館本部主席師範安藤毎夫先生には遠路ご来県いただき大会での解説演武ばかりではなく講習会に至るまで2日間にわたって大会運営の要として活躍いただきました。松江地区柔道連盟・松本法能・糸川明夫両先生及び不遷流柔術盛武館島根県本部長重吉伸一先生及び不遷流柔術島根県本部鹿島道場の皆様には見事な演武を披露していただき柔術諸団体同士の技術交流を図ることができました。さらに松江地区柔道連盟会長の藤岡正春先生、副会長高木大先生、理事長門脇昌徳先生、山陰中央新報社専務取締役三沢享一カ様にはご多忙のところ最後までご臨席ご高覧いただき誠にありがとうございました。その他、協賛いただきました(財)合気道養神会、合気道養神館本部道場、養神館合気道龍大阪やご後援をいただきました松江地区柔道連盟、松江市・松江市教育委員会、山陰中央新報社様のおかげで大会は成功裡の内に終了することができました。厚く御礼申し上げます。
本大会は島根支部の会員が一同に会し、日頃の技術研鑽の成果を発表する場でありました。演武大会ではその趣旨に沿う発表ができ、会員相互の親睦と柔術諸団体との交流を図ることができました。さらに来賓の方々や一般の来客をお迎えし、新聞掲載もあって広く一般に公開することもでき、養神館合気道をさらに多くの方々に知っていただくことができたのではないかと思います。
私どもはこれからも、和と礼節を尊ぶ合気道精神をより多くの方々にご理解いただくよう努め、さらにいっそう合気道修行に邁進して参りたいと考えております。
今後とも合気道養神館島根支部の活動に対し、深いご理解とご協力を賜り、末長くご支援ご後援いただければ幸いであります。
25.関連写真
山陰中央新報社掲載記事・7月27日付け朝刊

基本動作連続 保護者のまなざし
講習会
大会開催前のひととき
懇親会

捌く 投げる 極める 闘い終えて

(備考1)津本陽『拳豪伝』(上下講談社昭和60年第1刷発行)は物外和尚の逸話が満載されておりその中に松江に来た物外の武勇伝等が紹介されています。
○和尚が松江の宗泉寺に滞在したときのこと。大男の武士が試合を申し込んできた。次の日、寺に土俵をこしらえて大勢の見物人の前で試合が行われた。物外和尚は自分より大きな武士をかつぎあげ、地面にたたきつけると武士は目をまわした(尾道盛武館HPより引用)。
○宗泉寺に滞在中、物外和尚は松江藩直信流柔道師範、小倉六蔵という者と試合をした。小倉六蔵は直信流柔道の技で、和尚を寺の隣の茶畑に投げた。これにはさすがの和尚も「雲藩の柔道は強いわい。」と舌を巻いた。物外和尚が敗れたという話は後にも先にもこれ一つしかない。この流派は講道館柔道より先に、「柔道」を名乗っていた。(尾道盛武館HPより引用。ただしこの話は津本陽『拳豪伝』(上下)には載っていません。『松江八百屋町 町内物語』からの引用でしょうか。この史実の源資料は現在は行方不明となっていると聞いていますが、その資料を読み確認した人はいます。津本陽『拳豪伝』の中では松江藩の大東流の達人中村判内と立ち会い、負けて弟子入りしたという話が紹介されています。小説なので脚色している話と思われますが、小倉六蔵という者と試合をしたという話がヒントになっているのではないでしょうか。)
(備考2)『松江八百屋町 町内物語』(白潟の巻昭和30年6月1日初版松江八百屋町刊行の会編)島根県での物外和尚の逸話が紹介されています。
宗泉寺と拳骨和尚
げんこつ和尚が長らく滞留したというので有名であったのは、寺町宗泉寺であった。この地に数多い曹洞宗退休寺、源翁派末寺の一つであって、十一面観音を本尊としている。明徳元年松浦熊太郎が才の神あたりに開いて宗泉庵と称していたが、開山から五十五年を経た、今から五百十年も昔の文安二年、松浦熊太郎の末裔といわれる松浦唯之進貞房が今の場所に再建し、祝盛山宗泉寺と改め、趙天仲寺大和尚を迎えて開山と仰ぎ、彼一門の菩提寺と定めたのである。
嘉永三年、住職の笑厳和尚と交友関係にあった世にも名高いげんこつ和尚こと、物外和尚が滞在した。げんこつ和尚の実父は武田信玄の裔といわれる伊予国松山藩の三木兵太夫という武士であった。和尚は身の丈六尺の大男で米俵二俵をかるがるかつぎ高下駄で歩くという豪の者で、長い逗留の間毎日笑厳和尚と談じながら斗酒も辞さなかったといい伝えられている。
和尚は勤王の僧としても名を知られており、松江藩士石原佐伝次、大石源内、杉原源蔵、諏訪豊弥などに武道と神道を鼓吹するなど、長い滞在といえどもずいぶん急がしくしていた。
ある日のこと、宗泉寺の庭園において石原佐伝次の門下小倉六蔵と和尚は力技を競った。最後に小倉は和尚を柔道の技によって茶畑に投げつけた。さすがの和尚も出雲藩の柔道には舌を巻いて驚いたという。同寺の本堂にかかげられている「善通物」の大字の額はこのげんこつ和尚の書いたものと古老はいっている。泥仏庵と号が記された下に印はなく、そこにかなづちで打ったような三ヶのきずあとが見えているのを和尚が拳をもって印の代わりにしたものだという。
宗泉寺に留まること六十余日、その後、勤王の同志と往来し運動を続けていた。慶応三年(1867年)、討幕の密勅が下った際に、薩長軍に投じて江戸に向かわんとし大阪に滞在中、七十四才で病歿した。この宗泉寺には今もげんこつ和尚の遺筆が数多く残されているといわれる。
(尾道盛武館HPより引用)
(備考3)『松江地区柔道連盟六十周年記念誌』の102頁、藤岡正春著「雲藩柔術・直信流柔術について」の参考文献及び引用文献・資料の中で直信流柔道系譜が記載されています。それによると小倉六蔵の師匠、石原左伝次中従は直信流柔道十五代宗家、松下弘先生にさかのぼること100年以上前に直信流柔道十代師範(嘉永元年1848年)として実在した人物であることが確認できます。
(備考4)アトラクションではなくエキシビションが正しい表現ではないかとのご指摘がありました。このことについて考えてみましたので、お読みいただいた上で何かご意見や要望があればお聞きしたいと思います。
さてアトラクション(attraction)とはどのような語義であるのでしょうか。またエキシビション(ekihibisyon)とはどのような語義であり、その違いはどこにあるのでしょうか。
ス−パ−大辞林によるとアトラクションとは@主となる催し物に添えて行う、客を集めるための出し物。余興。A人を引きつける力。と書いてあります。アトラクションの使用事例としてはデイズニ−ランドのアトラクションが有名であり、遊具より歌や踊りなどのアトラクションが魅力で客が集まってきているといわれています。例えていえば主食のご飯に対して副食のおかずに相当するということではないかと思います。それゆえアトラクションは価値が低いということではなく、むしろ大変な価値を有していると思われます。アトラクションがないと経営が立ちゆかないとさえいえるのです。第53回全日本養神館合気道総合演武大会ではアトラクションとしてGフォ−スダンスカンパニ−を紹介していました。歌や踊りの余興をアトラクションというのですからわかりやすく適切な使い方ではないかと思います。私どもがアトラクションという言葉でよく紹介するのは歌や踊りではありませんが、少年の集団演武とか女子護身術です。強弱の問われる武道の世界では女性や子供は軽くみられがちですが、それ故強い弱いに関係なくできる合気道のアトラクションとして好個のものであります。少年演武をみる観覧の保護者も小さいなりに精一杯やっている我が子の姿を見るにつけその成長ぶりをじかに確認することができます。合気道は演武が主体であり、未だ投げ技などの演武の十分できない初心の少年であっても構えや基本動作、膝行法、受け身などはそれなりに習得しており、集団で演じてみせることによりアトラクションとしての効果や意義を確認することができると思います。十分に人を引きつける魅力があるものをアトラクションというのですから・・・。女性の女子護身術の演武もしかりです。力の弱い女性が暴漢役の大の男を投げ飛ばすのですから見応えがあります。アトラクション=余興であるからといって軽く考えるのは間違いであるように思います。余興であるからといって軽く考えているわけでもありませんし軽蔑するものでもありません。
エキシビションではというご意見もありますがそれは違うと思います。エキシビション=模範演武ということであればそこまではいかないからです。女子護身術についてはレベルによりエキシビションといっても良い場合はあると思います。では柔術や柔道の形をアトラクションといって良いかというと場合によっては問題があるように思えます。なぜなら大会主催者内部の者ではなく、招待してきていただいている方に勝手に主催者が歌や踊りのようにアトラクションと位置づけ紹介するのは失礼になるという考えがあるのです。合気道との関連でともに柔術系の武道なのであり、大会の趣旨に他武道との交流がうたってありますのでこれに反する演武ではありません。御飯に例えれば副食というよりは主食の一つと考えても良いのであって単なるアトラクション=余興ではないのです。ここでは余興でない表現が求められるのです。となるとエキシビションということになるのでしょうか。あながち間違いとはいえませんが、今から考えるとこれも必ずしも的確ではなかったと思います。主催者の意図からすれば誤用したともいえます。つまりエキシビション=公開演技や模範試合もしくは模範演武のことであるのにここでは招待演武といいたいからであります。
このエキシビションは英語のエクジビション(ekihibisyon)から転用した日本語であり和製英語(備考5)といえます。日本でしばしばエキシビジョンと呼ばれることが多いのですがこれは誤用とされています。しかし誤用であってもみんなが使い出せば日本語として認められる場合もあります。なぜなら和製英語とはもとの発音や意味からすると最初は誤用から始まっているからです。現状で一般的に日本語として認められている言葉はフリ−百科事典『ウイキペデイア』によりますとエキシビション(、エキジビション、ekihibisyon)であります。この意味は「公式記録としない公開演技や模範試合を意味する。スポ−ツの世界においては勝ち負け抜きで行われる特別実演。フィギアスケ−トや体操競技などの客前で演技するものについては、ガ−ラ(Gala、演技会)と呼ぶこともある。フィギアスケ−トのエキシビションは大規模な競技会ですべての競技種目が終了した後に行われる、上位入賞者による採点や順位付けを伴わない演技のことである。ル-ル上の規定に沿った技と演出の中でされる競技とは違いエキシビションでは技や演出の制限はない。」つまりエキシビション=公開演技または模範試合ということです。拡大解釈するとスポ−ツでは模範試合、武道の形中心の演武大会では公開演技または模範演武ということになると思います。
私どもの合気道の大会は大きく2部構成となっています。一部は採点の伴う競技演武であり、2部は採点に関係しない指導者クラスの模範演武であります。この模範演武こそエキシビションといってもよいのですが、エキシビションとして紹介していません。そこに柔道の形や柔術の形のみを、シキシビション(=公開演技または模範演武)として合気道の大会において紹介するのは、いかに大会の趣旨に沿うとはいえ、問題があると思います。合気道の大会おいて柔道や柔術が合気道の模範であり、これこそが模範演武であると表現すると合気道の会員からみると合気道そのものの否定とも受け止められかねない懸念がなきにしもあらずです。ここは主催者側の意図を的確に表現する言葉を選ぶ必要があります。似たような表現としてはデモンストレ−ション(demonsutration)という表現もあります。これはスポ−ツ大会などで正式の競技以外におこなわれる競技という意味があるようですが、ここではアトラクションと同様に不適切な感があります。
このことと関連して第53回全日本養神館合気道総合演武大会で国際松濤館空手道連盟国際部長村上学氏と田中慎二氏に空手の形を演じていただきましたが、この時の取り扱いは賛助演武と紹介、記載されていました。私共の大会の表現の中では協賛演武という言い方に近いと思います。招待演武という言い方でも良いかもしれません。いたずらに紛らわしく無用の混乱を招きかねない和製英語を使わなくても適切な日本語はいくらでもあります。日本語で表記した方がはるかにわかりやすくすべての大会参加者の理解を得られやすいのではないでしょうか。もし大会名が柔術もしくは柔術系総合武道大会であればより明確です。合気道も柔術も柔道も共にこのような大会では同列であり、主役ですのアトラクション=余興とはいえません。すべてエキシビション=公開演技または模範演武といっても間違いではありませんが、その時にはすべて公開であり模範演武なのにいまさらエキシビションと記述する必要もなく、大会の主催者を基準として参加の仕方や参加団体、参加者の位置付けにより賛助演武(趣旨に賛同して助けること)とか後援演武とか招待演武もしくは団体代表者演武など演武種別をいろいろ考えて、適切に表現していけば良いと思います。
アトラクション(attraction)とエキシビション(ekihibisyon)、いずれにしても和製英語の使用が絡んできますとその使用法は大変難しく、未だ日本語としてに十分に成熟せず、定着していないためか、使い慣れないと無用の誤解を招きかねない用語であると思いました。今後はできるだけ日本語で表現した方が良さそうです。もし使うとすれば明らかに正しい使い方である場合を除き、組織内部のものに限定して使うのが無難ではないかと思います。
(備考5)和製英語(わせいえいご)とは、英語の単語を組み合わせることにより造られた、英語風に聞こえるが本来の英語にはない表現のこと。日本ではジャパニーズイングリッシュとも呼ばれるが、この言葉も和製英語である。また欧米には存在せず、日本独自のものを英語風に名づけて普及した言葉も含まれる。
|