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33年に一度の伝統行事を紹介します。

伝承歴史TRADITION HISTORY

荒神式年神楽伝承行事

荒神式年神楽

第42回 昭和57年(1982)
大川端総荒神三十三年式年神楽

 大川端は松江市の最南端で大原郡大東町に接し、戸数52戸の集落である。大川端総荒神(三宝大荒神)は、県道から東へ約300㍍、字小明にあって、約10㌃の平坦な境内をもち、集落全戸の崇敬するところである。
 祭神は素盞鳴尊(すさのおのみこと)で、33年目に行われる式年神楽で、千年有余に及ぶ古い歴史をもっている。
 伝説によれば、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天の岩戸にお隠れになったとき、そのお出ましを願うため、神々が協議の末、天宇受売命(あやめのうずめのみこと)が舞を奉納されることになり、その時の奏楽に使用した「鼕」「太鼕」の皮は、この地方の牛の皮を献上したものという。
この牛を荒神として祀り、毎年祭りをして神霊を慰めてきたが、その後、33年目毎に大々的に神楽神事をするようになって現在受け継がれているという。明治19年の神楽までは、この荒神から約100㍍離れた場所に神楽屋敷(字岡畑、現在は畑)というところがあり、ここに広い舞殿を造り、講中は堅牢(けんろう)桟敷(さじき)を設け、祭礼当日は端々までの親類を招き、徹宵観覧したものという。大正7年(第40回)のときから境内を拡張し、神事はその境内で執り行うことになった。昭和25年に41回目、57年に42回目の式年神楽神事が盛大に行われた。荒神神楽御託宣文面 42回目の神事は、57年4月15日午後3時から始まり、荒神社を管理する和田統彦忌部神社宮司を斎主に、大原神職神楽保存会(会長 宮川昌彦貴船神社宮司、21名)が奉仕者となって、まず湯立神事、七座神事と続き、夜7時から神楽の奉納が始まった。この神事をみることなく前年秋他界した管理者和田善種忌部神社前宮司の遺影も、舞台横に飾られた。
 神楽は、「式三番」と「御託宣」をはさんで、「国譲」「岩戸」「八頭」など13段が舞台狭しと次々と演じられ、佳境に入った16日午前3時、いよいよ神事の最大行事である「御信宣」が始まった。
 境内の灯が消され、祈禱役の神職が祈禱辞を唱える。張りつめた空気が深夜のしじまに流れ、やがて託台(霊媒)の宮川真臣神職のからだが前後の揺れだし、神がかりの状態になった。手添え役がその託台を抱えて祭壇前の米俵に座らせると、やがて祭神からの御信託のことばが告げられた。

大川端総大荒神式年神楽 過去の記録


第34回  享保11年(1726年)  8代将軍  徳川吉宗    10代  雪政(長澤宇兵衛)

第35回  宝暦 8年(1758年)  9代将軍  徳川家重    11代  昌政(和田村路正)

第36回  寛政 2年(1790年) 11代将軍  徳川家斉    12代  政辰(和田仲津正)

     祭神 奥津日子神、素盞鳴尊、奥津比蕒神

     齋行日:3月18日

     次第・演目:入言、御座、喜餘目、勧請、祈念、祝詞、八乙女、手艸、悪切、式三番

              神能:住吉、切要、岩戸、八幡、八重垣、三韓、御託宣、荒神、成就御神楽

第37回  文政 5年(1822年) 11代将軍  徳川家斉    13代  政清(和田遠江正)

第38回  嘉永 7年(1854年) 13代将軍  徳川家定    16代  重光(和田播磨正)

     次第・演目:入言、細舞、御座、清目、勧請、祈念、祝詞、八乙女、手草、

              神能:山神祭、式三番、五行、大社佐陀、日本武、八重垣、八幡、三韓、磐戸、日御碕、

                        御託宣、荒神

第39回  明治 19年(1886年)                   17代  饒穂

     次第・演目:大祓、鎮座式、入言、清目、散供、勧請、祝詞、手草、同真、釼舞

              神能:榊祭、大社、式三番、神子切目、磐戸、武甕槌、八戸、八上比賣、五行、三韓、

                        畝火山、惣祓、祈念、荒神、成就神楽

第40回  大正  7年(1918年)

     次第・演目:清目、散供、悪魔切、勧請、祝詞、手草、手艸蓮舞、八つ花

              神能:山神祭、式三番、須佐、切目、武甕槌、日本武、磐戸、五行、三韓、八戸、経津主、

                        畝火山

第41回  昭和 25年(1950年)   4月15日・16日

     当日早旦祭場舗設   午後2時煙火、午後3時祭典開始

     斎主以下祭員着座⇒入言⇒湯立行事⇒一拝⇒献饌(15台)⇒総祓⇒祝詞⇒玉串奉奠⇒一拝⇒退下

     七座⇒神能

     奉祝祭(一拝⇒総祓⇒祝詞⇒玉串奉奠⇒徹饌(神酒、御鏡餅)⇒成就神楽

第42回  昭和 57年(1982年)   4月15日・16日

     式年祭:着座⇒入言⇒一拝⇒献饌(15台)⇒総祓祝詞奏上⇒玉串奉奠⇒一拝⇒退下

     七 座・清目、茣蓙、散供、手草、陰陽(湯立)、勧請、悪魔切

     神楽能:八つ花、山神祭、式三番、須佐、五行、美保御崎、国譲、岩戸、茅の輪、畝傍山、大社、

                 八戸、御託宣、日本武、切目、日御碕

     奉祝祭:入言⇒一拝⇒総祓⇒祝詞奏上⇒玉串奉奠⇒徹饌(神酒、御鏡餅のみ)⇒成就神楽⇒一拝

                 直会⇒神札授与⇒祭主挨拶⇒委員長挨拶  千秋楽万々歳⇒各退出・退場

 

第43回  平成26年(2014年)   4月26日・27日

   ※第34回以前の記録については焼失している
   ※参考文献 忌部郷土史 昭和編   ふるさとのしおり―忌部―



出雲國大原神主神楽の主な演目

湯立神事湯立神事 YUDATESINJI

 神楽の奉納に先立ち、これに関わる全てのものを祓い清めるために行われる。
 祭壇に神饌(しんせん)を供え、湯行司(ゆぎょうつかさ)が湯釜で「探湯(くがたち)」の祈祷をする一方で四人の舞司が「幣」と「剣」の舞を舞う。
その後、湯行司が「湯笹祓(ゆぎさはらい)」をして終了する。


清目
清 目 KIYOME

 「七座(しちざ)」の最初に舞う曲で、一人舞である。前段は「小幣(こべい)」の舞、後段は「扇」の舞である。
 舞い終わると、手にした「小幣」で舞座・舞手・囃子方(はやしかた)や観劇者を祓い清める。







山神祭
山 神 祭 SANJINSAI

 「天照大神(あまてらすおおみかみ)」は弟神(須佐之男命(すさのおのみこと))の暴挙に怒り、岩戸に隠れてしまう。
世の中が真っ暗になったため、神々は打開のために秘策を練り、そのひとつとして岩戸の前で神楽を演じることになる。
 「天児屋根命(あめのこやねのみこと)」は、その神楽に使用する「(さかき)(真賢木)」を天香具山に求め、無断で持ち帰ろうとするが、その山の主である「大山衹命(おおやまずみのみこと)」にとがめられ、奪い返されてしまう。
 しかし、岩戸開きのために必要な「榊」と分かり、快く献上する。
「天児屋根命」は喜び、「大山衹命」に『十握剣(とつかのつるぎ)』を渡し、荒振る神を鎮めるように命じて立ち去る。


岩戸岩 戸 IWATO

 「山神祭(さんじんさい)」に続く曲である。
 「天児屋根命(あめのこやねのみこと)」が持ち帰った「榊(真賢木)」を祭り、八百万の神は「天照大神」がお隠れになる岩戸の前で夜神楽を舞い奏でる。八百万の神の必死の祈願と策略が実り、「天照大神」は目出度く岩戸を出御(しゅつぎょ)する。



ちのわ茅 輪 TINOWA

 「須佐之男命(すさのおのみこと)」は旅の途中で日が暮れたため、ある山里の
蘇民将来(そみんしょうらい)」と「巨旦将来(こたんしょうらい)」に一夜の宿を頼んだ。富豪の「巨旦将来」は財を惜しんで断り、貧窮の「蘇民将来」は栗飯で応じた。翌朝、「須佐之男命」は「蘇民将来」の誠心誠意の供応に感激して「茅輪(ちのわ)」を授け、門先で「悪魔除け」の剣舞をして旅立った。
 やがて、「八十禍津日神(やそまがつびのかみ)(疫病神)」が登場し「巨旦将来」は滅ばされるが、「蘇民将来」は「茅輪」のお陰で逆襲した。


国譲国 譲 KUNIYUZURI

 「武御雷之命(たけみかずちのみこと)」は出雲の稲佐の浜に天降り、「大国主命(おおくにぬしのみこと)」に「天津神(あまつかみ)に国土を奉れ」(国譲り)との神勅(しんちょく)を伝える。
「大国主命」は(いさぎよ)しとし、連れ舞ののち、『福餅』を撒く。
 ところが、このことを不満に思う「大国主命」の子神である「武御名方命(たけみなかたのみこと)」が登場し、「武御雷之命」との力比べに挑む。しかし「武御名方命」は力及ばず敗れ、国土の譲渡が実現するという。国譲り神話の一曲である。


出雲大社出雲大社 OOYASIRO

 大官人が出雲大社に参拝していると不思議な老人が現れ、縁起を語って再び姿を消す。やがて神殿が振動して「大国主神」が現れ、神遊びの最中に雷鳴と共に現れた竜神が海神の礼代(いやじろ)を奉げる。それを受け取った「大国主神」は再び大殿深く入っていく。




うねびやま畝 傍 山 UNEBIYAMA

 神武天皇の東征を仕組んだ局で、大久米(おおくめ)道臣(みちおみ)珍彦(うずひこ)武角(たけすみ)高倉下(たかくらじ)・天皇・長髄彦(ながすねひこ)の七人が登場する。四神対長髄彦の合戦がクライマックスである。





託宣神事託宣神事 TAKUSENSINJI

 着面神楽の途中で行われ、神楽や供え物が大神の御心に叶ったかどうかを伺う。最も重要な神事である。神託(しんたく)をつげる託台(たくだい)、祈祷師、斎主など九名の神職が関わる。
 祈祷師による祈祷が行われうちに託台が次第に神がかりの状態になり、ついには斎主に託宣を告げるというくだりである。


やと八 頭 YATO

 須佐之男命が出雲の簸の川で八俣遠呂智(八岐大蛇)を退治なされるという古事記で有名な神話に基づいている。この「大蛇」は能楽にもあるが、特にわが神楽においては、もっとも古い形態の大蛇で「トカゲ蛇」である点に特色があり、他の神楽には見られないもので極めて迫力があり勇壮である。





※参考資料
  出雲國大原神主神楽保存会パンフレットより

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