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 白髮鬼
 黒岩涙香
 

 以下は小説のレイアウトをカスタマイズした結果のサンプルです。こちらでレイアウトが調節できます。
 詳しくはこちらのブログ記事にて。


     譯者の前置

 余は、先年不思議なる一ぺんの事實談を非小説と題して掲載せしが、其中そのなか堀井紳士ほりゐしんし(モシウー、ヘリー)なる者が死して、其後そののち蘇生せし事を記したり。當時、讀者中には之を事實に遠しと爲し、一旦死して醫學士にまで死人なりと認定せられた者が生返る筈なしと云ひ、遙々はる/″\書を寄せて小史せうしなじる者も有り、所々に非難のこゑを聞きしが事實かへつて小説よりも奇なりとはここの事なり。死せしと見えて死せしにあらず、暫しが程、命を停止せられ居者ゐるものなり。其例そのためし種々しゆじゆありと見え、屡々しばしば洋書に散見する所なるが、中にも米國文學家故アラン、ポー氏の記す所の如きは、英學者の大抵讀みて知れる所なれば、余は同氏の記事を例に引きかゝる事も有りと答へて言解いひときたり。
 ち余、彼の實歴鐵假面じつれきてつかめんを譯するに當り、またオービリエー(帶里谷おびりや[#「帶里谷が」は底本では「帝里谷が」]蓄骨洞かたこむより骸骨と爲りて生返りたる一節あり。かつて讀みたるボアゴべー氏の大復讐と云へる小説にも、ゴントラン、ド、ケルガスなる者が地底より蘇生し來りて舊情婦きふじやうふ瑞西すゐつる山巓さんてんにて救ふの一でうあり。余も幾分かは心に迷ひしが讀者も亦迷へるならんと察せられる。
 然れども是等はいづれも、一昔しの事にして、近來斯るためしは無きやし有らば其顛末を知りしと思ひ、之を醫士某氏に問ひたる所、蘇生のれいは時々に在り、其最も近きものは千八百八十四年(明治十七年)伊國いこくにて惡疫の流行せしとき、之に傳染でんせんして死したる一にん墳墓の底より生來いきかへりたる一例ありと云へり。其生來いきゝたりたるは何と云ふ人なるやと問ひたるに、ネープル府の貴族、ハビョ、ローマナイ氏なりと答へたり。
 此人このひとしん生復いきかへり今も猶ほ生存いきながらへて居るならば、定めし何か此人が其後にみづから書記かきしるしたる文章あるし、他人の書きたる者はてに成らぬ故當人自ら書きたる者は無きやと問ひたるに、件の醫士は知らず答へだ、此頃このごろの西洋醫事新誌に雜報として記したるを見たるものと云へり。よつて余は其新誌を借受けて讀みたるに、の如く記しありたり。
 る天然の作用にり一時生命を停止せられ全くの死人と爲り或時あるときを經て生返るのれいは、最早もは事々こと/″\しく記す迄も無けれど是も其一そのいちか八十四年の流行病で死去したる伊國の貴族ハビョ、ローマナイ氏は何時の間にやら蘇生したる事實たしかなり其後、ネープル府にて社會の上下をおどろかしたる大事件も實は氏のくわんしたる所なりと云ふ。
 唯是ただこれだけのことなれば余は殆ど失望せしも、猶ほ念の爲めに西洋の書肆しよし書簡てがみを送り、何かハビョ、ローマナイといへる人の著したる書は無きや廣く其地そのちの書店にて搜索しれと言送いひおくりたるに幾程も無く返事を得たり。曰くローマナイ氏は目下其自傳もくかそのじでんを著作中なり、脱稿次第當店にて出版するの約束ゆゑ其節は直ちにお送りまをさん。ただし代價だいか幾何いくばく其節までにお送り被下度云々くだされたくうんぬん、余は嬉しさへず、首を長くして待ち居たるに此頃の便船にて右の書を送り來れり。開きて見れば氏が死する前より生返りたる後の事件をまで記したる者にして、其生返る有樣は彼の帶里谷おびりや蓄骨洞かたこむいづる時の有樣とぼ同樣なれど、全篇の記事は實に人情の極致をゑがきたる者なり。之を架空の小説に比すれば目をくらまする如き波瀾はらんは無けれど、小説家の誰しもゑがかんと欲して今だゑがくを得ざる所の者なり。「平凡にしてしかも無類」(Plain but original)とは此種このしゆの趣向のことを云ふ可きか、余は英米の小説も、佛國ふつこくの小説も、露國ろこくの小説も、獨逸どいつの小説も多少はよみたれど、此書の如く讀終りたる後無情の感に堪へざる者を讀し事なし、伊國人は多恨多涙たこんたるいにして而も執念深しと聞きたるが、多恨の人にして初めて此種の事を爲す可し。讀みて面白からずと云ふ人も有らん、痴情に過ぐると云ふ人も有らん、世間に有りがちの事のみと笑ふも有らん。然り有勝ありがちの事なれど其事實は無類なり。唯だ拙劣なる譯文を以て原書の趣味を抹殺するは余のはなははぢる所なれど、事實を報道する雜報なりと見給はば架空の作り物語よりはむしろ新聞紙の本職に近しと云ふを得んか。

涙 香 識 す


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私立杜守図書館