本稿は、『人権と部落問題 』2014年9月増刊号 特集 地域は今 ―「法」失効後の実態― に掲載されたものです。

過去の投稿原稿一覧
○ 『人権と部落問題』2014年2月号《現地報告》「はだしのゲン」閲覧制限が問いかけたもの 
○ 『人権と部落問題』2012年2月増刊号「住民自治と人権を守るネットワーク運動」
○ 『人権と部落問題』2009年9月特別号「権利意識の高揚をめざす主体の形成を」
○ 『人権と部落問題』2007年5月号「島根県における同和行政・教育の終結をめざす取り組み」 
○ 『部落』2001年7月号 特集「新たな地域住民運動をめざして」 

〜「同和問題」と行政・教育・図書のあり方〜

 私は本誌2012年2月増刊号に「住民自治と人権を守るネットワーク運動」と題して島根県の状況を報告しました。その後に展開されている諸問題について、自由と民主主義、住民自治の醸成の角度から課題を探究してみたいと思います。


2013年度人権侵犯事件の状況

 松江地方法務局人権擁護課が受付け、毎年公表している「人権侵犯事件の状況について」では、受理件数は2013年度190件です。そのうち、公務員・教育職員等による人権侵犯は46件(24.2%)、私人間の人権侵犯事件は144件(75.8%)。
 前者の内訳は、教育職員による体罰等が22件、刑務職員によるものが11件、学校におけるいじめに関するものが7件など。後者の内訳は、住居の安全に関する侵犯(騒音をめぐる近隣間の争い等)が63件、暴行虐待(夫の妻に対する暴行等)が20件、強制強要(離婚の強要、セクシャルハラスメント等)が18件、プライバシーの侵犯が10件、労働権に対する侵犯(不当労働行為等)が6件などとなっています。同和問題による差別待遇事件はゼロです。
 松江地方法務局は、2013年度中の具体的な取り組みとして、4件の事例をあげています。原文を紹介します。

事例1 近隣住民による不適切な発言事案
 被害者からの申告を端緒に調査を開始した事案である。内容は、同一地域に居住する住民である相手から、複数の住民がいる前で、被害者の子どもに関する不適切な発言を行い、被害者の感情を傷つけたというもの。
 当局担当官が相手方に確認したところ、事情を知らずに発言したものであり、被害者を傷つける意図はなかったが、反省しているということであり、当局担当官立会から、双方が歩み寄ることを提案したところ、双方ともに了承した。
 当局担当官立会いの下、被害者が相手方からの謝罪を受け入れ、当事者間の関係改善が図られた。(措置:「調整」)

事例2 いじめに関する学校の対応事案
 女子生徒から「子どもの人権SOSミニレター」(※1)が送付され、調査を開始した事案である。内容は、女子生徒が学校内で仲間外れにされるなどのいじめを受けているにもかかわらず、学校が対応してくれないというもの。
 当局の調査の過程で、学校が、女子生徒及びその両親から相談を受け、問題解決のための対策を講じていることが認められたが、女子生徒が学校の対応に不満を持っていることも認められた。
 そこで、当局担当官は、女子生徒からの要望を学校に伝えるとともに加害生徒らとの話合いの場を設けてほしい旨要請したところ、学校側はこれに応じたほか、今後も女子生徒を見守っていく旨の確認ができた。また、当局の関与により女子生徒及びその両親も学校に対して一定の理解を示すにいたった。(措置:「援助」)
 ※1 「子どもの人権SOSミニレター」
 全国の小中学校の児童・生徒を対象に配布している便箋兼封筒付きのミニレター。便箋部分に悩みごとを記入し、切り取った封筒の中に便箋を入れポストに投函すると、法務局・地方法務局に郵送される。SOSミニレターを受け取った法務局・地方法務局では、人権擁護委員と法務局職員が、子ども達の抱える様々な悩みごとに対し、一通一通返事を書いている。

事例3 教諭による体罰事案
 新聞報道を端緒に調査を開始した事案である。内容は、高等学校の教諭が、部活動中に指示通りにできなかった生徒に対し、同生徒の頭部を複数回たたく体罰を行ったというもの。
 調査の結果、教諭による体罰の事実が認められたため、同教諭に対し、この不当性を強く認識させ、二度と行わないように「説示」するとともに、学校に対し、再発防止に向け教職員らに対する指導の徹底を図るよう「要請」した。(措置:「説示」、「要請」)

事例4 インターネット上の名誉毀損等事案
 被害者の知人が被害者になりすまし、インターネット上の掲示板に、被害者の個人情報や卑猥な内容の書込みをしていることがわかり、その後、被害者からの削除要請により書込みは削除されたものの、知人に対して重大な問題であることを理解してほしいと相談があり、調査を開始した事案である。
 当局担当官が被害者知人に聴取したところ、同人は書込みを認めたため、当局担当官から書込みの不当性を指摘し、啓発するとともに、同人が深く反省し、謝罪の意思を示した。その後、当事者間で紛争解決の合意が見られた旨の連絡があった。(措置:「援助」、「啓発」)

 今日の人権問題の特徴は、体罰やいじめ、DVなど多岐に及んでいる一方、同和問題での人権侵害は、統計上、基本的に解決しているといってよいと思います。しかし、同和問題は人々のこころの中にあるとして旧同和地区をはじめ依然として「同和教育」が続けられています。

隣保館での聞き取り調査

2013年度に島根県地域人権運動連合会(略称=しまね人権連)は、島根県下のいくつかの隣保館を訪問しました。そこで聞いた主な声を紹介します。
Y市の隣保館長
  隣保館は同和問題解決のための人権教育の場。「足を踏まれて痛がっている人が声をあげないと解決に向かわない」。私から始める人権学習を行って5年目になる。支援加配は4人。学力促進のために島根県から補助金をもらっている(教育事務所・拠点強化事業)。「同和地区」という言葉は啓発の上では使わなければならない。
U人権センター所長
 旧町時代からセンターの建物内に「水平社宣言」を掲示している。同和問題が深刻だ。年間数件の差別事象がある。法務省の統計には入っていない。運動団体に相談して、件数について掌握(ランク分け)している。拠点強化事業で加配の先生が小中学校で勉強会の講師をしている。「同和地区」という言葉は研修の場では使った方がいいと思う。法的には一般対策に変わっているが、国・市町村の責務がある。「足を踏まれた人が、足をどけてほしいと言わなければ、進まない」。
M市人権センター館長
 差別事象は表面にはでないが実際にはあると思う。差別事象の件数について、島根県からは要請があり報告しているが、法務局へあげるルートはなく、あげていない。市から委託を受け、子ども会が週一回学習会を実施。「同和地区」出身の子どもを対象に運動団体(解同)が呼びかけて行っている。「同和地区」出身の子かどうかは学校が情報を持っている。 
 訪問をして、「足を踏まれた人が・・・」の話がどこでも強調されていることに驚きました。「同和地区という言葉は使わなければならない」と一様に発言しているのも共通しています。
 学校の情報提供により、「同和地区」の子かどうかを判断している実例もあり、旧態依然とした状況を垣間見ました。  

「差別」とはなにか

 今の時代は「足を踏まれた人が、足をどけてほしいと言わなければ、進まない」時代でしょうか。このギャップを解明するうえで、部落問題研究所の梅田修氏が1997年に書かれた「人権教育」のゆくえ―「同和教育」転換の顛末―はとても参考になります。
 梅田氏は、「啓発」の論理についての批判的検討を1965年に出された同和対策審議会「答申」以降(第一期)、1978年の同和対策事業特別措置法の延長問題以降(第二期)、1986年から1987年以降1996年に至る時期(第三期)に分類し特徴づけています。
 ここで登場する「啓発」の論理は、@「実態的」差別は解決されてきたけれど、「心理的差別」がなお根深く残されている→A放置しておくと、「心理的差別」がいつ「差別事件」として現れるかわからない→B「差別事件」として現れる前に(予防的に)啓発する必要がある、という論理です。
 差別とは何かについて論考するうえで、梅田氏の論文を引用しておきます。

 「啓発」の強調の論理は、同和対策審議会「答申」(1965年8月11日)が採用した部落差別の説明原理(部落差別二元論と悪循環論)を前提にしている。「答申」は、部落差別を次のように説明している。「(部落差別は)心理的差別と実態的差別にこれを分けることができる。心理的差別とは、人々の観念や意識のうちに潜在する差別であるが、それは言語や文字や行為を媒介として顕在化する。たとえば、言葉や文字で封建的身分の賤称をあらわして侮蔑する差別、非合理的な偏見や嫌悪の感情によって交際を拒み、婚約を破棄するなどの行動にあらわれる差別である。実態的差別とは、同和地区住民の生活実態に具現されている差別のことである。」(部落差別二元論)。
 「心理的差別と実態的差別とは相互に因果関係を保ち相互に作用しあっている。すなわち、心理的差別が原因となって実態的差別をつくり、反面では実態的差別が原因となって心理的差別を助長するという具合である。そして、この相互関係が差別を再生産する悪循環をくりかえすわけである。(悪循環論)。
 部落差別は「実態的差別」と「心理的差別」の二つに区分され(「部落差別二元論」)、二つが「悪循環」しているというものである。
 この説明のうち、問題となるのは「心理的差別」である。
 「心理的差別」なる言葉は、同和対策審議会「答申」ではじめて登場してきた言葉であり、しかも同和対策以外の分野では一般的には通用していない言葉である。しかも、「心理的差別」とは「人々の観念や意識のうちに潜在する差別」であって、「言語や文字や行為を媒介として顕在化」すると説明されている。「差別」は心の中にあって、それが顕在化するというのである。
 だが、心の中に「差別」など存在しない。人々が心の中で何を思い何を意識しようと、それ自体は「差別」ではない。どんなにロマンチックなことを空想しようが、どんなにグロテスクなことを想像しようが、どんな人に好意をもとうが、どんな人を憎もうが、まったく自由である。何かで表現しない限り、人が何を考えているのか本来他人にはわからない。
 何を考えても、何を思っても「差別」ではない。仮に女性に対して、「差別的な意識」をもっていたとしても、それが差別的言動につながらない限り「差別」ではない。つまり、「差別」とは、具体的な「基本的人権の制限・侵害」の事実を意味するからである。
 「心理的差別」の顕在化として示されている事例(賤称をあらわして侮蔑する差別、婚約を破棄するなどの行動)は具体的な事実であって、いわば「実態」を示すものである。「差別」として問題にされるとすれば、こうした事実のはずである。そういう意味では、「差別」とは実態概念・事実概念として理解されるべきであって、「差別」を「実態的差別」と「心理的差別」の二つに区分すること自体問題といわねばならない。
 ところが、あたかも「差別」には二つあるかのように整理して、これからの課題は「心理的差別」(=心の中の差別)の解消であるかのように強調しているのである。

 梅田氏の解明は、説得力あるものです。

「同和」の名称をめぐって

 島根県内の行政組織の名称にも「同和」偏重傾向が表れています。
 島根県内市町村の同和対策担当課の名称を(表1=略)に示しました。
 2014年4月1日時点の市町村数は、19。行政機構に「同和」という名称を冠しているのは、浜田市、出雲市、益田市、江津市、美郷町の5自治体。松江市、大田市、安来市、雲南市などは、名称に「同和」を使用していません。
 都道府県の同和対策担当課の名称を(表2=略)に示しました。47都道府県の内、「同和」の名称のつくところは、11。九州には多く存在し、西高東低の傾向です。
 島根県は、2008年10月、「島根県人権施策推進基本方針」の改訂版を策定しました。「人権教育および人権啓発の推進に関する法律」を土台としており、人権を国民相互の差別問題に矮小化しています。改訂前のように随所に「同和問題をはじめとする人権課題」という表現は目立たなくなりましたが、総論部分には表現が残っているため、人権教育・啓発といいながらも同和教育に偏りやすい性格になっています。
 基本方針改訂の内容はパンフレット化されています。2010年には「中学生・高校生版」が、2011年には「小学生版」が発行されています。
 部落差別は基本的に解決しているのに、島根県の人権施策が同和問題をことさら重視しているのは、島根県同和教育指導資料第19集(=1996年、策定)に縛られているからです。
 19集の特徴は、「同和教育をすべての教育活動の基底に据えて取り組む」、「差別をなくす実践力を培う教育内容」、「地域ぐるみで進める推進体制」などを基本方針としたものです。
 このため、島根県行政はいまだに「同和地区」という表現を公然と使うことに固執しています。時代遅れで同和問題解決に逆行するものです。
 人権課題の中でも同和教育は異常なくらい、高い比率です。
 島根県教職員組合(県教組)の舟木健治委員長は「同和教育に比重が大きすぎて、肝心のいじめ、虐待、進路対策などが後手になっている。ある地域では差別発言をめぐって通報するシステムを意識しすぎて、職場の中で自由にものが言えない雰囲気がある」と憂慮します。
 島根県教組は、「人権・同和教育Q&A」(2012年版)を発表。討議資料として論議されています。 

「はだしのゲン」閲覧制限問題

 2013年8月、松江市教育委員会が市内50小中学校に対し中沢啓治作の漫画「はだしのゲン」の閲覧を制限していたことが発覚し、全国から抗議の電話やメールが殺到しました。
 市教委事務局が、教育委員会議に諮(はか)らず、報告もせず、学校に対しては指示とも受け取れる口頭での要請を行って閲覧を制限していたのです。
 「はだしのゲン」閲覧制限問題は、本誌2014年2月号で論評をしましたので、詳細背景は省略しますが、この問題は、子どもの権利条約、図書館の自由に関する宣言に反するなど数々の問題を含んでいます。  
 教育現場をはじめ各界に大きな波紋を広げた事件だっただけに、島根県教職員組合は「子どもたちの成長のため、最善の教育を実現しよう」と図書館の自由に関する宣言(日本図書館協会総会で1954年採択、1979年改訂)の学習会を昨年9月16日に行いました。日本図書館協会・図書館の自由委員会の西河内靖泰委員長が講演。国民の知る自由を憲法の立場から紐解き、人種、信条、性別、年齢や置かれている条件によって差別があってはならないことや、正当な理由がない限りある種の資料を特別扱いしたり資料の内容に手を加えたり書架から撤去したり廃棄したりはしないとの原則を強調しました。
 その後、「新しい歴史教科書をつくる会」が「はだしのゲン」を有害図書として教育現場から速やかに撤去するよう求める要望書を文部科学省に提出しました。ことは歴史認識をめぐる対決にもなり、一地方の問題から全国的な問題へと拡大しています。子どもの権利条約、表現の自由、知る権利、学校や図書のあり方など多面的な検証が求められます。

「小泉八雲」 図書の閲覧制限問題

 図書の閲覧制限問題は、全国的に実在する問題です。
 図書館の役割は、「はだしのゲン」のところで少し触れました。図書館の資料提供の自由は、次の場合によって制限されることがあると図書館の自由に関する宣言で述べられています。

  @ 人権またはプライバシーを侵害するもの
  A わいせつ出版物であるとの判決が確定したもの
  B 寄贈または寄託資料のうち、寄贈者または寄託者が公開を否とする非公刊資料

 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の著作の場合、@の人権またはプライバシーを侵害するかどうかの判断がものさしになると思われます。A、Bは該当しないからです。
 松江市立図書館では、「人権・プライバシーを侵害するおそれのあるもの」との理由で57タイトルの図書を閲覧制限。そのうち小泉八雲の著作29タイトルが閲覧制限されている実態が判明しました。
 部落問題研究所の成澤榮壽氏が、『部落問題研究』第114輯(1991年11月)に史料紹介として原文と翻訳と解説を発表しています。タイトルは、ラフカディオ・ハーンの無署名報告「島根通信」―『ジャパン・ウィークリー・メイル』1891年6月13日号―。一部分を引用します。

 ラフカディオ・ハーン(1850〜1904、Lafcadio Hearn)は1890年に来日し、松江尋常中学校講師に赴任(島根県尋常師範学校講師を兼務)、一年余りの松江での生活のあと、熊本の五高に転じ、のち、東大・早大に勤務、早大在職中に死去した。96年、帰化。日本名は、周知の通り、小泉八雲である。
 ハーンは、ギリシャ生まれのイギリス人で、貧困とたたかいながら、渡米して新聞記者になり、来日前、西インド諸島での紀行文などで、米国では作家として知られていた。(中略) 松江の部落(非人系)を二度訪れたハーンは、これをレポートに認め、5月29日付で、横浜のジャパン・メイル社に送った。ハーンのレポート名は「島根通信」(‘Letter from Shimane’)、『ジャパン・ウィークリー・メイル』(“The Japan Weekly Mail”)紙の1891年6月13日号に掲載された(無署名)。ちょうど百年前のことである。(中略)ハーンは、「島根通信」を発表の3年のち、日本アジア協会で、講演に代えて、その抜き読み的要約の朗読をおこなった。朗読の内容は、そのとき、資料として添付した「大黒舞」の三つの歌謡とともに、さらに二年あと、彼の代表的諸書の一つ、『心』(“Kokoro”)に「付録」として収められた(中略)。
 その日本語訳は田部隆次ほか訳『小泉八雲全集』(第一書房)第四巻(1927年)・平井呈一訳『全集小泉八雲作品集』(恒文社)第七巻(1964年)に「俗唄三つ」・「三つの俗謡」(‘Three Popurar Ballads’)の題で、それぞれ、収録されているが、新しく刊行された平井訳『小泉八雲作品集』(恒文社)第七巻(1975年)および平川祐弘編『日本の心』(1990年、講談社)には掲載されていない。部落問題がらみで「差別表現」が問題にされ、恒文社の新版は、その点を配慮して『全訳』から削除した。『全集』と『全訳』は簡単に閲覧出来ない図書館は少なからずある。
(中略)
 ハーンは「山の者」と呼ばれる人たちの部落を素直な目で観察している。(中略)
 しかし、部落の所在地が判明することなど、ハーンその人の「差別性」を問題にする向きもあると聞く。これは恣意的と言わなければならない。問題にする人たち自身が不問にしている著作が多数存在し、その人たち自身の叙述にもまた記載されているからである。

成澤氏の論評は、的確です。
 20年以上前の指摘ですが、図書館の自由に関する宣言の立場がみごとに表れています。
 しまね人権連は、幾度か閲覧制限を解除するよう要請してきましたが、「はだしのゲン」問題の直後の昨年11月、島根県教育委員会に対し改めて要請を行いました。
 同和対策の特別措置法が終結して12年。同和問題に起因する差別事象がほとんど表にでることがなくなった今、120年以上も前の著作が今日、誰の人権・プライバシーを侵害するというのでしょうか。
 同和地区の具体的地名があって差別を助長する懸念があることを小泉八雲の著作を閲覧制限する理由としています。しかし、歴史を調べれば同和地区という地域はおのずとわかることです。したがって、どうしても使うのであれば、旧同和地区というべきではないでしょうか。
 日本図書館協会・図書館の自由委員会の西河内靖康委員長は、閲覧制限は極力限定して適用し時期を経て再検討すべきとしています。時期とは概ね三年程度とのことです。
 松江市の歴史と未来を考える場合、「小泉八雲」を抜きにしては語れません。
 小泉八雲の著作が今日、人権・プライバシーを侵害するものかどうか、真剣に検討すべきです。松江を世界に知らしめた人物だけに、閲覧制限の永続化は許されません。島根県及び松江市の行政の主体的な取り組みが求められます。
 (かたよせ なおゆき/島根県地域人権運動連合会事務局長) 

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