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養神館合気道
                   

 カナダ50周記念セミナ-随行記
Ⅰ、カナダ50周記念セミナ-概要
 1.日時:平成22年6月16日(水)から6月23日(水)
 2.参加者:養神館宗家、指導員内川直哉、島根支部長浦尾隆志
 3.目 的:オンタリオ州 ミセソガ クレセントの木目田猛先生宅に宿泊し、トロント市内の木目田道  場において開催されるカナダ50周記念セミナ-に参加すること。
 4.時 程:時差は13時間ある。成田国際空港からカナダレスタ-ピアソン空港までは所要時間14  時間。夜が長く、9時頃になっても日が暮れない。
5.日 程:省略
Ⅱ、カナダ50周記念セミナ-随行記
1、はじめに
 私と木目田先生(養神館合気道9段)との出会いは昭和59年5月26日、カナダ養館設立20周年記念に当たって島根県にお弟子さんを17名引率されたときに始まります。その後塩田剛三先生がご逝去になられた平成6年に葬儀の際にお会いしており、かつ又記念事等で機会あるたびに来日され、お会いする機会がありました。そのたびに一度カナダにきてみなさいと誘われていました。本年中にも1人で行く予定を立てていたさなか、カナダ養神館50周年記念行事に、宗i家館長が招請された機会にあわせて随行することになりました。平成22年当初に安藤毎夫師範を招請し、12月には養神館合気道の自分の最初の師であった合気道養神館2代目館長井上強一氏を招請するとのことでした。日本との交流は再三に及んでおり、日本の会員以上に養神館の内部情報には通じておられました。合気道普及のため異国の地で生活し、合気道にすべてをかける木目田先生のようなまねはなかなかできるものではありません。カナダ養神館の実態や木目田先生のカナダでの暮らしぶりはあまり知られていませんのでこの際良い機会だと思いました。セミナ-随行期間は平成22年6月16日(水)から6月23日(水)でした。
 カナダ旅行の最初の印象はカナダ-エア-航空機内の事です。カナダのスチュワ-デスは制服ではなく私服であり、そこらにいる主婦が務めているという感じを受けた事です。何事も大雑把でありきめ細かなサ-ビスはあまり感じられませんでしたが、失礼な印象ではなく文化の違いが感じ取られました。日本のサ―ビスは過剰で余計なところにお金を使っていると感じられました。航空運賃往復で日本円で12万円弱と安かったので文句を言う気はありませんが、カナダエア―航空機は前の座席ごとにテレビ画面があり、後方に倒すことができず寝れる状態ではなく、同じ姿勢座っていたために行きも帰り後半になると胸が痛くなってきました。エコノミークラス症候群です。何とか持ちこたえ随行記として報告できる事を幸いに思います。
2、オンタリオ州について
 木目田先生の自宅のあるミセソガはオンタリオ州にあります。このオンタリオ州はカナダの州の中ではもっとも人口が多く、国全体の3分の一の人口(12,686,95人)が集まっています。政治経済の中心であり、州都のトロント市は人口が233万人りゼネラルモ-タ-ズ、フォ-ド、クライスラ-、トヨタ、ホンダなどの自動車会社が主要産業です。トロントを中心にオンタリオ州は多くの移民を受け入れ、カナダの中でも最も経済成長の大きな地域であります。ですが、今はあまり景気が良くないとのことでした。同時に世界でも有数な治安の良い国として知られています。トロントは米国のような銃社会と違い犯罪発生率も低く、町は清潔で、生活水準も高く、住みやすい都市で、米国からの観光客が多いとのことでした。日本の菅直人首相も参加したG20が6月20日(日)にあり要人警護のため2万人近い警察官がトロントには集結していました。男も女も、皆、体が良く警備の主たる移動手段は自転車でした。カナダの警察官は公務員ではなく、民間警備会社が警察官を務めているとのことでした。
 トロントの民族構成は英国系40パ-セント、イタリア系12パ-セント、中国系約10パ-セント、ユダヤ系約5パ-セント、ポルトガル系約4パ-セントとなっています。ちなみ日系人口は約0.5パ-セントといわれています。NHKの朝ドラ『ゲゲゲの女房』も日本語で放映されておりました。これにより日本人の居住者の多さがうかがわれました。日本人向けの食材は納豆にいたるまで韓国の店に行くと何でも売っているとのことでした。公用語は英語ですが、フランス語を話す人口が40万人いるといわれます。ナイアガラの滝の案内板には英語とフランス語が使われており、英語、仏語を使う国民が多いことがうかがえました。
 高速道路を走行していると他民族国家らしくサッカ-のワ-ルドカップがあることで出身国の旗を車になびかせ応援をアッピ-ルして走っていました。単一民族国家の日本ではあまり見かけない光でした。
3、オンタリオ州付近の気候と風土
 カナダの気候は10月頃から4月頃まで寒く、特に12月半ばから3月末まで零下になり、湖に30センチ位の氷がはるくらいだそうです。私どもが行った5月は寒くはありませんでした。この頃の気候はちょうど日本と同じくらいの気候でした。梅雨はなく8月になっても蒸し暑くはないそうです。夜は9時頃まで明るく、朝は6時頃には明るくなります。
 木目田先生の自宅から100メ-トルくらい走るとすぐ高速道路に乗れました。片側3車線のところが多く70キロ、90キロ、110キロの制限速度が設けられ、20キロオ-バ-までは良いとのことでした。日本のような飲酒運転の取り締まりはありませんが、やはり飲酒しての高速走行には危険をつきまとい、よく事故があるとのことでした。木目先生の別荘のあるところまで500キロメ-トルはあるとのことでしたが、4時間ぐらいで到着しました。交通マナ-はよく、信号のない交差点では1台が交差点に入ると他の車が通過するまで待っていました。車は軽自動車はなく、セダンかハッチバッグの車が圧倒的に多く、ワゴン車は珍しいと感じました。木目田先生のセダンの乗用車も2500CCもありました。木目田先生のナンバ―プレ―とはAIKIDOでした。



 高速走行ができる排気量の多い車というばかりではなく、高速道路が普通に近くあるので安全面を考えると軽自動車は事故があったときに危ないので安全上使えないと考えているようでした。ただし、カ-ナビとかカ-テレビは日本のようには見かけませんでた。道が込み入っていないので必要がないのかもしれません。
4、観光-ナイアガラの滝とトロント市内-
 ナイアガラの滝はエリ-湖からオンタリオ湖に流れるナイアガラ川にあり、カナダと米国の境にあります。滝の高さはありませんが、滝の幅では北米では最も大きいものです。カナダ側の国境を挟んだカナダ滝と米国側の米国滝に大きく二つに分かれます。カナダ滝は落差53メ-トル、幅670メ-トル、米国滝は落差34メ-トル、幅240メ-トルあります。技術者の手により人工的に浸食が抑えられていますが、今なお浸食のスピ-は年間3センチあり25000年後に滝は消滅するといわれています。滝の周辺は観光化が進んでおり雄大な自然の中にあるという感じではありませんでした「霧の乙女号という観光船に観光客は乗ったり、滝の下側から水しぶきを受けて見たり、滝の上側や中段の展望台からみたり、滝の裏側の地下道からみたりといろいろな角度からその景観を楽しむ事ができました。

    
 ナイヤガラ瀑布 ・霧の乙女号
 
 イギリス人、フランス人が北米大陸を植民地化するまではカナダインデイアンの先住民がいましたが、イギリス人が征服し、現在に至っております。カナダインデイアンは文化的な遅れがあるめ、高等教育を無料で受けられるなど優遇措置がとられています。彼らの中には昼から酒を飲む者、貧困生活している者が多いようです。トロント市を歩いているときもそのような人達に遭遇しました。木目田先生には一目おいているようでした。聞くと一度向かってきたときやつけたことがあるから恐れているのだとのことでした。歩行者の中には白人のゲイの二人連れもおり、奇声をあげて我々男性を見ると声をかけたりするなど日本との文化風土の違いも感じました。ここトロントでは毎年ゲイの世界大会が開催れているとのことでした。
 トロント市内を木目田先生の息子のマイケルさんが他の2人の生徒さんと一緒に案内してくれまた。町中で2カ所でジャズフェステバルが行われようとしており、大勢の人が集まっていました。旧市庁舎など30分近く歩いて見学しました。途中、歩行者見ていると入れ墨などは普通にしており、町中でも入れ墨の実演をショ-ウィンドウ越しにることができました。個々にも文化の違いが感じ取られました。
 
    
   右は木目田先生の息子 マイケルさん

 居酒屋では客はウェイトレスにはチップを払わなくてはなりませんでした。従業員としての給料が安いので当然という考えが徹底していました。また消費税は13パセントもあり、随分、物が高い感じがしました。タクシ-代金は4ドル(日本円で1ドが90円とすると日本円360円です。日本では500円から800円が初乗り料金です)でした。あまり安いのには驚きました。ただし、タクシ-の運転手やウエイトレス、ホステには、10パセントのチップを払うのが当然のようになっております。マイケルさんに払ってもらったものの戸惑いました。どこで払いどこで払わなくて良いのか、私ども外人には今ひとつ要領がつかめません。
 買い物ではサ-ビスが大雑把で買い物を袋に詰めてくれるような日本のサ-ビスはありませんでした。すべてセルフサ-ビスです。ス-パ-など大型店は日本のように郊外に多いようです。トロント市内では、地上3階建て地下2階というのが商店街では一般的のようでした。国土が広い割には土地の有効利用がなされていると思いました。
5、木目田先生の暮らし
 オントリオ州トロント市から車で30分以上離れたミセソガという町の住宅街の一角に奥様と二人で住んでおられました。木目田先生には外人の奥様と娘さん3人、息子さん2人がおり、現在合気道をやっているのは長男のマイケルさんのみという事でした。長男のマイケルさんは40歳になり既婚者で日本にいた頃、合気道神館で国際研修生として稽古されたことがあり、現在5段です。トロントで働いているとのことでした。
 500キロ離れた湖のほとりに別荘(コッテ-ジ)を設け、優雅な生活をエンジョイしておられました。家は家族との団らんの場となっており、毎週末に別居している子供達が帰ってきて泊まっていくそうです。子供たちは大人になると結婚しない場合でも同居せず、近くにいても独立して1人で住むことが多いとのことでした。
 木目田邸は敷き地は200坪あり、1階は居間が2部屋と台所兼食堂1部屋ありました。2階には10畳はある部屋が4つあり、我々3人は1室ずつ一人で泊まらせてもらいました。地下には核シェルタ-となる地下室があり、木目田先生の勉強部屋となっていました。。毎日部屋にはエアコンが入っており電気だけでも月に5万円かかるとのことでした。奥さんとは生活費は別、好みが違うので食事もそれぞれ別に作って食べているとのことでした。我々も木目田先生の調理した日本食をいただきまた。こまめに動きそれでいて親分肌の大変面倒見の良い方で何かにつけ面倒を見ていただきました。奥様はキリスト教徒でチャリテイの仕事をやっておられました。

      
   木目田邸のサクランボ      木目田先生の奥様
 
    
    木目田邸            木目田邸の暖炉 


別荘のある湖・クリスタルレイクまで木目田邸から500キロメ-トル離れていることは前述しました。オントリオ州には湖がおよそ25万箇所あり、地図上ではクスタルレイクがどこにあるのか確認することはできません。釣りのできる小型のボ-トを所有しておられました。免許を取得したばかりとはいえ運転に慣れた木目田先生の名運転でトラブルは一つもなく二日間にわたって釣りをさせてもらいました。底が浅く、下にいる魚が見えるのでそこに釣り糸をたれるとよく釣れました。釣った魚は後の手間があるので捨ててしまわれました。

         
木目田家別荘の船着き場      木目田先生


ステーキをごちそうになりました。       


木目田先生の別荘

6、カナダ養神館事情-木目田先生と50周年記念-
 木目田先生は1941年(昭和16年)東京都の五反田の呉服屋で生まれました。長男の兄が実家の跡を継いだとのことでした。1960年(昭和35年)明治学院大学入学時、19歳の時から合気道を始めました。50周年は木目田先生が合気道を始めたときから2010年現在までの年数であり、カナダ養神館を設立してからのものではありません。1964年(昭和39年)に渡米し、最初空手の先生に世話になっていましたが、その後、カナダに渡り合気道を教えるようになりました。2008年(平成20年)合気道9段となりました。他にも居合道6段、杖道5段です。杖道は福岡の波止成徳先生(なみとめしげのり・杖範士8段・居合道教師8段)に神道無想流を習い、居合道は岡山の春名松男先生(8段・故人)、岸本両先生に無双直伝英信流を習ったとのことでした。
 養神館の道場はカナダ全域に50位あるとのことでしたが、一つにはまとまってないとのことでした。カナダ養神館記念セミナ-といっても主として木目田先生の会の60名が対象でした。
7、木目田先生のお弟子さんとの交流
 クリスさんは合気道歴30年で5段で、日本にも2年おり糸東流の空手を習ったとのことでた。高校の経営学の教師をしており奥さんは中国人で肝臓医の世界的権威とのことでした。二人の子供さんがおり、将来は教師を辞め、合気道と子育てに専念したいとのことでした。
 日本語は毎日勉強しており、塩田剛三初代宗家との『合気道人生』・『合気道修行』と塩田泰久先生の『合気道で勝つ』の三部作を一つにまとめ英文にして、平成23年6月には出版するとのことでした。
 ポ-ルさんはトロント大学の教授で博士号を持っているとのことで、木目田先生の杖道の受けがとれる唯一の弟子ということでした。ドイツ語、中国語ができ17世紀の中国の歴史を研究しているとのことでした。カナダの女性と結婚しておられました。
 生徒さんとの飲食店での会食の機会を二度設けていただきました。初回は日本の居酒屋Zuというところでした。2回目は韓国料理店でした。日本人の会員や日本語のわかる外人もおり、歓迎をされているという気持ちが理解でき嬉しく思いました。カナダで暮らす日本の女性からここカナダでは英語ができ、仕事があれば快適に暮らせるという話を聞きました。その英語の習得が簡単なことではありません。木目田先生は車のラジオで英語のニュ-スを聞き、勉強しておられました。日本女性が二人同席してくれました。一人は徳原純子さん(39歳)で7年で2段を取得したとのことした。助産婦をやっており、同じ団体の仲間の中国人の男性と交際していました。もう一人の女性は本セミナ-で見事な通訳を務めた猪口晴美さん(60歳)で2段でした。カナダ人と結婚しておられました。昇級試験は独自の内容でやっておりカナダ養神館では初段を得するまでに5年はかかるとの木目田先生の話でした。




中央徳原女史   左はクリス氏
左はポ-ル氏 右はクリス氏
   
左は徳原純子さん その隣は猪口晴美さん

8、木目田道場
 道場はトロント、ハミルトンにあり、トロントの道場は100畳くらいある大きなものでした。家賃60万円を支払い、借りているとのことです。合気道をやっても自分の道場をたないとつまらないということでした。過去にその機会あったもののその機会を生かせかったとのことでした。
 トロントでは週4回、ハミルトンでは週2回、杖道と合気道を教えているとのことでした。神棚はなく正面に塩田剛三宗家館長とと植芝開祖の写真が飾ってありました。時間には厳しく遅刻をすると腕立て伏せを30回しないと稽古に入れないとのことでした。道場に30分以上遅れると見学もできないというきまりがありました。カナダセミナ-の最中、30分以上遅れてきた昔のお弟子さんがいましたが、木目田先生によりきまりだからといって少し話をすとはるか遠方からこられたにもかかわらず、帰されました。少年部もありこれは息子さんマイケルさんが教えておられました。他地区から2名の元会員が参加していました。その方たちは日本の養神館本部道場で稽古したことがあるとの事でした。

    
2階が木目田道場

   


9、50周年記念セミナ-の様子
 ①平成22年6月18日(金)午後7時から9時までトロントの木目田道場で第1回のセミナ-が宗家の指導の下にありました。参加者は約38名でした。他に見学者、カメラマン2名がいました。1回目は入門コ-スに匹敵する説明が主となりました。猪口晴美さんの通訳により、宗家が構えの重要性、正座法、受けのあり方など詳細に説明されました。肘当て呼吸投げを例に取り、構えの形を変えないでいろいろな角度から投げてみせ構えの重要性を指導されました。また片手持ち四方投げを例に取り、受けは腕ではなく腰で受ける事、力を抜くと仕手の力が入ってくると説明されました。カナダ養神館の生徒さんは熱心に聞いておられました。
 ②第2回目は平成22年6月19日(土)午前10時から午後12時まで同道場で行わました。参加者は約38名でした。臂力の養成(一)(二)など基本動作6本の技術的説明が主となりました。基本動作は日本語の号令により日本と同じように一糸乱れず行われました。終わり頃、片手持ち四方投げ(一)や胸持ち1カ条抑え(一)など相手を変えながら相対で稽古しました。やはり日本人より体格のいい方が多くいました。しかし力の差はあまり感じませんでした。技も日本と変わりがありませんでした。
 ③3回目は同じ日の午後1時から2時まで行われました。肘持ち1ケ条抑え(二)、片手綾持ち二ケ条抑え(二)をやりました。横面打ちの受け方の説明が途中ありました。休憩を10分取り、2時15分から相対で技の稽古をしました。正面打ち肘締め(一)をやった後、肩持ち側面入り身投げ(一)を行いました。この技は腕の上から押しつける人が多く、技があまり効かず苦労していました。体の変更(二)の体さばきから連続してから肩持ち呼吸投げをやりました。慣れない技で戸惑っていました。終わりの号令も養神館流でした。最後の個々に行うお互いの礼はありませんでした。
 ④4日目の第4回セミナ-は平成22年6月20日(日)午前10時から12時まで同道場で指導者を含め29人の参加がありました。終末動作など基本動作を号令により一斉に行ました。その後、座り技の意義と技術的な説明がありました。一本だけ座り技で横面打正面入り身投げ(一)を相対で稽古しました。さらに相手を変え、受けの腕を内側からくぐっての肩持ち3カ条抑え(二)や相半身で片手持ち4ケ条抑えを使い内よけし、側面入り身投げに連絡変化して投げました。側面入り身投げの際、右手で突き放なさないと仕手の体に張り付かれて巧く投げれないことがわかりました。9時40分まで稽古を行い、10分間休憩しました。その後はグル-プに分かれて係り稽古をしました。体の変更(二)の体さばきを使っての呼吸投げ、正面打ち正面入り身投げ(二)、相半身からの内よけの正面打ち小手返し(一)、相半身に構え、後ろを軸として体をさばき、正面突き肘当て呼吸投げを行い、最後に全員で宗家の号令にあわせ、左右の構えをし、セミナ-を終了しました。通訳の猪口晴美さんにはお世話になりました。途中、宗家の「足の裏は蛙の吸い付き盤のようにする」という英訳には困り、木目田先生に助けを求める場面がありましたが、木田先生の英語力で切り抜けることができました。今回のセミナ-はカナダ養神館の生徒さんには好評であり、盛会裡に無事終了し、嬉しく思いました。

              
                 セミナ-の光景


     稽古終了後の会食
                         
        カナダ養神館の皆様
   
10、セミナ-の感想
 今、カナダでは養神館合気道の傘下道場が50くらいあり、それぞれ別々に活動をしているとお聞きしました。木目田先生の指導力や統率力は群を抜いていましたが、カナダ全体の養神館関係の道場をまとめるということがなかなか思うようにならず苦労されているようでした。 その中で本部養神館との関係や交流を大切にしていこうというお気持ちは十分くみ取ることができました。
 ただ合気道養神館の傘下支部として今後の課題があるように思いました。例えば昇級、昇段試験など審査のあり方など独自のやり方をしているといっておられたことです。本部との技法や審査の在り方など整合性をはかっいくことも大切ではなかろうかと思いました。 
 綾持ち2ケ条抑え(一)は前足から先に動くのではと宗家館長に質問がなされていましたが、養神館本部の形は以前はともかく現在は後ろ足から先に動かしており、その形を謙虚に学ぶことが大切でその時々の理合いや解釈ですぐに形が変わっていくようなものではないということは理解できますが、あくまでも本部はこのようにやっているということで理解していただけたらよいと思いました。また固め技において片手持ち二ケ条抑え(二)の場合、最初の一挙動の際の後ろ足の動きは前足について行くのか流すようにするのか、指導者の間でもまちまちであります。木目田先生は後ろ足は前足について行くのが正しいとにこだわっておられました。当て身を同時に施すことを考えると後足の動きは単純に左に流し移動させるのではなく、前足を追いかけるよう移動させるのが良いと私も習ってきました。この時の宗家の動きでは左足を前に進めた、後ろ足を少し横に移動させておられました。片手持ち二ケ条抑え(二)などは比較的本部師範の指導は統一されていましたが、ある師範が突然、横に丸く流すのを見て驚きました。残された宗家の写真の動きでは後ろ足を横に移動させています。養神館の最初の技術書の配布が取りやめになった事実もあります。宗家の動きも後で修正された部分もたくさんあり私はくどいくらいに養神館時代に前足を追いかけるよう後ろ足を移動させるのが良いと習ってきたのです。このような形を見ると結局はどちらでも良いのかということになります。ある内弟子の師範は許容範囲という理解でどちらも許容されていました。後ろ足が正面に対して左方向流れ過ぎなかったらどちらでも良いというのです。この技術にはどちらがよいかどちらが正しいのか今もって養神館内部でも技術的な面で葛藤があるように思います。それが海外の指導にも影響が出ているものと思われます。どちらが技として力がのるのか検証してみる必要があります。しかしながら受けの状態によるという解釈もありますので、そうなると答えは一つとは限らくなります。受けの状態を強く押すか弱く押すか一定にして検証してみないとないと形が定まらなくなります。有意な差があるとすれば受けの状態に応じてどちらかに決まっていくはずです。
 セミナ-や講習会において大事なことはそれぞれの指導者の指導内容の違いを指摘していくことはなく、その指導者に合わせて稽古していくことが大事ではないでしょうか。方法がたさんあるとすればある程度の許容範囲を認め、時間をかけて検証していく中で正しさを見いだし将来的に組織的に技法の統一をはかっていくことも必要になります。合気道自体が未未完成な技術なので形は形として本部の提唱する技術を正確に学び、教え、不一致の部については研究と検討を続けて行かなくてはなりません。そこに又新たな発見も生まれてくるかもしれません。
 木目田先生の教えで参考になったことは座り技正面打ち正面入り身投げ(一)の受け流しを下に流すと受けが良く崩れるということでした。他の内弟子の師範の受け流はほぼ水平の受け流しであり、十分崩れませんが、これも受けが勢いよく突っ込んでくと下に流す必要もなくなり、受けの状態によっていろいろやり方が出てきます。とはいえ呼び込んで崩すという木目田先生のやり方は理にかなっていると思いました。この程度の違いは工夫というべきで許容範囲内と考えて取り入れていっても良いのではないでしょうか。先人の知恵と工夫で多くの方が稽古していく中で技は少しずつ変わっていくところ出てきます。理合いを研究していくと本部の形とは違う形が生まれてきます。ただ違いを強調ばかりしていると習う人は混乱しますので、基本となる形を押さえた上で指導していくというのが指導者の心掛けとして必要ではないかと思いました。
11、おわりに
 最後にカナダ訪問で苦労したことを参考までに書いておきます。カナダの電源は20ボルトで差し込み口が3つあると観光の本に書いてあったり、日本の電気店に表示してあります。カナダに行ってみると今は違っていて電源は110ボルト、日本と同じ二口で日本製品が使えるよう変わっていました。200ボルト対応のビデオカメラ等電気製品、三ツ口ソケットなど準備していきましたが、その必要がありませんでした。
 カナダの気候が把握できなかったため冬用の衣類を準備していきましたので荷物がかさんでしまい、大荷物になりました。その上、土産も買いすぎて旅行カバンに制限重量内で納めきれず困りました。カナダの5月は平均20度位なので冬支度は無用でした。帰りはたくさんの土産を買い込んだために、預け荷物は30キロまでの制限があるのに、10キロオ-バしてしまい、木目田先生に手伝ってもらいあわてて荷物を入れ替えました。木目田先生の助言があり早めに現地で購入したバッグがあって助かりました。カナダ空港では預け荷物は1個30キロまでは良いですが、それ以上は1キロオ-バ-するごとに4000円もかかりますので、大荷物にならぬよう注意しなけねばならないという事がわかりました。海外旅行の際には荷物の軽量化のため衣類を気候にあわせ少なめに持参すること、土産は最小限に買うことなど良い教訓を得ました。
 携帯電話も国際電話ができるようレンタルしてきましたが、かける相手もおらず全く不要でした。
 飛行機代より宿代がたくさんかかるところでしたが、幸いにも木目田先生の家に泊まらせていただき大助かりでした。
 木目田先生にはカナダ訪問の最初から最後まで、自分の道場の稽古を休んでまで終始おつきあいいただき恐縮いたしました。 その上、食べることから寝るところまで全面的にお世話いただき、感謝するばかりでした。カナダ養神館のさらなる発展を願いカナダの地を後にしました。