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  東北大震災被災地視察で学んだこと
 平成30年1月15日被災地語り部コース(90分)を自ら被災された防災プロジェクト代表中井政義さんの案内で東松島市大曲浜、石巻市門脇地区、石巻市南浜地区を視察してきましたので中井政義さんのお話やホームページなどを参考に被災地の今とこれからについてお伝えさせていただきたいと思います。多くの人が被災されたなかで7年たってやっと訪問するという罪悪感にさいなまれてきましたが、島震災7年も経過する中で島根県から視察する人は珍しいとのことでした。私の場合は母校が仙台ということもあり、知人もおり無関心ではおれませんでしたが、今回現地を訪れ、慰霊碑の前で被災者の方々のご冥福を祈れたのがせめてもの慰めとなりました。
1.地震・津波概要
①発生日時 平成23年3月11日(金)14時46分頃
②震央地名 三陸沖
③深さ 2.4キロメートル ④規模 M9.0 ⑤震度 震度6強(石巻市)東日本を中心に大きな揺れが3分間続き電気、ガス、水津など社会的インフラに大打撃を与えました。宮城県内では1万人を超える死者、行方不明者が発生し、沿岸地域では巨大津波を防ぐことができず壊滅的な被害がもたらされました。宮城県の新水面積は327平方キロメートル被害額は30年2月現在9兆984億円に上りました。
④死者・行方不明者(警察庁緊急災害警備本部広報資料2016年3月10日現在)
 死者・行方不明者数は18455人で県別で一番多かったのは宮城県10777人(58%)、二番目は岩手県5797人(31%)、3番目が福島県で1810人(9%)、以下茨木県25人、千葉県23人と続いています。宮城県の中でも石巻市3945人(36.67%)気仙沼市1434人(13.3%)東松島市1152人10.6%)女川町872人(8.0%)南三陸町832人(7.7%)となっており石巻市が宮城県の中でも一番被害を受けていることがわかります。また宮城県の人口は2015年の国勢調速報では2334215人そのうち石巻市は147236人(6%)で2010年との比較人口では13590人減っています。震災のため直接・関連死もしくは行方不明の人(3278人)以外に9645名の人(13590人から、3278人を引く)が県内外に転出していることになります。住宅全壊は宮城県全体では82999戸、うち石巻市は20039戸(24.1%)住宅半壊は宮城県全体では155129戸うち石巻市は13047戸(0.08%)で大きな被害を受けました。
2.巨大津波から教わったこと
 津波は何度も押し寄せ河口から川を4から5キロメートル遡上してきました。家は簡単に押し流され、引き波によって多くの犠牲が出ました。津波が過去来なかった地域では津波は来ないと避難しなかったため犠牲者となりました。またせっかく避難しても津波は来ないと判断し家に戻ったため犠牲者となりました。避難する際、自動車で非難した方は渋滞に陥り多くの方が津波に飲み込まれて命取りになりました。水の中に沈み木材が途切れるのを待って浮上し助かった方もいますが、多くは逃げ遅れました。水を肺に吸い込んだ人は震災肺となり震災後、亡くなり震災関連死という扱いとなりました。高台避難が最も有効で、家なら鉄筋の3階以上に逃げるのが鉄則です。普段から避難先を確認する必要があります。
3.被災後のライフライン
 電気・ガス・水道のすべてが壊滅し長期にわたって使えない状態が生まれました。災害備蓄品の重要性を感じたといいます。本年1月時点では復旧していませんでしたが11月時点ではライフラインは復旧しています。
4.安否確認の問題
 電話もメールも使えず1週間以上も家族の安否が確認できず沿岸部は水が引かない中で絶望の日々を過ごしたそうです。
5.避難所格差の問題
 孤立した小さな施設。農村など物資が届かずほぼ1週間のまず食わずの人がいました。そうかと思えばスーパに避難した人などは十分な物資の供給を受け、避難先により格差がありました。
6.行政の対応
 行政もパニック状態になり、義援金が4か月たっても配布されませんでした。罹災者証明の受けつけで何時間も待たされました。罹災証明の格付け一つで大きな格差が生まれました。民間住宅貸付制度などが2か月後に出てきて早く自立しようとした人と贈れていた人との間に大きな格差が生じました。死者の葬儀が間に合わず石巻では仮埋葬し8月に民間業者が700体掘り起こし埋葬し大会ようです。民間業者も震災前から遺体の処理についいては任せるよう行政当局に訴えていたそうですが行政に取り上げてもらえず腐乱した遺体を後で掘り起こし埋葬したそうです。こんなことは二度とやりたくないと言っておられたそうです。生存者の確認や物資の補給を考えればこのようなことは後回しになるかもしれませんが、遺体の収容や処理など迅速な対応が行政に求められます。震災の備えは生きている人ばかりではないということを念頭に置かなくてはなりません。
7.医療機関も完全に麻痺
 病院もパニック状態で薬や包帯も不足し十分な治療も受けれないまま廊下などにびっしりと寝かさ、中には薬がないのでなくなった人もいました。
8.石巻南浜地区被災状況
 高さ6メートルの津波が押し寄せ、同時に火災が発生し津波が引いても火の海の中に500人以上が取り残されました。近くの日本製紙工場の従業員は高台に逃げ1306名の社員は全員無事でした。水が引くのを待ってこの工場の人が救出に向かい火の海の中で50名ほど救いましたが50名しか救えなかったと悔やんでいたとのことでした。山の上の団地からは多くの人がどうすることもできず見ていました。阿鼻叫喚(あびきょうかん)の巷(ちまた)となり、断末魔の悲鳴を上げて焼け死ぬ様を見ているしかありませんでした。人肉の異臭が漂い、さながら生き地獄のありさまだったようです。震災2年後には450億円(スカイツリの建設費とほぼ同額)をかけ日本製紙工場は再建されました。津波に備えて機械はすべて2階に設置したそうです。助成金を活用できたのは大きな企業だけで小さな企業にはなく廃業せざるを得ませんでした。被災した門脇地区の小学校は残すか住民や行政の判断が二分しており、判断がつけられないまま当面の措置として青いシートがかけられていました。
9.訪問時の状況
 民家はなくなり、ただ荒涼とした空き地が広がっています。震災前には民家や会社、学校などが立ち並んでいたところです。ごみの撤去には多くのボランテアが手伝いにぎわいましたが、その後震災に備えて、高さ3メートルの土地のかさ上げ工事が始まり、今はおおむね終了し災害公営アパートもできていましたが、まだ十分ではない所もあるようです。1月時点では業者の数も足りないのかたまたまそうなのかわかりませんが、泥を運んだトラックが1~2台走っているだけで人の姿も見えず辺りは閑散とし、電気・水道のインフラ整備もできていませんでした。本年11月時点ではかさ上げ工事は終了したようです。東松島市大曲浜では高さ6メートル(津波に合わせた高さ)の慰霊塔や慰霊碑が作ってあり、この地区で亡くなった318名の方の名前がびっしりと書かれていました。慰霊碑の前でご冥福を祈らせていただきました。


              被災の跡地


     災害公営住宅(かさ上げ工事)

   
           災害公営住宅

 高さ7メートルの防潮堤が築かれ、海は全く見えなくなっていました。川には船も通るので防潮堤も水門も作れないので河川津波は完全に防ぐ手立てはできていません。このため、大切なことは防災意識を高め、津波が来たら逃げるということが」大切になります。ハード面ばかりではなくソフト面を充実させていくことが大切と中井さんは強調されました。「頑張ろう 石巻」の看板が有志により作られていました。人の住んでない町にたたずむ看板にはむなしさが感じられました。震災復興資料館がプレハブで作られていましたが、お金がないので十分整備できずまだ未完成だとのことでした。震災の記憶を風化させないためにも記録を残してもらいたいものです。

  
           震災復興資料館


     「がんばろう石巻」看板の前で筆者


                        震慰霊碑


                    被災者のお墓
                              
 平成30年11月4日の状況では電気水道は復活しましたが、家はまだほとんど立っていなく住民のほとんどは戻ってきていません。沿岸部の学校や店、住宅はすべてなくなりました。今は内陸部に病院や学校、スーパーができています。堤防やかさ上げ工事のため費やしたお金は38億円、かさ上げ工事は時間も多くかかり復興が進まない原因となりました。東京オリンピックの工事で資材も十分調達できないこともあります。住民も他地域で生活を始めており、現状ではすぐに帰還できない状況があります。元のような街になるには相相当年数かかるようです。



                      防潮堤(右側)


                      防潮堤(

10、今後の課題.
 オランダでは海抜マイナス6メートルのところに住んでいる地域もあり堤防は今後の温暖化に備えることもでき有効でありますが、土地のかさ上げ工事には限界があり3メートルかさ上げしても高さ7メートル以上の津波に対処できないし津波の勢いで普通の家屋は流されてしまうので意味が乏しいことになります。防潮堤も海岸全てをカバーするのはむつかしいことです。波が来れば高台に逃げるというのが鉄則ですが防潮堤があれば逃げる時間も稼げるし、低い津波なら被害を最小限に抑えることができます。防潮堤はともかく、かさ上げ工事をしたため復興が大幅に遅れたということは否めません。
 南海トラフ大地震が襲ってきた場合は同様な復興工事をすれば180兆円かかるそうです。これは今の国家予算の2倍に当たり世界の最貧国に転落するといわれています。かさ上げ工事を見直し迅速に復興する対策に今後は取り組む必要があります。南海トラフ大地震では最大32万人の方が被災することも考えられ、被災者の生活支援はもとより遺体への対応も考えなくてはなりません。
 災害公営住宅の建設も地域によっては十分ではない上、地域住民のコミニュテイが壊されています。住む人は仮設住宅の時はボランテイアとの交流もあり楽しかったようですが、災害公営住宅に入ったとたん一人住まいの方はそれがなくなり寂しさを訴えっています。 また長引く避難生活のためアルコール依存症やDV(ドメステックバイオレンスも増えているといいます。これ等の方たちの心のケアも考える必要も行政として取り組んでもらいたいものです。
 被災者の中には、家を失い二重ローンに苦しむ人も数多くいます。住宅の再建も容易なことではありません。震災で職場を失い失業した人も多くいます。家がなく仕事がないため県外流失した人もいます。完全な地域の復興にはまず人が帰ってこなくてはなりません。そのためにはまだ多くの課題が残っています。引き続き復興支援を行政としても取り組んでいただくとともに、私達もこの復興を今後も見守っていくことが大切ではないかと思いました。
 今日、私達は気候変動(温暖化)、地殻変動(地震、津波、噴火など)未曽有の危険予知にさらされています。避難訓練への参加、避難場所の確認、防災グッズの準備などなされているでしょうか。おそらくここは大丈夫だという気持ちから防災グッズまでは必要とは多くの人が考えていないと思います。何よりも大切なことは震災はいつ起こるかわからいという防災意識を高め、震災を人のことではなく自分のこととしてとらえていくことが大切ではないかと私は震災視察により学びました。中井政義さんの被災体験を読むと震災のリアルな実態を理解することができますので関心のある方はご覧ください。「被災体験特別コラム 中井政義」でお申し込みされれば申し込んだ個人あてにメールで情報が送られてきます。無料です。民間住宅賃貸借り上げ制度などの重要な情報が書かれています。震災に備えて大切な情報は事前に入手しておきましょう。            (平成30年11月19日浦尾記)


    防災プロジェクト代表中井政義さん