六代 雨森次右衛門行清
寛政十年三月師範になった行清は柔道は勿論のこと一指流槍術、新当流剣術に
達し、また文学にも秀でて文武両道の模範的武士であった。よって師範職の外に御
勘定奉行として兼務し、後享和二年は軍用方奉行となった。したがって加藤気堂が
代理師範となった。白潟善導寺には「興宅院勇誉行清居士天保八年了酉三月三日
九十五才」の墓があり、孝子定清建石し園山齢謹書の墓碑文がある。
松江藩の儒者雨森精翁(文政五〜明治十五年)の先祖で現在子孫は大阪堺市に
いる。
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