七代 石を腹に入れて丹田の力を養った加藤気堂正昌

 はじめは師雨森先生の師範代理であって、師範ではないが藩命によって柔道教戒
という事実上の師範を勤めたから七代と考えてよかろう。
 直信流においては丹田錬磨ということについては初伝より各伝に至るまでよく教え
られる所であるが、この師はわけても重要視して自らも鍛錬され、平常丸い石をもっ
て臍下三寸丹田と称する部を絶えず鍛えられた。その為か非常に達者であったと見
え、文化四丁卯年二月二十二日行年九十六才という長寿で歿せられた、その時も臍
下に血温があったといわれる。平素いわれるのに我が丹石は我霊を込めておくもの
であると・・・その石は産土の神、奥谷田原神社の一小祠に鎮められている。気堂は
常に鎌倉権五郎が鳥河弥三郎を射返した事を教訓として門人に剛健の気を養うべ
き事を教示していたといわれる。

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