八代 石原左伝次中和


 雨森先生の次の師役を仰せつけられたのはこの人である。中和は貧乏武士岡九
兵衛という人の弟で一三才の時鰐淵寺の小僧となったが、武家に生まれて出家は嫌
だといって寺を飛出して家に帰り、一心に柔道を習練し遂に奥義を極めるに至った。
 享和二年十一月加藤気堂先生に代わって師役を僅か三人扶持の禄で仰せつけら
れたが、その翌々年文化元年七月藩の百石取りの石原小平次という人の跡目を相
続し改めて雇を免ぜられ同時に師役仰せ付けられ一躍百石取りの柔道師範となっ
た。極めて人格円満で徳の高い人であり二十一年間奉仕し文政五年九月十四日歿
した。門人に柘植小源太、高尾藤太の高弟がいる。

次へ

トップへ
トップへ
戻る
戻る